2014年02月16日(日曜日:晴れ)第七回伊豆マラソンハーフの部完走


■先週末の大雪で開催が危ぶまれましたが、昨日の 15 時大会ホームページに予定通り開催される、との発表がありました。こうした場合、昔はどうやって参加者に連絡していたのでしょうか。今やスマホやパソコンで大会本部のホームページを確認するのは、当たり前の時代になりました。参加申し込みもネットを通して行います。

 こうして今朝 6 時 58 分発の電車に乗って三島駅まで行き、伊豆箱根鉄道線に乗り換え、修善寺駅に到着しました。参加証のハガキには三島から修善寺まで一回に限り乗車できる無料券となる、との記載があり有り難く利用させてもらいました。

 修善寺駅に到着すると、まだまだ雪が相当残っているのに驚きました。やはり原とは格段に違います。










■三島駅からは伊豆箱根鉄道で修善寺まで行きました。30分ほどです。修善寺に近づくに連れて残雪が目立つようになりました。修善寺の駅舎の周りには、まだまだ写真のように雪が積もっていました。

 まずは受付です。ゼッケンを貰わなくてはいけません。このゼッケンを胸と背中に取り付けるのが、結構面倒なのです。ピンで止めるのですが、これ以上無駄がない、と思えるほど小さなピンなのですが、指先の細かい作業が歳を取るごとに難しくなってきていますので、ゼッケンの取り付けは難行苦行の一つです。これで結構時間を取られます。

 それから受け取った記念品を、どうするか。大きめのタオルと公式ブックです。ランニング用のリュックを持っていったのですが、受け取ったビニール袋は、かなり大きなもので、とてもリュックに入りそうにありません。確認してみると、参加者はその中に着替えなどを収納してゴールまで運んでもらえるサービスを受けられることを知りました。

 伊豆マラソンの場合、スタートとゴールが別ですから荷物を取りに、またスタート地点まで戻ることはできません。こうした、いわば一方通行の大会に出たことが、私はこれまで無かったので、こんなサービスがあることを知りませんでした。知っていれば、もう少し暖かい格好をしてきても良かった、と反省しました。1月19日の東京マラソン・ランで寒さに凍えたトラウマから、とにかく寒くなるのが怖かったのです。膝の痛みが起こらずに、走り続けていれば、まず凍えるということは無いのですが、いったん歩き始めると風が矢のように体を射抜きます。万が一のためにリュックにダウンをしまって走りました。

 スタートは、9時2分予定。5分以内と書かれたプラカードを持っている人がいたので、なんのことかと思っていると、キロ5分以内で走る力のある人は前の方に並んで、それ以外の人は後ろに並んで下さい、という意味でした。もちろん私は後ろに並びました。一応制限時間もあります。10キロ地点など、何箇所か設けられています。トータルでは、2時間半が制限時間です。目標はキロ6分以内で走り切ること。可能なら2時間を切ることができれば最高なのですが、膝のことを考えると、制限時間内に完走できれば最高でしょう。

 以前家族で登った葛城山の頂きが真っ白なのを確認しました。












■伊豆マラソンの魅力は、何と言っても雪を頂いた美しい富士山を見ながら走ることができることでしょう。苦しい中、止まりたくはなかったのですが、これはと思う地点でデジカメを取り出して、何枚か取ることが出来ました。

 上記のグーグルマップを見ると、走ったコースが一目瞭然です。愛鷹山越しに富士山が見えます。週末の雪で富士山も、すっかり雪化粧が済みました。富士山と狩野川。富士山と伊豆箱根鉄道。そして田方平野と富士山。富士山は、どの風景とも合います。我らの富士山です。

 私達には、富士山を毎日眺めるのが当たり前ですが、実はそうした人たちは、日本全体からすれば少数派です。ランニングの会などでお話をすると、一度で良いから富士山を実際に見てみたい、という話を聞いて驚きます。毎日見ることのできる環境に住んでいることを感謝しなければいけません。

 スタートする前に係の人から、まずは白坂踏切を制限時間内に通過しないと待たされてしまい、10キロでの制限時間クリアが難しくなる、というお話を聞きました。普通に走っていれば大丈夫だから心配しなくて良い、という説明を聞いて安心しました。スタート時点では、とにかく膝の痛みと寒さだけが心配でした。痛みが酷くなると、歩くしかなくなります。すると風の冷たさが骨身に沁みるのです。こうなると、どうしようもなくなります。1 月 19 日の東京マラソン・ランの悪夢が蘇ります。

 さてスタートして 10 キロ地点、伊豆長岡温泉までは快調でした。膝も痛まず、風は強く向かい風でしたが、順調にペースを刻みました。ところが、12キロの地点、韮山駅付近で伊豆箱根鉄道の線路を横切った辺りでしょうか、違和感を感じ始めました。まずい、と思いながらも、サポーターの力を信じて恐る恐る走り続けました。なるべく負担を掛けないように、と心がけるものの、恐恐走るしかありません。

 沿道には、どの場所にも声援の人々がいてくれて、声をかけてくれました。これまでにも沿道からの声援には何度もお世話になったのですが、今日は新たな発見がありました。「頑張ってください」と声をかけられて、今までは有り難い、と思いながら黙って通過していたのですが、今日は「有難うございます」と声に出して答えながら走り抜けたのです。不思議なことに、そうすると力が湧くのです。30メートルほどしか、その威力は続かなかったのですが、その度に声援がありましたので、切れ目なく背中を押してもらった感じです。

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 精神的な意味もあると思いますし、実際に声を出すことが呼吸を楽にする効果もあると思います。交差点ではお巡りさんが交通整理をしてくれていましたので、「有難うございます」と勝手に声を出して交差点を走りました。

 136号線でしょうか、一車線通行となって渋滞していたのですが、ボランティアの交通整理の担当者に、罵声を浴びせているドライバーに出くわしました。急いでいたのでしょう。イライラするのは分かりますが、かわいそうな人だと思いました。原因がはっきりしているわけですから、何もそんなに口汚くボランティアを罵ることもないだろう、と思えたのです。哀れな人です。血圧が上がるだけ損なのですが、そこまで心のゆとりもないのでしょう。

■韮山のSunの実家に行く時に通った道を横切って走りました。懐かしい韮山平野です。そこから、しばらく走ると農家の方がランナーにイチゴをプレゼントしてくれていました。イチゴの産地なんですね。ハウスでイチゴ狩りを家族でしたことを思い出しました。美味しかったです。小粒の、たぶん商品には向かないものだったのでしょうが、走っている身には最高の滋養でした。感謝、感謝です。でも、食べずに捨てられて、踏み潰されているイチゴも結構あったのですが、イチゴが嫌いなランナーがいたのでしょうか。もったいない話です。私は一個食べただけで、すごく楽になった気がしましたが。

 Sunと二人で以前、彼女が通った韮山中学校へ車で行ったことがありました。授業中に先生の話を聞かないで富士山ばかりを眺めていた、という話を聞きましたが、確かにあそこから見る富士山は綺麗だろう、と想像出来ました。あの日は残念ながら雨模様でした。今日は最高の晴天です。その中学校へ登る道を右手に見ながら走り抜けました。








■途中地域の方々が鐘や太鼓で応援してくれたのも力になりました。何箇所か忘れてしまうほど、繰り広げられていたように思います。地域の大切なイベントとして、みなさんが応援してくださるのが伝わってきて、走っていて大きな力になりました。

 いよいよ三島に入りゴールが近づいて来ました。今回は東京マラソン・ランの時と違って、ランニング・ウォッチもほぼ正確に距離を刻んでくれましたので、心の準備もできていました。あと三キロぐらいがキツイのですね。膝も痛くなって来ました。サポーターのお陰で走るのを止めようとは思いませんでした。

 最後の三嶋大社への直線でゴールが見えてきました。このゴールが見えてきた時の嬉しさと言ったら、例え様もないほどです。それだけ苦しい時間を耐え忍んできた、ということです。ゴールすると役員の方が胸のゼッケンに付いたIDチップを取り外して下さいました。

 ほっとしていると、Sunが待っていてくれました。地獄に仏でした。やっと終わったという実感が湧きました。それから三嶋大社まで二人で歩きました。以前夏祭りの時に二人で出かけたことがありました。大社の一番奥の駐車場にトラックが並んでいて、預けてあった荷物を頂きました。ゼッケン番号による抽選には外れてしまい景品はもらえませんでしたが、充分楽しませてもらいました。地域の人々や運営役員、ボランティアの方々の誠意や真心が、私にも充分感じられた素晴らしい大会だったと思います。

 まだ雪の残る境内に咲く紅白の梅の前で、二人で記念撮影をしてから三島駅に向かいました。湧き水の流れる情緒ある三島の町並みを楽しみながら二人で散歩しました。今日は、本当に楽しい一日でした。最後はSunと二人でおしゃべりをしながら家路に付きましたが、それも楽しい思い出になりました。感謝、感謝です。