この国のかたち(1998年7月掲載)

 11年前の原稿ですが、今年必ず行われる衆議院選挙にも当てはまりそうです。11年経っても、あまり事態は変わっているとは思えません。何か困ったことがあると、国に頼ることに慣れきった私たちには、これからの時代は厳しすぎるかもしれません。

 日本人は知恵のある民族ですから、学ぶべきところは学んで、世界から憧れの眼で見られるような、新しい日本型の社会をぜひとも築いていきたいものです。残された時間はあまりないのが実情ですが。

 それにしても、現在アンナさんはどうしているでしょうか。インドに生まれドバイに移り住んでいたようですが、この金融危機でドバイも大変なようですから。

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント(1998年)

 6月にオランダのアムステルダムで行われた第28回の国際眼科学会へ行って来ました。初めての国際学会でした。これまで、なかなかチャンスがありませんでした。

 行くに当たって自分なりの決心をして行きました。それは日本人同士で集まって集団行動することを、なるだけしないことでした。それなら日本の学会で十分だからです。かの地に住む人々とできるだけ言葉を交わすように、それを最重要課題として取り組んでみました。

 おかげでほぼ一週間、日本語を話す機会が無い程でした。到着した日に、遊覧ボートで知り合ったアンナさんとは、話が弾みました。国を離れて強かに行き抜く女性のたくましさを感じると同時に、控えめな人柄も同時に魅力に花を添えていました。
 
 そんな会話を通して、今の日本のあり様を考えざるを得ませんでした。

 学会出席のために、先日オランダへ行ってきました。たまたま話す機会のあった人々との会話を通して、国のありようの違いをずいぶんと考えさせられました。

 インド生まれのアンナさんとの会話は、乗り合わせた遊覧ボートで始まりました。たまたま座席が近かったのです。何気なく彼女が持っていたヴァン・ゴッホ美術館のポスターに興味を引かれて、話し掛けてみました。生後数年で国を離れた彼女は、中東諸国などを経て、現在はシリコンバレーで働くバリバリのキャリアウーマン。単一通貨ユーロの誕生を前にヨーロッパは有望な市場とのこと。前日も夜遅くまで報告書を書いて電子メールで本社へ送ったばかり。そんな忙しい中での美術館訪問。忙しい中にも心の豊かさを感じさせる話しぶりでした。

 一方ドイツに駐在する旧友が、家族連れでわざわざアムステルダムまで来てくれました。仕事がら日本からの経済人を接待しなければならない機会の多い彼の言葉には、絶望感に近いものがありました。ある特殊法人の理事に電話をしたところ会議中とのこと。それではと、会議が終わったら電話をいただけますか、とお願いしたところ、理事に対して電話をしてくれとは、いったいおまえは何様のつもりなのかとひどく叱責された上、しばらくして電話を掛け直すと、もう理事は家に帰ったとのこと。その上、なぜ帰る前に電話をしてこなかったのかともう一度怒鳴られたそうです。お互い忙しいのなら、なぜ電子メールで連絡を取りあってくれないのだろうかと、彼は悲しそうに言っていました。またある金融機関の幹部は国際会議となると、大名行列さながらに山のようなお供を伴ってやってくるそうです。一方欧州のそれに相当する幹部は、自分一人かせいぜい秘書一人を伴ってやってきては、車もみずから運転し会議も自分の判断で対処し、さっそうと帰っていきます。その姿には本当に清々しさすら感じるとのこと。日本の幹部はお供を連れてオペラでも見に行くつもりなのでしょうか。
 
 私はこの二人の話を聞いた時、その余りの違いに、腹立たしさを通り越して実に暗澹たる思いになりました。不良債権の処理に何兆円という我々の税金が投入される一方で、こんなバカバカしいやつらがのさばっている日本の現状が、何ともやりきれなかったのです。

 我々はいまこそ真剣に自分の国のありようを考える時に来ています。時おりしも参議院選挙。国民一人一人が真剣にこれからのこの国のかたちを考え、有権者全員が投票所に足を運んで欲しいと、私は切に願うのです。それ以外に日本を変える手段は無いのです。上記の彼我の差は、8時間の時差以上にはるかに大きく、このままでは大切な日本の未来が大変暗いものにならざるを得ないということを、ぜひ一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。


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