■20200216(日曜日:雨)

新千歳空港上空から見た様子です。ゴルフ場は閉鎖状態です。

■今日は朝から雨でした。久しぶりの新沼津カントリークラブBクラス月例出場だったのですが、いかんせん天候が悪すぎました。結局ハーフだけ回って競技は打ち切り、お風呂に入って食事を取りながらの表彰式となりました。

大の仲良し甲野藤さんが見事3位に入賞し、今日たまたまご一緒した杉山さんも4位に入賞し、私達の組の4人のうち2人が5位以内に入賞という素晴らしい成績でした。

自分自身は全くひどいスコアで、最初の一番ホールで第1打は見事にチョロ。右に左にOBも重なり、本当に酷いスコアでした。月例への出場は3ヶ月ぶりでしたでしょうか、コースを回るのは久しぶりなので、まあこれも致し方がない、と次回を楽しみにするしかありません。

要は、フォームが身についていないのです。打つたびにバラバラですので、このスコアは致し方ありません。

■さて今日の東京新聞「昭和遠近 短歌に見る時代相 第6話 島田修三」は、なかなか身に詰まされる内容でした。「学校給食、敵国の支援に複雑な思い」です。山田あき歌集『紺』1951年の一首が紹介されています。

ゆたかなる ララの給食煮立てつつ 日本の母の 思いはなぎず

この一首は、栄養豊かなララの支援給食を煮立てながら、日本の一人の母親として私の思いは和むことがない、と歌っているのです。

ララとは、『アジア救済連盟の略称で、アメリカの複数の民間団体が連携し、窮乏する日本を始めアジア諸国にララ物資といわれた食料、医薬品などを供与した』と、あります。

島田さんは、しかしこうも書かれています。

一首が歌うように、ララ物資の給食は当時ではさぞ栄養豊かだったろう。栄養失調の危機に瀕する子供のためにはありがたく思いつつも、つい昨日までの敵国から受ける施しに母の心は穏やかではないのだ。

母親たちの思いは複雑です。戦争拡大に向けて、国家は母親達に産めよ殖やよと檄を飛ばし、将来の兵力の増強を目指したのです。そして敗戦と共に、この子供達を飢えさせ、かつての鬼畜米英の親玉から情けを受けているという母親の意識は複雑に屈折したものであったに違いない、と島田さんは指摘しています。

この屈折感は、実はその子供達にも影を落とし、後年まで引きずることになったとも指摘しています。

島田さんは昭和32年から38年まで東京の区立小学校に在学しましたが、ずっと給食で育ちました。忘れがたいのはララのミルク、脱脂粉乳だと書かれています。

ララの脱脂粉乳は特に粗悪で、本国では家畜の飼料用だったことを後になって島田さんは知りました。あの酷い不味(まず)さは、まさにそうだからなのだろうと納得したのです。納得はするが、心中は決して穏やかではない、という島田さんの気持ちは、同じ経験をした私にもよく理解できるのです。

日本人はいまだにこの屈折感あるいは屈辱感から立ち直っていないようにすら、私には思えるのです、精神的な整理整頓がきちんと未だに済んでいないのではないか。そして、その心の屈折感が、対米従属に甘んじながらもアジア諸国に対して居丈高に振る舞う私達の精神的な根っこになっているのではないか、とすら私は感じているのです。

■今日は北陸地方で春一番が吹きました。南風が吹いたのです。ところが明日からは大荒れの天候が予想されています。西日本では大雪が予報され、ふだん大雪など降らない地方でも、被害が心配されています。

今日で月の半ばが過ぎましたので、そろそろ月100キロの目標達成を気にしなければなりません。明日の朝は雨にはならないという予想ですので、なんとしても走って積み重ねをする必要があります。

一昨日には今年の直木賞を獲得した小説「熱源」が届きましたので、読み始めました。北海道の白老町にあるアイヌ記念館を作者が訪れたことから、この小説が芽生え始めた、という新聞記事を読みました。私自身も一昨年、千歳JAL国際マラソンを走った後に白老町のホテルに投宿しました。残念ながら、アイヌ記念館は訪問しなかったのですが、縁を感じます。

また宗谷岬から見た樺太は忘れることができません。二度訪問したのですが、最初の訪問で宗谷丘陵から、沖合に見事に見ることができました。本当に泳いで渡れそうにすら感じる距離なのです。

小説の舞台になっている樺太が、どんなところなのか、読み進めるのが楽しみです。

■現在20:00ですが、激しく雨が断続的に降り続けています。今夜いっぱいは、こんな天候が続きそうです。明日の朝には、間違いなく上がってくれていると信じて、明日は早起きするつもりです。

今日配信されてきた、田中宇さんの以下の記事は必読です。

世界に蔓延していく武漢ウイルス

事態が一刻も早く収束してほしいと願っていますが、現実は厳しいようです。政府の対応が後手後手に回って、いまや手遅れに近い状態になりつつあるようです。感染する母集団が大きくなれば、重症化率が低いとはいっても、犠牲者が増えることは容易に予想ができます。

アメリカは早い時期から中国からの人の出入りを遮断していました。日本では、そうしなかったのです。観光面などへの配慮があったのかもしれません。しかし今となっては、後悔先に立たず、となっています。深刻化しないことを願うばかりです。

東京マラソンの開催は難しそうですし、中止すべきだと私には思えますが。