■20190929(日曜日、曇り)

 

柿の花と実が同居しています。

■昨日の朝走って目標の月100キロ走を達成していますので、今朝はゆっくりと休みました。昨日は夕方から会議があり、懇親会もありましたので、いつもの土曜日とは違う一日でした。今日は休日当番日ですので、朝の8時から夕方の5時まで籠の鳥です。

昨日はラグビーワールドカップで世界第2位のアイルランドに日本が歴史的な勝利を収めました。ちょうど懇親会の途中だったのですが、仲間の1人が突然立ち上がり、日本が勝利した、みんなで乾杯しようと叫びました。前回のワールドカップで、日本が南アフリカに同様の勝利をおさめ、日本中が大騒動になったことを思い出しましたが、今回はそれ以上の驚きをもって迎えられたのではないでしょうか。大会前に行なわれた南アフリカとの練習試合が、期待外れの内容でしたので、正直私はあんまり期待していなかったのですが、どうやら実力は本物のようです。これでベスト8は間違いないようです。

■さて、昨日の夜から話題の本を読み始めました「三体」です。AmazonのKindle版をネットで購入しました。「三体 : 劉 慈欣 (著), 大森 望 (翻訳), 光吉 さくら (翻訳), ワン チャイ (翻訳), 立原 透耶 (監修)」。アマゾンの解説には、こうあります。

物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート女性科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。

数十年後。ナノテク素材の研究者・汪淼(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体〈科学フロンティア〉への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象〈ゴースト・カウントダウン〉が襲う。そして汪淼が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?

読みたくなった時にすぐ購入できるのは電子書籍の大きな利点です。アメリカの調査では、主に電子書籍を読んでいる人は印刷された本を読む人の3倍近くの量を読んでいる、という報告もあるようです。これは実感としても納得できる数字です。まず読みたくなった時にすぐ手に入る。そして端末で文字の大きさを自由に変えて読むことができる。一つの端末で何百冊も自由に持ち運びができる。さらに若干の値引きもありますので、読む方にとっては、電子書籍には利点はあっても、あまり欠点はないように感じられるのです。

先日ある会合で大学の先輩が、kindleで読書をするのはとても楽だ、紹介してくれてありがとう、と言ってくれました。その先輩にKindleを勧めたことは、正直あまり覚えていなかったのですが、仲間が増えたようで、とても嬉しく思いました。自由に文字の大きさを変えられる点、そしてページをめくるという必要がない点など、利点を挙げていました。私もその通りだと同意しました。そして翌日ある本を紹介しました。内館牧子さんの「すぐ死ぬんだから」です。この本はゴル友の一人にも勧めたのですが、読んでくれて、「とても面白かった」と感想を述べてくれました。彼は私と同級生ですので、高齢化しつつある自分自身にも、当てはまる部分があったのでしょう。

 

 

■今朝の東京新聞の社説欄には、こうあります、「さぁ、本屋にいこう」。週のはじめに考える、です。日本中で、「無書店自治体」が増えており、国民の活字離れが確実に進んでいます。フランスではインターネット通販の影響を重く考え、小規模書店保護を目的に、ネット書籍販売での配送料を無料サービスを禁止する法案が、 数年前に議会で可決されたそうです。実にフランスらしい行動だと感じました。昨年2月に行われた全国大学生協連が発表した学生生活実態調査の結果では、電子書籍も含め1日の読書時間がゼロという学生が5割を超えており、今年公表された数字でも48%でした。これに対して、我が国政府は危機感を感じないと言うより、それを良しとしている節さえあります、と紙面は語っています。

民主主義国家では政府の役割は多々あるものの、国民の生活を安定させること、そして国民の学びたいという気持ちを可能な限り応援する、という二点が、とても重要です。人間は本能のままに生きているわけではありません。ファーブル昆虫記を読むと驚くのは、昆虫にはなんと素晴らしい本能が備わっているのか、ということです。人間にはとても真似ができません。しかし昆虫は、そのことを自覚しているわけではないのです。本能ですから。人間は、乏しい本能しか持たずに生まれ落ちてきます。あとは学び続けるしかないのです。つまり人間は、学ぶことで人間になるのです。

したがって人間らしい社会を作るためには、一人ひとりが学び続ける必要があります。学校は、そうした観点から生み出されたものでしょう。学校を終えたら、それで終わりではもちろんありません。いやむしろ、それは新たなスタートなのです。学校とは、学ぶとはどういうことなのか、どうしたら学ぶことができるのか、学ぶためにどうしたら良いのか、ということを学ぶ場のように思います。あとは試行錯誤を繰り返しながら、一人ひとりが一生をかけて自分自身を作り上げていくのです。その過程が人生そのものです。

ところが今の政府は、真逆の施策を推進しています。教育予算を削り続け、奨学金はサラ金化させ、非正規雇用を際限なく増やし、技術・技能を身に付ける暇を働く人々に与えない、などなど。国民の学ぶ意欲を後押ししているとは、 どう考えても、 ありえません。

なぜ国民の代表である政府が、国民を学べない状態に留めおこうとするのか。国力を衰退させるだけですから、普通に考えると、ありえないことです。もし考えられるとすると、そうした状態に国民を留めおくほうが、政府にとって都合が良いからです。政府といえば聞こえは良いのですが、要するに権力を握った人々にとって、ということです。

なぜでしょう。もし多くの国民が学び続け自分自身の頭で考え始め、いまの世の中はおかしい、違った政策を政府は取るべきだ、と考え始めるとどうなるか。今の政権与党は確信犯ですから、違った政策を実行するためには、政権交代しかありえません。それが与党が 最も 恐れる事態です。そうなると、取るべき施策は明らかです。愚民化政策です。

毎日の生活で精一杯の状態に国民を押し込める。 本を読ませない。テレビばかりを見るように仕向ける。古代ローマ時代以来、繰り返されてきたことに違いありません。そうして権力を握った人々は、自分たちと仲間の間で、甘い汁を吸い続ける。災害で国民が苦しんでいる中でも、税金を使ってお花見の会を、堂々と開催する。文句を言う国民には、隣の国がミサイルを発射して攻めてくるかもしれないぞ、と恫喝する。誠に見事としか言いようがありません。これが戦後政治の総決算なのでしょう。

自分ひとりが投票に行っても、何も変わるわけがない。だから選挙も棄権する。そもそも選挙の際に、何が問題になっているのか、与党は明らかにしようとしません。7月の参議院選挙でも、選挙が終わって議席の激変が起こらなければ、消費税が10%に増税されることを、政権与党は、なるべく語ろうとしません。増税が選挙の争点にならないことなど、普通ではありえないことです。

社会保障の安定財源として消費税は絶対に必要だ、と政権与党幹部は選挙後に、しきりに語っています。しかし実際には、社会保障の財源として利用されている 消費税は 、ごく僅かなのです。本当のことを、彼らは語りません。マスコミは政府に習えです。争点のはっきりしない選挙では、投票率は上がりようがありません。争点は曖昧にし、投票率を挙げない。自分たちは組織票でガッチリ票を積み上げる。これでは議席配分に変動が起こることは、まずありえません。

狙い通りです。実に見事ですが、これも民主主義国家での出来事なのだと思うと、とても複雑な心境です。ホモ・サピエンスが農業を始め社会を作り始めて、1万年以上が経過しています。その間に、試行錯誤の結果たどり着いたのが、いまの民主主義国家制度です。いまのところ代替できる制度は、無さそうです。

今の政治に足りないのは国民に対する愛だ、と山本太郎さんは語っています。私も、そう思います。いまの政権与党には、最大多数の国民を幸せにしようという、そうした愛がありません。私利私欲のためにのみ、政治を行っています。信じられないのですが、それが現実です。

以下の記述が 日本でも当てはまるとは、思いたくもないのですが、ひょっとすると、世界共通なのかもしれません。

「人類のすべての行為は悪であり、悪こそが人類の本質であって、悪だと気づく部分が人によって違うだけなのではないか。人類がみずから道徳に目覚めることなどありえない。自分で自分の髪の毛をひっぱって地面から浮かぶことができないのと同じことだ」

(『三体』(劉 慈欣, 大森 望, 光吉 さくら, ワン チャイ, 立原 透耶 著)より)