(ベトナム枯れ葉剤被害者支援の会)
2008年8月26日

ニンビン省イェン・モー郡
イェン・ドンA小学校にて





いよいよ私ども夫婦にとっては最後の日。ニンビン省イェン・モー郡イェン・ドンA小学校を訪問し、学校検診と音楽療法をしました。


■前夜、予定されていた学校が急遽変更となり、北村さんを始め幹部のみなさんは対応に追われたようです。


  ホテルを朝の6時に出発。道は舗装されておらず、まるで昨日アメリカ軍に爆撃を受けたのではないか、とすら思えるようなデコボコ道を二時間かけてたどり着きました。


 近辺にはA、Bの二校があり生徒数900名を超える規模のようでしたが、今回私たちが訪問したのはA校。生徒数は300名ほどでした。


  子ども達は、校庭での音楽療法と教室での眼科検診を平行して受けましたが、実に整然と検診を受けていく子ども達には、感心させられるばかり。日本の学校より、ずっとやりやすい面もありました。


ニンビン省イェン・モー郡イェン・ドンA小学校

凸凹道をホテルから二時間も掛けて到着。

農村にある典型的な田舎の小学校のようです。




女性の校長先生でした




のんとあやと一緒に学校眼科検診

感染症が多いから、と校長先生から話を聞いていましたが、検診の後の感想では、

日本の子ども達よりよほど綺麗な目をしていました。

アレルギーがほとんど無いためではないでしょうか。たまたまかもしれませんが。




校庭で整列している子ども達




のんが代表して校長先生に衣類を贈呈しました




沼津西RCのみなさんからいただいた援助金で、A、B校に文房具を贈りました





■こうして、一週間近くに渡ったベトナム支援の旅が終わりました。子ども達は、この後も支援の旅を続け、30日に帰国しました。


この学校検診が終わると直ちに二時間かけてホテルに帰り、慌ただしく昼食を取った後に、私ども夫婦は今度はタクシーにて三時間掛けてハノイ空港に向かいました。


成田への直行便が無かったので、いったんホーチミン空港に飛び、26日の夜中の便で成田に向かいました。


ベトナム料理はフォーがよく知られています。日本人には違和感のない野菜や魚料理が中心でしたが、暑さのためでしょうか、塩分が大変濃いように思いました。暑さの中での活動のためか、疲労も蓄積していたのでしょう。帰りの飛行機の中で睡眠薬代わりにと赤ワインを飲んだのですが、夜中に吐き気で目が覚め嘔吐してしまいました。


普段デスク・ワークばかりですので、体力は衰えるばかり。ウォーキングとエアロ・バイクで鍛えていなかったら、とてもこのような活動を最後までやり通せなかったでしょう。仲間の中には70歳を超えている方もおられました。体力的に大変きつい旅だったとも思いますが、最後まで脱落者もなく無事に旅行を終えたようです。


■こうした国際援助の旅は初めてでしたが、援助することの難しさを肌で感じることができたのは大きな収穫でした。ただただ、お金を出せば援助になる、と思うのは浅はかというものでしょう。国によっては必要な物資が必要な人々に確実に届くかどうか分からないのです。


 また、届いた物資が本当に、一人一人にとって必要なものなのかどうかも、実際に現地に行って確認しないと分かりません。援助物資がかえって人々の自立を阻害することすらありえるのです。必要なのは車椅子ではなくてリハビリ指導だった、と思われるケースもあるのです。本当に難しい問題だと知りました。


 青年海外協力隊隊員 新井 智子さん、梶田 梨栄さんにお会いできたのも望外の喜びでした。このような海外の片隅で日本の若者が、援助を必要としている人々のために人知れず黙々と働いている姿を見て、本当に勇気づけられました。願わくば日本に帰ってからも、こうした経験が生かされる環境が整っていることを心から願うばかりです。


■こうした活動を長年にわたって続けてこられた、支援隊の皆様の活動に感動するとともに、眼科医として少しでもお役に立てたことは大きな喜びでもありました。ましてや、家族と一緒に活動できたことで、これまで自分が知らなかった子ども達の一面も知ることができ、父としても大変収穫の多い旅でした。


  活動を終えて帰ってきたホテルで夕食前に、その日の活動について四人で色々話し合っていると、二人の娘たちは自分が思っていたより、ずっと正確に状況を把握し、しっかりと物事を考えていることに驚くとともに、私たち夫婦二人の子育ては間違っていなかった、と誇らしい気持ちすらしました。


 こんな機会を与えていただいた支援隊の皆様に心から感謝して報告を終わりたいと思います。


■世界中の子ども達に教育の光が注がれることを、心から願って止みません。





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