20190429-20190504

Day 1 20190429 Arrival

左にメルボルンCBD、右にサウスバンクを望む絶景です。今回泊まったホテルから、すぐの場所です。
  • メルボルンで見かけた郵便ポストです。

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■昨年Ayaちゃんから結婚式を来年挙げる、という連絡をもらいました。Benとは、昨年の一月、そしてTakuの結婚式で会っていたので、驚くことはありませんでした。かの国では、まずは一緒に生活してみて、うまく行きそうなことを確認してから結婚式を挙げるというのが、一般的な順序のようです。

ということで、双方の都合を勘案して5月の連休にすることで話がまとまりました。幸い私も連休中の当番日に当たりませんでしたので、安心して出かけることができました。4月28日に東京へ行き、成田に泊まりました。そして29日の午前中にJAL便でメルボルンへ飛びました。現地に到着しホテルに入ったのは、もう0時近くでした。昨年一月以来のメルボルンです。

今回のホテルは前回と違って、立派なホテルでした。前回のホテルは、本当の街中にあり、トラム駅の真ん前にあるビジネスホテルでしたが、今回のパン・パシフック・メルボルンホテルPan Pacific Melbourneは、5つ星のホテルで、設備・サービスなども、さすがでした。地理的にも便利もよく、ヤラ川沿いの多くの店にも歩いていくことができました。結局このホテルに5泊しました。空港へ迎えに来てくれたJTBの方は、大阪出身の日本人女性で、分かりやすくメルボルンについて説明してくれました。ホテルのチェックインも無事に終了し、みんなに無事に到着した、という連絡を入れて床に入りました。いよいよ明日からメルボルンの日々が本格的に始まります。

Day 2 20190430 Carnegie

  • 大活躍のトラムです。本当に便利です。一定区間は無料です。

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10時にAyaちゃんがホテルに来てくれました。日本から持ってきたお土産類を、昨年引っ越しした新しい家に持って行くのが最初の仕事です。30キロを超える大荷物でした。日本のだし、生協製の1リットル入りのパックを、山ほど持って来ました。やはり異国に暮らす身には、日本の出汁が一番恋しくなるようです。幸いBen もこの味が好物なので、持って来たかいがあります。ジーロングに住むジョーンズさん一家にも持っていく予定です。みなさん好物なのです。

さて、どうやって家まで行くのかと思っていると、タクシーで行く、と言うのです。ところが、このタクシーがただのタクシーではありませんでした。中国の配車サービスDidi です。昨年から、オーストラリアでもサービスを開始しました。スマホで連絡すると、まもなく車が来ました。さすがは中国のサービスらしく、支払いも銀行口座から引き落とされるとのことで、必要なのはスマホだけでした。インドの方が運転手をしていて、30分ほどかかりました。運転手さんの奥さんもインドから来られ、オーストラリアの大学で二年間学び、会計士の資格を取って活躍中とのこと。インドの方と思われる人は、とても多く見かけました。

Ayaちゃんによれば、ウーバーよりも低額で利用できるそうです。このようなサービスが一般的になれば、利用者には便利でしょうが、タクシーの運転手にとっては、生活がかかる大問題です。アメリカでは、こうした配車サービスの普及でタクシーが激減している、という記事も見かけました。システムを開発した配車サービス会社は、大変な利益を挙げているようですが、はたしてそのことが社会全体にとって良いことなのかどうか、いささか疑問を感じました。

ウーバーはニューヨーク証券取引所へ上場したようですが、黒字を出すまでには現在のところ至っていないようです。運転手の皆さんに払う人件費がかさみ、重荷になっている、というのです。しかし今の水準の人件費では、大した収入にはならないとのことで、抗議の声が上がっていることも事実です。

日本でも、こうした配車サービスの提供が準備されているようですが、日本では監督官庁の規制があり、オーストラリアのようには簡単にいかないようです。はたして日本ではどうなるのか。実際にメルボルンで経験してみて、こうした配車サービスの未来が気になるようになりました。

いわゆる民泊も同じ問題を抱えています。フランスでは、民泊の普及でホテルが軒並み倒産の憂き目に会っています。このことが社会全体にとって良いことなのかどうか、私は大変疑問です。いかがわしい人間が民泊を運営し、事故に合う女性が散見される、などの問題もありますし、はたして本当に社会全体にとって良いことなのかどうか。なんでも自由にすることが社会全体にとって良いとは、絶対に言えないのです。

さて到着したのは、ビクトリア・カーネギーと呼ばれる地域でした。閑静な住宅街、と言えます。高い建物は、周囲にはほとんどありませんでした。訪れたのが4月30日火曜日の昼下がり、ということもあったとは思いますが、人通りもほとんどありませんでした。2階建ての広々した家で庭もあり、レモンの木が植えられていて、実もなっていました。家の中で婚姻届に必要な書類を書きあげて、昼食を取るために駅に向かいました。Carnegie駅です。家から1キロ。歩いて10分ほどでしょうか。いろいろ探しましたが、ラーメン屋さんに入りました。一応本格的そうなラーメン屋でした。私はとんこつラーメンを食べました。餃子も、みんなでつまみました。結構いけました。ラーメン一杯千円ほどでした。食べ終わってから、電車に乗ってSwanston St and Flinders St駅にたどり着きました。

  • BenとAyaの新居です。ゴミ箱が印象的でした。一週間に一度、回収してくれます。

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そして近くのスーパーマーケットへ行き、お土産のティム・タムをこらしょと買い込みました。チョコレート菓子です。オーストラリアのお土産といえば、これば一番安全牌です。何より美味しいのです。チョコレートを嫌いという人は、少数派でしょうから、このあたりが無難です。これでお土産も買い終わり、電車に乗ってCasino駅に戻りました。そして夕食を取りました。ヤラ川沿いに歩いて、クラウンビルの中にあるCervoというイタリアンのお店。ビルの中の通りから見るとお客がいないので、大丈夫かと心配になりましたが、実はほとんどの客は夜景が楽しめる川沿いにの席にいたのです。私はピザを、そして二人はパスタを注文。あまりに大きなピザなので驚きましたが、これが美味しいのです。二人にも分けて、全て食べました。三人でビールを一杯ずつ、そして二人はパスタ、私はチッキン・ピザを注文して、会計はちょうど1万円ほどでした。こうしてAyaと再会した一日目は、無事に終わりました。明日はBen との再会です。

Day 3 20190501 Salt Water Lake

  • メルボルン市内で見かけたインド料理店です。

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■さて今日はBenと再会する予定です。昨日は都合がつかずにAyaと三人で夕食を共にしましたが、今夜は四人で楽しく語らう予定です。それまでは二人でお勧めの観光地を見て回ります。まずは St Kilda 海岸です。ペンギンを見学できることで有名です。到着した時にホテルまで同行してくれた添乗員さんが、勧めてくれたのも、この海岸でした。トラムに乗って終着駅まで行きました。20分ほどです。あとで分かったことですが、ペンギンは昼間は魚を取りに狩りに出かけているので、見ることはできないのです。夜になってネグラに帰ってこないと会えないのでした。地元のおじさんが教えてくれました。ということで、海岸べりに歩いて場所だけを確認し後日また来ようと再起を誓いました。

となると、次の観光地を決めなければなりません。それは、何とピンクに見える池がある公園です。Westgate Park 内の Salt Water Lake です。池の中にいる藻というか、バクテリアのためにピンク色に見えるのです。これは、なかなか見ることのできる光景ではありません。いったんSouthern Cross駅に戻り、そこからバスで20分ほどです。停車場で降りるとアジア系の若者の集団と一緒になり話し始めると、私達と同様に Salt Water Lake を目指しているのが分かったので、話しながら一緒に目的地まで歩き始めました。タイの高校生たちでした。最初は韓国ドラマに出てくるイケメンの韓国人の若者俳優さんかと思ったほどでした。英会話の勉強に短期留学のような滞在だとのこと。間もなく帰国するとのことでしたが、公園まで迷わずに行けたのも彼らのおかげでした。池の写真を撮ってもらって別れました。


ネットの解説では、景色を楽しむのは良いが、水に触れないほうが良い、と書かれていました。また同じような現象は、世界中で他に三箇所あることが確認されているようです。

  • St Kilda 海岸です。はるか先に見える突端でペンギンを見えることができます。

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さて帰りのバス停まで歩き、Southern Cross 駅まで戻り、そこからのんびりと歩きながら、メルボルン・セント・パトリック大聖堂を見学。ザ・ロイアル・ビクトリアン・アイ・イヤー病院前を通りました。耳鼻科と眼科はメルボルン大学付属病院からは切り離されて、この病院が診療棟となってるようです。オーストラリアと日本の医療制度の違いは、最初に総合診療医(GP)に受診が義務付けられている点が、やはり最大の相違点でしょう。


GPでは軽い症状の場合は手当をしたり、薬を処方するなどの処置を行う場所。いわば、国民にとって大切な医療玄関であり、適切な治療へのガイダンスをしてくれる場所。


一方、手術や専門的な処置が必要だと判断された場合はGPからSpecialistと呼ばれる専門医への紹介状を書いてもらい診察の予約をします。例えば白内障の兆候がある、アトピー性皮膚炎の疑いがある、うつの症状が見られる、妊婦検診が必要などの場合です。

歩いていて、そうしたGP診療所を外から見ることができました。医師の名前が列記されていましたが、診療科目の記載は無く、いくつもの診療室が並んでいました。完全予約制のようです。軽い疾患では、ここで済ませることが多いようです。


オーストラリア国民、および永住権を持つ人はMediare(メディケア)と呼ばれる健康保険に入ることができます。メディケアはGPや公立病院で行われる診察費と治療費をカバーしてくれる健康保険で無料になる範囲は広いのが特徴的。よっぽどの重症であったり、大きな手術が必要な場合を除いては費用はかかりません。


メディケアでカバーされないものは、歯の治療(矯正を含む)、美容整形、長期的な治療(慢性的な病気)、美容整形、針・灸治療、エイズ検査・治療、目の病気、救急車の利用など。これらは高額な費用がかかるため、メディケアと並行してプライベート保険に入る人が多いのが現状です。


ちなみに、オーストラリアでは救急車=高額のイメージが定着しており、救急車を呼ぶと距離によって費用がかかるため、田舎に住んでいる人や高齢者の方は念のためにプライベート保険に入っている場合が多いといいます。救急車1台、緊急救命医2名で1時間利用した場合、およそ1,200ドル(12万円)になりますので、決して安いとは言えません。

やはり万が一の事を考えて、民間保険に入りますが、若い時は使用することは少ないので、 結局無駄になってしまうことも多いようです。眼科の場合ですと、結膜炎でしたらGPで治療し、手に負えない疾患と判明すると専門医に送る、という仕組みのようです。歯の治療には多額の医療費が必要で、留学生などは留学前に必ず日本で歯の治療を済ませること、が必須のようです。抜歯一本 1,000 ドルといいますから、8万円ほど。日本とは比較になりません。オーストラリア国民にとっては頭の痛い問題、ではなくて、歯の痛い問題のようです。歯の痛いのには耐えられません。

さて18時半にBenと待ち合わせて、日本料理屋さんに行きました。美味しいお店でした。本当の日本料理屋さんでした。日本人が経営しているのでしょうか。四人で楽しく時を過ごしました。二日後に控えた結婚式ですが、昨年一月に初めて会った時、そしてTakuの結婚式出席のために来日した昨年7月に歓談した時より、ずっとリラックスして話し合うことができました。毎日聞き続けたラジオ英会話の成果を、私も感じました。やはり何事も継続しかないようです。

  • お祝いを二人に贈りました。

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日本の歴史や文化、そしてオーストラリア文化との違いなどを語り合いました。結構重い題材でしたが、真面目なBenのことですので、きちんと付き合ってくれました。

Day 4 20190502 Geelong

  • Emilyさんの新居です。静かな住宅街です。

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■さて今日は、Geelong に住むJonesさんご家族と再会です。Nonがホームステイでお世話になって以来の付き合いです。Southern Cross駅から電車で一時間ほどです。一人往復16ドルでした。片道640円ほど。距離を考えると日本より、ずっと安い運賃でした。乗り場プラットフォームにたどり着くのに、少し手間取りましたが、今回の旅でいつもそうだったように、最後は現地の方に助けてもらいました。こちらが迷っている様子をすかさず感じて、助けてくれるのです。これには何度も救われました。ホテルから観光地へ向かう時に、どちらの方向のトラムに乗れば良いのか迷っていたところ、それを見かねた女性が、声を掛けてくれて、自分が反対方向の路面電車に乗り込む寸前まで、私達に指示を出し続けてくれたこともありました。この国は以前、本当に白豪主義の国だったのかな、と信じられない思いでした。

Southern Cross 駅、朝9時50発の電車に乗り10時48分にGeelong駅に到着予定です、とJonesさんには伝えてありました。ところが一本早く電車に乗れましたので、20分ほど予定より早く着いてしまいました。前回はMelbourne までJones さんが車で迎えに来てくれました。調べてみると距離としては、80キロほど。車で一時間、とあります。MelbourneからはPort Phillip Bayポートフィリップ湾を左手に見ながら、西南に向かいます。今回は電車の旅を経験したかったのと、ご面倒をかけるのが申し訳なかったので、何とか調べて電車で来ました。Geelong駅は、平屋の煉瓦造りの駅でした。歴史がありそうな建物でした。改札口を出てみると、建設中のビルが2つ目に入りました。日本では特段珍しいことでもないのですが、あとで聞くとGeelongは開発ブームに、いま湧いているとのこと。新しく道路も建設され、Melbourneへ通勤する人々のための宅地開発が、盛んに行われているようです。見渡す限り草原だったところに、住宅が次々と建設されています。

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10時少し前にJonesさんご夫婦が車で迎えに来てくれました。お会いするのは、何年ぶりでしょうか。そうです。ご家族で日本旅行に来られて以来です。2016年12月4日以来です。2011年2月にGeelongのお宅を初めて訪問し、家族ぐるみのお付き合いが始まりました。今日はお嬢さんのEmilyさんの新居に案内されました。Emilyさんは小学校の先生をされていましたが、お二人のお子さんを出産され、現在は休職中。お話を聞くと、保育料が信じられないほどの高額で、仕事をしても割が合わないようです。少し調べると分かります。日本では、月額2−3万円が相場ではないでしょうか。ところがオーストラリアでは、シドニーの例ですが、以下の記事がありました。

0〜1歳児で125ドル(約1万1,000円)

2〜3歳児で115ドル(約1万円)

4〜5歳児で110ドル(約9,900円)

これって月額でなくて、一日の保育料なのです。月額にすると、日本の10倍でしょうか。これでは働くわけにはいきませんね。Emilyさんも、確かこの一日125ドルという金額を話していたと思います。オーストラリアでは子供と過ごす時間をとても大切にしていますので、週5日子供を保育園に預けて働くということは、あまりないようです。保育料が高いからそうしているのか、子供と一緒に過ごしたいから、あまり保育園に預けないのか、その辺りは鶏と卵かもしれません。 Emilyさんも毎日子供さんの育児に追われていました。ただ休職期間が確か七年でしょうか、保証されているとのことで、給与の保証はないかもしれませんが、時期が過ぎれば復職することは間違いなくできるようです。その辺りは日本よりも恵まれているかもしれません。

Day 5 20190503 Wedding

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■さて今日はいよいよBenとAya の結婚式です。結婚式と言っても日本の結婚式を想像すると、肩透かしを喰らいます。役所へ行って公証人に立ち会ってもらって、その前で宣誓をする、というとても形式的な行事です。張り出してあった案内は三件の結婚式があることを公示していました。

まずはBenの家族の皆さんと待ち合わせて、昼食を取りました。

  • 結婚式が行われたMerrioage Office の入った建物です。

Benのお母さん、そして現在のパートナーとご一緒に昼食を取り、その後に会場まで行きました。会場は、Marrige Office と呼ばれる、役所のようです。公証人の方が立ち会って、式を執り行います。最後に書類に揃って署名。Benのお母さんと私が親族を代表して署名しました。漢字で大丈夫でした。みなさんで写真を撮って、おしまいです。あっけないと言えばあっけないし、質実剛健と言えば、そのとおりです。

終わってからは、会場のすぐ横にある公園に行って、美しい緑の中で記念撮影を行いました。BenもAyaちゃんも幸せそうでした。これから新しい生活が始まるのです。お父様は病気療養中で、長いはできないので、写真を撮ってからしばらくして、車で帰られました。

私達は4名でタクシーに乗り、予約してあったレストランに向かいました。私は席の関係で、Benのお兄さんご夫婦と歓談しました。お兄様は、日本でいうと日本郵政株式会社に当たるような会社にお勤めのようです。その中でも扱っているが、小包が主で企業との取引が主なもののようです。

奥様とお話した時には、夢の話をしました。19歳でモーリシャスからオーストラリアへ移住してきたので、それまでは公用語のフランス語が母国語でした。こちらに来て英語を使う日々が始まったのですが、いまでも夢を見る時はどちらの言葉でみるのですか、と尋ねました。ニッコリと笑いながら、フランス語の事が多いです、との答えでした。

Day 6 20190504 Australian football

■いよいよ今日でメルボルンを去らなければなりません。昨日は結婚式、そして親族の皆さんと三度も食事を共にしました。夜はヤラ川沿いの中華レストランで、Ben のお母さんと現在のパートナーと6名で夕食を共にしながら歓談しました。

オーストラリアン・アクセントに苦労する私の体験をお話しました。二重母音の発音の違いは、本当に戸惑います。一瞬には聞き分けができないのです。例えば、食べるの過去形 ate は、私達はエイトと発音しますが、彼らはアイトと発音します。すると、昨日は何を食べた、という意味で、エイトではなく、アイトと聞かれると、さっぱり分かりません。映画マイフェア・レディでの二重母音の矯正は、あまりにも有名です。あの映画の中に出てくる、スペインの雨は主に平野に降る、という二重母音の連続する文章を暗唱して見せました。お母さんは驚いたようです。

そんな会話を通して、とても親近感が増したように思いました。

■さて今日は昨夜の6名で、オーストラリアン・フットボールを観戦に出かけました。Ben が誘ってくれたのです。以前Geelongのお宅で、このゲームをテレビ観戦した記憶があります。とにかくオーストラリアの人々は、このゲームが好きのようです。プロリーグもあり、スター選手が国民の間で人気者です。大人席で、27 オーストラリア・ドルでした。

私達には、サッカーとサグビーの間の子、のようなゲームに見えます。つまりは、サッカーのようにも見えるし、ラグビーのようにも見える、という次第です。基本的にパスをする際にはボールを投げるのではなく、蹴ってパスするのです。使用ボールはラグビーボールより少し小ぶりの楕円形、と解説には書かれています。実に上手に蹴ってパスします。投げるよりも遠くの仲間に繋げることができます。大(ゴールポスト)と小(ビハインドポスト)が4本並んでいて、真ん中のゴールポスト間の空間に蹴り込めば(持ち込むのではありません)6点。その左右の大ポールと小ポールの間に蹴り入れれば、1点といった具合です。

サッカーのように走り、ラグビーのようにタックル、バスケットボールのようにドリブルし、バレーボールのようにジャンプ。スピーディな展開とダイナミッ クな個人技でオーストラリアでは不動のNo.1スポーツとして知られているのです。いわば世界で最も激しい球技といえます。

こうして1クウォーター20分 X 4回の試合を観戦しました。時々、小雨がパラつき、観戦するには少し肌寒い天候でした。それにもかかわらずBenが買ってきてくれたビールを、2杯も飲んでしまいました。スポーツ観戦では興奮するので、この気候でも飲めてしまうのでしょうか。試合は結局、Benのご贔屓のチームが、メルボルンのチームに僅差で敗れ、Benにはほろ苦いビールになってしまったようです。

  • オリンピックの記念像のようです。

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■こうしてメルボルンの日々も、あっという間に過ぎ去りました。まだまだ先の話と、たかを括っていたのですが、その日は確実にやってくるのです。Takuの結婚式のときも、そう思いました。まだまだ先だと思っていたのですが、あっという間にその日が来てしまいました。今年は異例中の異例である十連休という暦になりました。昨年この連休のツアーの申し込みをしたのですが、発売と同時に売り切れてしまいました。一時は飛行機の切符も手に入らない可能性もあり、とても心配したのですが、なんとかエコノミーの座席を確保することができました。今こうして無事に帰ってきて思うことは、行くときは昼間の便でしたので、9時間半の飛行も苦にはなりませんでしたが、帰りは夜中に飛ぶ便でしたので、眠ることがほとんどできずに参りました。あるネットの記事には、9時間以上飛行機で、夜間しかもエコノミークラスでの旅行は拷問に近い、と書かれていましたが、確かにその通りだと感じました。夜行便では確かにその通りです。次回からは、ビジネスクラスで行きたいものだと、つくづく思いました。当たり前ですが、もう私ども夫婦は若くはないのです。夜行便はとても辛く感じました。メルボルン直行便は残念ながら、時刻表の関係で今回と同じような予定になりそうですので、行きは昼間の便で帰りは夜の便という形になりそうです。

昨年1月に続いてのメルボルン訪問でしたが、世界で最も住みやすい都市として、何度も選ばれているだけのことはあると思います。 日本はこれから夏に向かいますが、メルボルンは南半球ですので、ちょうど反対ということになります。これから冬に向かいます。Ayaちゃんによれば、とても寒い日もあるので気をつけてね、という話でしたが、最後の日に6人でオーストラリアンフットボールを観戦した時に、時折雨がぱらつき寒さに凍えました。 しかしそれ以外は幸い、寒さを感じることはありませんでした。乾燥した気候ですので、一日中雨ということは、あまりないようです。 夏には気温が40°を超えることもあるようですが、日陰に入れば湿度が低いためにひんやりしているようです。 このあたりは、ハワイ気候というよりも、むしろスペイン気候と言った方が近いのかもしれません。37年前に新婚旅行として二人で初めてスペイン旅行に出かけましたが、まず驚いたのが、その乾燥した気候でした。 あのナポレオンが、「ピレネーの向こうはヨーロッパではない。アフリカだ」と言った気持ちは、実際に出かけてみると実感することができます。 スペインに行くと、地面は赤茶けているのです。緑の大地、という形容は、少なくともスペインには当てはまらないようです。土地が貧しいのです。これはスペインの歴史を考える時に、とても大切なことのように思います。 50周年記念で出かけるのは体力的に無理でしょうから、40周年記念で、もう一度同じコースを回ってみたいと思っています。


訪問して、やはり驚くのは、その人種の多様性です。とにかく様々な肌色の人々が街を行き交っています。アジア系と思われる多くの人々が街を闊歩しています。オーストラリアは島国ですから、アメリカのように陸続きのメキシコから膨大な量の不法移民が流入してくるということはありません。 しかしいずれヨーロッパからの白人移民の末裔が、少数派に転落する日が来ることは間違いありません。その時オーストラリアという国でどんな状況が発生するのか、他人事とはいえ、Ayaちゃんが永住することとなった今となっては、関心を持たざるを得ません。 アメリカのように何百万人という不法移民が、 安い賃金で現地の人々から仕事を奪ってしまう、あるいは麻薬の密輸を巡って犯罪組織が強大な力を持つ、という事態がオーストラリアで起こるとは考えにくいのですが、 10年後にどのような社会が形成されるかは、私には想像もできません。

 

オーストラリアの人々は、人生を楽しんでいます。しかし、それは美味しいものを毎日食べたり、豪華なものを身にまとったりという意味では決してありません。むしろ毎日の生活は日本よりも、ずっと質素なほどです。例えば毎日の夕食などは、私たちから見ると彩(いろどり)がなく、とても寂しい夕食に見えます。もうこれで夕食のメニューは終わり?、と肩透かしを食ったようにすら感じます。我が家も決して食生活に凝る方ではありませんので、夕食といっても、むしろ粗食に近い方かもしれません。それでもサラダがあり、主菜があり、味噌汁があり、そして白米が食卓に上ります。しかし、こちらでは私の経験した限りでは、まず野菜はあまり食べません。つまり、生野菜が食卓に上らないのです。私ども夫婦は食事といえば、まずサラダから始めるのが流儀ですので、こちらのそうした習慣には大変驚きました。ある時などはフライ料理だけで終わってしまうこともありました。例えば白身魚のフライ、ポテトフライ、そして鶏の唐揚げといったあんばいです。こうした料理の内容では、健康にもあまり良いとは私には思えません。最近は日本人の間でも魚を食べる機会が減り、野菜を食べない子供達が増えているということを耳にしますが、健康面を考えると、これは決して良いこととは思えません。

 

一方そうした健康面での意識がとても高い人の中には、いわゆるベジタリアンの方が出てくる訳です。Benの実のお姉さんはベジタリアンだと聞きました。かなり厳格なベジタリアンのようです。確か魚も食べないということでしたので、主たるタンパク源は植物性、つまり大豆ということになります。さすがに私などは、そこまで強い意志はありませんので、大好きな寿司を止めるなどということは、できそうにもありません。生活自体はとても質素に見えます。長時間残業労働をしたり、休日まで出勤して仕事をするなどということは、まずないようです。勤務時間なども私たちなどから見れば、ちょっといい加減にすら見えるほどです。日本人が几帳面すぎるのかもしれませんが。

 

そんな国から日本に帰ってきて、日本という国はある意味「薄利多売」という言葉が、ぴったり当てはまる国だということに気づいたのです。病院の外来は、どこも患者さんで溢れかえっています。日本の医療費は諸外国と比べれば、とても安価なのです。しかもどこの病院、どこの診療科でも自由にかかることができるという、世界でも例のない仕組みが確立されています。もちろんそれは素晴らしいことではあるのですが、しかし一方、そのために患者さんも長い待ち時間にイライラし、医療関係者は多くの患者さんを短時間で見なければならないために、十分な意思の疎通が取れずにいます。お互いにとって不幸な状況があるのです。まさに薄利多売の典型的な状況です。こうした薄利多売的状況を維持するために、コンビニは24時間営業しなければなりませんし、多くの労働者が疲れきってしまうのです。日本が貧しく発展途上国であり、右肩上がりの経済状況であった時には、それでも良かったのかもしれませんが、明らかに時代は変わっています。それにもかかわらず、時代錯誤的な、そうした仕組みを維持するために、安易に外国人労働者に頼ろうとしている今の政策は、将来に大きな禍根を残すと私は感じています。今こそ、私たち1人ひとりが、自分たちの国の仕組みを、あるいは自分たちの生活のあり方をどうすべきなのか、真剣に自分の頭で考えるべき時に来ているのではないでしょうか。短い期間ではありましたけれども、オーストラリアに滞在してみて一番感じたのは、その点でした。