敗戦記念日

金曜日:曇

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■今朝は走りました。朝のランニングは昨日休みましたので、今朝は比較的スムーズにスタートすることが出来ました。朝の5時に目覚ましが鳴りましたが、それほどグズグズすること無く床から抜け出し、準備に入ることが出来ました。

 先日神田のランニングショップで硬いと指摘された足首も、少しずつですがストレッチの効果が出ているような気がします。8.56 キロを走りました。

■さて今日は敗戦記念日です。69年になります。それ以前には鬼畜米英として、一億火の玉になっていたとは、戦後生まれの私には想像もできないのですが、300万人もの同胞が犠牲になったのですから、白昼夢でも何でも無く現実だったのです。

 今朝のニュースでも取り上げられていた特攻隊の若い隊員の手紙を読むと、涙を禁じえません。彼らを英雄視するだけでは彼らの死が無駄になってしまいます。なぜ大切な戦力でもある若者の命を、まるで銃弾のように粗末に扱ったのか。それを命じた作戦本部の責任をきちんと追求しなくてはダメです。

 心理学者の岸田秀さんも著書の中で指摘していたように、アメリカの軍幹部たちは日本の兵士は勇敢で恐ろしい存在だったが、指揮官たちの愚かさには信じられない思いだった、と述懐しています。失敗することがわかっているのに、まるで判で押したような作戦を繰り返すばかりだった、というのです。こちらは準備して待っていれば、日本の方から網にかかってくれた、というわけです。

 司馬遼太郎さんが言うように、日露戦争までの軍幹部にはリアリズムがあったが、それ以降は精神主義ばかりが跋扈した、ということなのでしょうか。

 何はともあれ、きちんと敗因を分析して次回に備える、という当たり前の事をしないで済ませてしまう日本のやり方が、2011年の原発事故やサッカーのワールドカップ一次リーグ敗退まで、少しも変わらず繰り返されてきた感は否めません。

 今後の歴史の中で、また同じ過ちを繰り返すのではないか。安倍政権のやり方と、それを支持する日本人の様相を見ていると、その事を何よりも心配せざるをえないのです。



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