■20220110(月曜日:曇:成人の日)

6年前に出掛けた川崎大師の様子です。大勢の参拝客で大混雑でした。商店街もにぎわっています。

■今日は成人の日、休日です。昔は成人の人は1月15日だったように記憶していますが、いつの頃からか連休になるように変更になりました。休日で休む私のような仕事の場合、それはそれで助かります。

しかし現在では、働く人の4割が非正規社員ということで、いわば日給・月給のような形で働いていますので、休日が必ずしも、ありがたいわけではないようです。

働ける日数が減れば収入も減るわけですから、休日が増えればありがたいと単純には言えない面があります。同じ給料がもらえるのであれば、休みが多い方が良いに決まっていますが、そうした環境にある方は次第に、少なくなってきています。社会全体が大きく変わり、ゆとりがなくなってきています。

■さて、今日の東京新聞には、さまざまな興味ある記事が載っていますが、6面では「あの人に迫る・勝ち残るために組織を変革せよ・中竹竜二チームボックス代表取締役」が語られています。

書き出しの部分はこうです。

「変化の激しい時代の中で、勝ち続ける企業や組織に求められるものとは。企業のリーダー育成を手がける「チームボックス」代表取締役の中竹竜二(48)さんは、目には見えない「組織文化」の変革こそが大切だと説く。

早稲田大学ラグビー部監督時代、部員から「日本一オーラがない監督」と言われながら母校を二度、全国優勝に導いた。常勝への第一歩は、自らの弱さを認めることだという。」

この記事を読んで感じたのは、これは何も企業における組織文化だけの問題ではなく、日本という国全体に当てはまることではないかという思いです。

変化の激しい時代、国際社会で勝ち残っていくために日本企業に求められることは何か、という記者の質問に対して、中竹さんは、こう答えています。

「グローバル化では資本や資源を持った企業が勝つので、安易にそこの競争に乗らないこと。自分たちの価値を定義し、文化を大事にすることが大切だと考えます。

経営者はもちろん、一般の社員も、自分たちの組織の価値は何かを考える機会を作っていくことが求められている。組織文化の変革は時間のかかる作業ですが、根気よく続けることですね。」

日本の社会が大きく劣化しているように見えます。戦後、勢いだけで突き進んできた時代を経て、変化に対応しきれていないように思うのです。

そんな時に、国民一人ひとりが、自分の頭で考え、どう行動すべきなのかを、中竹さんは教えてくれているように私には思えるのです。

■今日は休日です。穏やかで部屋の中にいる限りは、暖かな日和です。部屋の掃除をしたり、布団を干したりしながら、たまたまテレビで再放送を見ました。「おらが春」です。

おらが春〜小林一茶〜

初回放送日: 2002年1月3日

15 歳で故郷・北信濃から江戸へ奉公に出された小林一茶(本名・弥太郎)(西田敏行)は、葛飾派の俳諧師として、江戸で活動していた。相撲番付ならぬ俳人番付では、小さく下のほうに載る程度の活躍だったが、富津の名主の奥方・花嬌(かたせ梨乃)には慕われている。花嬌が亡くなり、父・弥五兵衛(財津一郎)が倒れた、という知らせを聞いて一茶は帰郷し、妻をめとり、子を授かるが、生家との確執は続き、妻や子を次々亡くし…。

20年前の作品です。どの俳優さんも若いのに驚きます。それにしても、壮絶な小林一茶の人生です。そして、すごいエネルギーです。51歳にて故郷(柏原:長野県信濃町)に戻り、ようやく安定した生活を始め、何と52歳で最初の妻を迎えます。

しかし最初の妻との間に生まれた子供4人は夭折し、妻にも先立たれます。そしてネットによれば、

再婚相手との結婚生活は早々に破綻し、身体的には中風の発作を繰り返し、64歳の時に3度目の結婚をするものの、65歳で亡くなる数カ月前には火事で自宅を焼失するなど、後半生も不幸続きの人生であった。また一茶は弟との遺産相続問題などが尾を引いて、故郷柏原では必ずしも受け入れられず、一茶自身も故郷に対して被害意識を最後まで持ち続けた。

1828年1月5日に亡くなっています。豪雪地帯である故郷柏原を読んだ句は、決して誇張ではないそうです。

これがまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺