■20220104(火曜日:晴れ)

2018年、初めて訪れたメルボルンの様子です。世界で最も住みやすい都市として有名です。市場に行きました。

■昨日で三が日も終わり、今日から仕事始めの方も多いはずです。私は1日だけ休暇を伸ばし、仕事始めは4日からとしました。仕事柄、年末は忙しいのですが、年始は暇なのです。

昨日は2人で箱根駅伝を最初から最後まで楽しみました。調べてみると、10年前の2012年に、Takuと3人で箱根へ出掛け、小涌園のカーブの所で選手を応援しました。ちょうど宿が取れたのです。

あの時は2日の往路では3人で応援に行ったのですが、3日は雪が降ってSunだけが歩いて宿から出かけ応援に行きました。

もう、あれから本当に10年が経ってしまったのです。家族の様子も、すっかり変わりました。それぞれが自立して家庭を持ち、Sunと2人だけの生活が当たり前になってしまいました。

それでも元日には、NonちゃんとTomo君とおせち料理を食べ、正月を祝いましたし、昨日はTakuからビデオ電話が入り、MasatoやYukoさんの元気な顔を見ることができましたので、とても嬉しい元旦でした。

年末年始の帰省ラッシュで道路は大混雑になりますから、今年は日をずらして、Taku一家とは月末にみんなで会うことにしました。それまで風邪を引かずにお互い身体を大切にしよう、と話して終わりになりました。

■さて、今朝の東京新聞には、「出自の鎖 強みにした・隠さず就活 福祉の道へ」。厚労省職員・高橋未来さんが、「壁を越えて」欄に登場しています。

高橋さんは3歳から名古屋市で暮らした後、家庭内暴力のため、9歳から18歳は東京都渋谷区の児童養護施設で育ちました。静岡大学卒業後、2020年厚生労働省に入省。現在は血液対策課に勤務されています。

家庭では物心つくと、父親が家族に暴力を振るっていました。自分の下にはきょうだいが2人いて、家はとても貧しかったそうです。父親の暴力から逃れ、子供達は母親とも離れ保護所に一時入りました。

子供たちは夜毎、親を求め部屋の隅で膝を抱えて泣いていましたが、高橋さんは違いました。「ここの方がまともな暮らしができる」。

18歳まで施設で過ごし、100年以上続く施設の歴史で初めて大学に進学しました。高校時代のアルバイトで貯めた100万円を手に、静岡大学へ。家賃700円の壁一面カビの生えた学生寮で、待ちに待った20歳を迎えました。

「成人し後見人も必要ない。ようやく自由になれる」。しかし、就職活動をするたびに、新たな壁にぶつかりました。緊急連絡先、身元引受人、実家の住所などなど。当初は正直に施設について書類に書き、面接で語ったそうですが、企業側は理解できなかったようです。

最終面接に残ったインフラ系大企業の人事担当者は、内定には保護者の承諾書が必要だ、と言い、取れませんとうつむく高橋さんに、「あなた、大学まで行かせてもらって、育ててもらって、親に相談せずに就職先を決めるの?親への感謝が足りない」。

頭が混乱し、帰りますと言い残し、内定を辞退、そのまま休学したそうです。

施設から離れ、新しい自分として、強く前向きに生きていくんだって、希望を持って生活していたのに、22歳でまた、壁にぶつかって。やっぱり私は逃れられない運命なんだって。ショックだった。

その後、高橋さんは厚生労働省の面接試験では、施設で過ごした自分の半生をありのままに語り、採用されました。現在、血液対策課に勤務しています。

「貧困、生活保護、母子家庭、家庭内暴力、様々経験した私は福祉分野で役に立てると思うけど、いつまでも過去に縛られるつもりはない。今の仕事も楽しいから」。厚生労働省は、ナイスです。公務員の大切さを再認識させられました。

誌面ではこれからも、困難な状況に人はどう向き合い、どんなことを感じながら乗り越えるのかを、年齢や性別、国籍など様々な壁に挑む人達を紹介する、と最後に書かれています。次回の連載が楽しみです。