■20210723(金曜日:晴れ)

最後の一日でした。

■さて今日で楽しかった北海道旅行も終わりです。始まってみれば、あっという間でした。新さっぽろ駅から、まずは札幌駅へと電車に乗りました。札幌駅行きには、多くの乗客がいました。さすがは札幌です。



今日はまず大倉山ジャンプ競技場へ向かいました。Sunが以前一人で訪れてみて、とても良かったので、もう一度行こうということになりました。

札幌駅に降りて、キャリーバッグを預ける場所を探しました。ロッカーコーナーがあり、大きめのサイズのロッカーは、2つのキャリーバッグが入る大きさで、700円でした。コロナ禍で観光客も少なくロッカーも幸い空いていました。

以前東京駅で預けようとして、ロッカーは満杯で預かり所を探した経験があります。

そして丘珠空港行きのバス停を確認しました。大丸デパートの道路を挟んで真向かいでした。これでOKです。15時50分発のバスに間に合うように帰ってくればよいだけです。

今度は地下鉄を乗り継いで、地下鉄円山公園前でバスに乗れば良いことを確認しました。バスの名前は「くらまる号」。これに乗らないといけません。

無事にバスに乗り込み、到着です。あの日の丸飛行隊が、1972年札幌オリンピックの70m級で、メダルを独占したジャンプ場です。

■駅に戻るついでに北海道神宮にも寄りました。

■先週から東京オリンピックも始まりました。選手たちは懸命にプレイをしています。しかしコロナ禍で炙り出されたオリンピックの闇の真相により、以前のように無邪気に声援を送るというわけには、もういかなくなりました。それが多くの国民の偽らざる心境でしょう。

帰りの飛行機の中で、信濃毎日新聞社を読む機会がありました。その中で、戦前の満蒙開拓団の記事がありました。貧しかった農村の口減らしに、多くの長野の農民が満州に送り出されたのです。そして多くの犠牲者を生みました。

ところが調べてみると、送り出された開拓団は、関東軍によって守られていたのではなく、むしろソ連から関東軍を守るための弾除けとして、最前線に送り出されていた、というのです。

多くの関東軍は開拓団を見捨てて、さっさと退却して帰国しています。国民が軍隊によって守られるのではなくて、弾除けにされたのですから、まるであべこべです。東日本大震災、熱海の土石流災害を始め、自衛隊の皆さんによって、日々国民が守られていることを実感している現在とは、本当に隔世の感です。

でもいま開催されているオリンピックって、ひょっとするとかつての満蒙開拓団に似ていないか、と思いあたったのです。選手たちにしても、ボランティアの皆さんにしても、誰かの利権を守るために弾除けにされてはいないか、という思いです。その誰か、とは誰なのか。IOCのみなさんなのか、上級国民と呼ばれる一部の日本人なのか。

馬脚を露わしたオリンピックについて、もう一度考え直してみることは、この国の未来のためにも不可欠だと思うのです。

それにしても連日、本当に暑い毎日でした。本当に北海道に来たのか、と不思議な気がしました。日陰に入れば、関東地方よりは涼しさを感じるものの、決して過ごしやすいという日中ではありません。

それでも雨に遭うこともなく、青空が迎えてくれたのですから、感謝するしかありません。今年も昨年同様、千歳JAL国際マラソンは中止となり、6月に北海道に来ることができませんでした。

次回は、いつ来ようかと二人で思案を始めています。富士山静岡空港から飛んでいる北海道行きの便は、ANA便が廃止となりFDA便のみとなりました。つまりは時間的にも、行き先の空港にも選択肢が減ったわけです。千歳行きが無くなったのです。

一番需要がありそうに思うのですが、実際には廃止されています。札幌丘珠空港のほうが、札幌市には近いのですが、私達が行くのは、むしろ千歳空港からのほうが便利なのです。また千歳空港便が復活してくれることを願うのみです。

駅ビルに帰ってきて、遅めの昼食を取ろうと、ビル内の回転寿司店に行ったのですが、待ち時間がなんと一時間を超えました。すごい人気なのです。結局30分足らずで飲み込むように寿司を食べて、バス乗り場に急ぎました。ギリギリセーフです。

空港に着いてみると、待合室には搭乗客が結構いるので驚いていると、なんとかなりの人が釧路行きの便に乗ってしまったのです。プロペラ機です。丘珠空港は道内線のハブ空港だったのです。

無事に富士山静岡空港に到着し、我が家へと急ぎました。やはり我が家が一番です。こうして夏休みも終わりました。