■20220511(火曜日:晴れ)

霧島市の台明寺渓谷公園です。清流を楽しみました。

■今朝は走らずに5時半まで、ゆっくり休みました。昨夜は体がだるくて、片付けをする気には、とてもなりませんでした。Sunが一生懸命片付けているのを分かっていながら、どうにもこうにも、体がだるくてまいりました。葛根湯を飲んで、早めに休みました。

明日12日から、いよいよ改築工事が始まります。そうなると、キッチン、お風呂、手洗い、洗面所などなど、全く使えなくなってしまいますので大変です。とりあえず、三階に避難生活をするしかありません。

廃棄コンテナを用意してもらいましたが、すでに一つは満杯で、昨日引き上げてもらいました。二つ目を、今充填中なのですが、もう間もなく、いっぱいになりそうです。

あと重要な廃棄物は食器です。使っていなかった瀬戸物が、山のように残っています。今日は最後の仕上げとなりそうです。

■さて、昨日の東京新聞「今週のことば」では、愛知専門尼堂長・青山俊菫さんが、兼好法師の言葉を解説してくれています。

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。

(無常を根底とする文化)

兼好法師

有名な言葉です。私などは、満開に咲いた花をのみ楽しみ、あとは知らん顔というのが、例年の楽しみ方です。兼好法師はもちろん、それではいけない、と説いているのです。花も月も移ろいゆく全てを味わえ、楽しめというのです。そして、青山さんは、こう話されています。

人の命を重ねてみるならば、萌え出づる春の季節、壮年の夏の季節、落葉の秋の季節、冬の荒野にたたずむ冬の季節。

いずれもそこでしか見られない景色を味わい、楽しんでゆこうというのである。

そう言われてみると、今の自分にとって大切なのは、まもなく69歳を迎えようという、今の自分にしか見えないもの、感じられないものを味わい尽くせ、ということかもしれません。