■20200101(水曜日:晴れ)

島根県の日御碕灯台です。

■さて、いよいよ2020年の始まりです。昨夜は年越しそばを食べて、2人で久しぶりに冷たいビールを飲んで、年が明けるのを待ちました。紅白歌合戦も最近は観ていても少しも面白くありませんので、私はリナックスについて少し勉強していました。

リナックスとは、パソコンを動かす基本ソフトの1種です。多くの方がパソコンといえばWindowsで動いていると思っておられるかもしれませんが、リナックスの最初の原型がインターネット上に発表されたのは確か1991年だったと思います。

フィンランドの学生だった、リーナス・トーバルズさんが遊びでこんなものを作ってみたんだけれど、皆さん使ってみてくれませんか、と投稿されたのが始まりでした。

やがて、Windows95が発売され、パソコンといえばWindowsが、まさに世界標準となりました。しかし、その間もリナックスの改良はインターネット上で続けられ、まずはインターネットの縁の下の力持ち、サーバーを動かす基本ソフトとしてリナックスが次第に勢力を増していきます。

さまざまな努力にもかかわらず、パソコンを動かす基本ソフトとしてのウインドウズに立ち向かった勢力は、すべて撃退されました。情報端末はパソコンで決まり、そしてwindowsが世界を支配すると誰もが思っていたところに出現したのがスマートフォンでした。

最初はアップル社がつくるiPhoneでした。瞬く間にiPhoneは身近な情報端末として数量的にはパソコンを凌駕していきます。その後発売されたのが、Androidを搭載したスマートフォンです。

Androidは基本的にGoogleから無料で配布されますので、世界中のメーカーがiPhoneとは異なる基本ソフトで動くスマートフォンを発売し始めたのです。そして今やスマートフォンの多くが、Android端末となったのです。

そして、このアンドロイドという基本ソフトは、実はLinuxからできているのです。デスクトップ市場でウインドウズの代替機になろうとしたすべての試みは、葬り去られましたが、実は、スマートフォンの出現によって情報端末を動かす基本ソフトとしては、リナックスがウインドウズを打倒したのです。この間の歴史は大変興味深いので、また詳しく調べてみたいと思っています。

■さて今朝の東京新聞元日版は、残念ながらあまり読みたくなるような記事がありませんでした。この中で一番興味を惹かれたのが「新春川勝知事に聞く、リニアは考え直せ」でした。環境への配慮が最重要、と題した項目の中で、川勝知事はこう語られています。

20世紀は戦争の世紀あるいは革命の世紀と言われている。それに対応させると21世紀は環境と生命の世紀と言えるのではないか。その中で首都圏、中京圏、関西圏による6500万人の一つの経済圏を作るのは本当に必要なことか。富士山の下にリニアが通るとなったら誰も許さないと思う。南アルプスならいいのか。芸術の源泉や自然に対する畏敬、信仰の対象。そういう念を持たなければいけない。環境と生命の世紀という観点から言えばはっきりしている。リニアは考え直せと。

また対談をされた、東京新聞鈴木孝昌・東海本社編集局長の以下の発言は、なるほどと納得させられるものでした。

リニア建設の国家プロジェクトか、住民の暮らしか、という構図は、原発と似ている。国や事業主は絶対安全、大丈夫だと言いながら、事故が起きたら想定外でしたと言う。地域の人たちは故郷を追われる。同様のことが起こり得る。

マスコミの力もあって、川勝知事だけがゴネていると誤解されている節もあります。しかしながら川勝知事が主張されていることは、21世紀にとって、まことに極めて重要な問いかけなのです。

私たち静岡県民はこの知事の主張を応援しなくてはなりません。取り返しがつかなくなってからでは遅いのです。いつまでたっても、日本は同じことを繰り返す国であってはならないのです。

■さて今日は、休日当番日。順番ですから致し方ありません。8時から17時まです。重症な患者さんが来ないことを祈るのみです。

昨年は自分自身が白内障の手術を受けました。正直恐ろしかったのです。一つは、どうしても避けられない合併症の問題があります。どんなに注意をして手術をしても、現在でも2千例に一例、眼内炎が発症します。つまりは重篤な視力障害を残す、ということです。自分はそうした確率には該当しないだろうと、誰もが思うのですが、もちろんそれは単なる気休めに過ぎません。

幸い私は術者としては、こうした症例を経験したことはありませんでした。しかし自分が逆の立場に立たされないという保証は、どこにもないのです。それに何が起こるかわからないのが手術です。どんな名人が行っても、100%絶対安全な手術など、どこにもないのです。

そのことを理解しているだけに、自分がいざ手術を受けるとなると、やはり恐ろしいのです。それでも受ける気になったのは、やはり見にくいということが、大変不便で不快だからです。仕事に差し支えることも、当然大きな理由でした。

私の場合、強度近視の不同視でした。本を読む際には、老眼にもかかわらず右目で本が読めました。布団の中に入って寝付くまでキンドルで読書をするのが日課でした。寝付くまで老眼鏡をかけて読書をするのは、不便ですし興ざめです。

手術が無事に終わってみて、幸いいまのところ合併症も無く、本当に快適です。日常生活には眼鏡は必要ありません。目をぶつけるのが怖いのと、中学校の時からメガネを掛けていましたので、眼鏡なしでは、なんだか裸で外を歩いているようで恥ずかしさもあります。

裸眼で不自由が無くなりましたので、度なしのレンズでも良くなりました。つまりはファッション・グラスで、おしゃれもできるようになったのです。メガネ無しの自分の顔は、鏡に写してみると、なんだか間が抜けているように自分には見えます。誰もそんなことは気にもしていないのですが。

昼間の運転には不自由がありません。夜の運転も、走り慣れた道、明るい道なら問題ないのですが、その逆のコースを走るとなると、いささか不安ですので、これから目も変化していくとは思うのですが、とりあえずの運転用のメガネも作成しました。軽度の近視眼鏡です。

しかも以前と違って、ほとんど左右一緒の度数です。まだ時間が経っていないので、なんとも言えないのですが、左右差が無くなったことで、肩こりが起こらなくなったように感じます。

中学生の時から、肩こりが扁桃腺炎とともに、私の二大持病でした。受験勉強をしている時は、たいへん苦しみました。昔は肩甲骨に隣接した、いわゆるケンビキと呼ばれる肩こりのツボをビール瓶で叩いてもみほぐしたりもしました。これは辛い治療法でした。叩いた後に湿布薬を貼って治すのです。いまでは、とても推奨できない治療法です。

やがて20年前ぐらいでしょうか、ぶらさがり健康法を始めました。ぶら下がることでケンビキをストレッチして、血流を良くして、肩こりを改善するのです。これは私に、とても合っていました。つまりは、とても楽になったのです。嘘のように肩こりが消失したのです。

ぶら下がりを最初始めた頃は、3秒くらいしかぶら下がれずに驚きました。自分の体重を支えるだけの腕の筋力が、もはや無くなっていたのです。滑り落ちてしまうのです。これも気長に少しずつ時間を伸ばしていきました。今では一分間ぶら下がることも可能となりました。肩が凝った時にぶら下がると、ケンビキが伸ばされていくのが体感できて、本当に天国に来たような、幸福感を覚えました。

ところが手術をしてからは、肩こりが起こっていないのです。まだ時間的に2週間しか経っていないので、結論を出すのは早すぎますが、左右のバランスが取れて、しかも経度の近視という疲れ難くい屈折状態が奏功しているのかもしれません。

兎にも角にも、35年ほど前に扁桃腺を摘出したことを除けば、自分にとっては中学以来、50年ぶりの最大の肉体改造手術だったようです。眼内レンズの度数を変えることで、左右の違いを帳消しにしてもらいました。これが功を奏しているかもしれません。とにかく、これからも体の変化を記録していくしかありません。

■さて今朝の東京新聞を読んで拍子抜けしたのは、年頭に当たって今という時代がどういう時代なのか、そして今後日本はどうあるべきなのか、という大きな視点の記事が見られなかった点です。

例えば山口県で発行されている長周新聞の以下の記事と比較すると、よくわかります。「カネが支配する社会変える新時代の政治運動の始まり ―年頭にあたってのご挨拶―」。クリックすればページを読むことができます。

私は定期購読者ですが、まだ配達されてきていないので、あとでゆっくりと読む予定です。誠にそのとおりだ、と思いながら私も読みました。このままの政治を続けていると、本当に国が壊れてしまう。十分今でも壊れているとは思うのですが、テレビを見ているだけでは、そのことに気付かないのです。そこが一番恐ろしい点なのです。しかも多くの日本人が日常的にテレビしか見ない状態で生活しています。

絶望的な状況とは、まさに今の日本の状態です。為政者に国民を幸せにしようという気概がない。その場限りで誤魔化しておけば良い、という信念で政治をしていますから、救いがありません。マスコミや労働組合、そして野党を含めて歯止めが見つかりません。ブレーキが効かない状態で坂道を下っているようなものです。

2020年は、オリンピックに浮かれている場合ではないのです。根本的に社会のあり方を変えるつもりで、一人ひとりが真剣に自分の頭で考えないと、日本は本当に奈落の底に落ちてしまいます。二度と立ち上がることができないかもしれないのです。