■20200903(木曜日:雨)

昨年出掛けたベトナム・ニンビン省のフォー店です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日9月初めてのランニングを行いましたので、月100キロ走に向けて、無事にスタートをきることができました。何事も千里の道も一歩からです。とにかく始めないことには目標まで到達することはできません。最初の一歩が、なかなか出ないのです。

今朝はどんよりとした雲が空を覆っています。資源ごみ回収の日でしたので、瓶やペットボトルなどを所定の位置に運んできました。玄関を出るとパラパラと雨が降っています。傘をさすほどではありませんでしたけれども、天気予報通り今日は一日雨模様の天候になりそうです。

■このブログも2ヶ月ほど英語版を作成しています。 自分自身の英語力だけでは、もちろん英語に変えることはできませんので AI (人工知能)の力を借りています。

Google 翻訳であったりDeep L であったり、その時々で異なるのですが、英語版を作ることは、むしろ分り易い日本語を書くためにも、とても良い勉強になると思います。

書いた日本語の文章は当然のことながら、自分の頭の中では筋が通っています。そもそも自分の頭の中で筋が通っていなければ他の誰もが理解できるはずがありません。ところが自分では筋が通っていると思って書いた文章を AI に翻訳してもらうと、私程度の英語力でも明らかに意味が通じない翻訳になることは多々あります。それは AI の力不足なのではなくて、そもそも私の日本語の文章自体がとても理解しにくく筋が通っていないことが原因なのです。

「これはペンである」という中学校で習う英語の第一歩となる文章を AI に翻訳させれば100%間違えることはなさそうです。私が書く文章は文学ではありませんので、一番大切なのは自分が書こうとしている内容が、少なくとも読む人間に理解してもらえるかどうかということです。

ですから基本的な決め事を守っていれば、それほど大きな誤解は生じません。文章はなるべく簡潔に。あるいは主語と述語はなるべく近接させる。

この程度の規則を守るだけでも、 AI が誤解する可能性がかなり低下します。

新聞記事を引用することも多いのですが、その中に書かれている、識者のコメントなどが意外と曲者なのです。もちろん私が読む分には、何の問題もなく理解できるのですが、それを AI で翻訳させるととても奇妙な文章になることはよくあります。

字数の問題から新聞記者が要約をして記事にしていることも多いでしょうから、そのことが分かりにくさを助長しているのかもしれません。

この AI による翻訳作業は、翻訳精度を求めることも大切なのでしょうが、元になる日本語の文章を分かりやすく組み立てるという点からも、かなり役立つように私には感じられます。

このことに一人でも多くの方が気づいて試されると、人目につく日本語の文章が、より分かりやすいものになるのではないかと私は期待しています。AI翻訳の持つ意外な効用なのです。