味の素スタジアムでのハーフマラソン


2013年5月19日(日曜日:晴れ)


 数日前の天気予報では雨模様ということでした。気温は低くないようでしたので、風邪をひく危険性は低いので、雨だけで取りやめるつもりはありませんでしたが、前日になって予報が曇り空に変わってきてホッとしていました。実際には今日は曇り空どころか、晴天の絶好の行楽日和でした。これが大きな誤算でした。

 3月3日、初めてのハーフマラソンを走った駿府マラソン当日の最高気温は 11 度。ところが今日の最高気温は、24 度。13度の違いがこれほど辛いとは夢にも思いませんでした。味の素スタジアムの周囲を三周するコースには、調布飛行場などがあり、草花も綺麗に咲いていて私達ランナーを迎えてくれていたのですが、沿道で応援する人が殆どいませんでした。

 懐かしいユーミンの歌、「中央フリーウェイ」は、まさにこの付近を走った様子を歌ったに違いありません。途中飛行場にプロペラ機が舞い降りてきました。この時は、まだ余裕があったのです。

 二周までは何とか走ることができたのですが、体調も手伝ったのかもしれませんが、最後の三キロは死ぬ思いでした。現実に 18 キロの地点で男性が一人、大の字になって倒れていました。役員の方が付いておられたのでお任せして通り過ぎましたが、気持ちは私も一緒でした。とにかく脚が前に出ないのです。こうした時に沿道での声援は、確かに力になると実感しました。

 給水所は何箇所も用意して下さっていたので安心でした。とにかく暑いので、自分で感じる以上に脱水になっている筈ですので、こまめに水分を補給しました。

 学生時代にテニスをしていたお陰か、心肺機能が音を上げる、という事はまずないのですが、とにかく、何をどうあがいても脚が前に進みません。歩いてしまえば、それで楽にはなるのですが、完走するのが公約ですから、死んでも止まるわけには行きません。

 止まってしまえばどれだけ楽だろう、と本当に何回思ったことか。つまらない事に意地を張っても意味が無いではないか、さっさと歩いてしまえ、という声が、どこからか聞こえてきます。少し歩いてから、また走り直した方が記録はむしろ良くなるかもしれません。でも、こうなったら意地しか無いのです。子ども達や友人に完走すると約束した、その意地だけなのです。

 残り 2 キロ。本当に苦しくなりました。そこで、「タク、ガンバルゾ」と自分で声を出しながら走ることにしました。右、左、右、左と脚の運びにも、ちょうどピッタリ。これで少し楽になりました。強制的に声を出し息を出すことで呼吸が改善されたのかもしれません。

 いよいよゴールの味の素スタジアムの周囲を走るところまで来ました。でも、まだまだここからが大変でした。それでも有難かったのは、スタジアムのお陰で日陰を走ることができたことです。日陰と日向では天国と地獄の差がありました。

 こうしてスタジアムへの入り口に、ようやく辿り着きました。残り 300 メートルほどでしょうか。後はトラックを走るだけです。でも、ここからの何と遠かったこと。本当に遠く感じました。何千歩脚を進めても、ゴールまで届きそうもない、と感じたのです。最後は頭が、ボーとして来ました。声も出なくなりました。倒れる寸前でした。

 そして何とか無事にゴールに辿り着きました。いつもならここでランニング・ウォッチのスイッチを切って、記録を確定するのですが、今日はそれすらも忘れてしまいました。頭が仮死状態だったのでしょう。

(●^o^●)

 ゴールした私の様子をみて役員の方が見かねたのでしょうか。ゼッケンの裏のチップを、取ってくださいました。そして給水所ではヒシャクで二杯も頭から水を掛けてくれました。私の頭が、よほどボーとしているように見えたのでしょう。これで少し生き返りました。

 走り終わっても、すぐに座り込んではいけない、しばらくは歩き続けなさい、というのが金哲彦コーチの指導です。分かっているのですが、今日は駄目でした。立っていられませんでした。日陰に避難してへたり込んでしまいました。

 しかし、そうもしていられません。まずはロッカー室に戻ってカメラを取ってきて記念写真を取らなければなりません。階段を登らなければならないのです。

 ロッカー室で荷物を出して階段で腰掛け休んでいると、何と右脚の太腿が痙攣し始めました。痛みに顔が歪みました。幸い一分ほどで止みました。もらってあったバナナを慌てて食べました。

 今度は階段を降りてグランドまで向かい記念写真を取るべく所定の場所に行きました。家族連れの方にお願いしてシャッターを押してもらいました。これで記念撮影は無事終了。また階段を登ってロッカー室の隣のトイレの洗面台を目指しました。まさに難行苦行です。まさかこんなに何度も階段を昇り降りさせられるとは、夢にも思いませんでした。

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飛騨給駅から味の素スタジアムに着きました。


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ドーム状のスタート位置です。


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 ゴール時は中央の入り口からスタジアムに入ります。そこから、上の写真のゴールまでの、何と遠いことか。


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 走り終わって一息ついて。ロッカーに戻ってカメラを取ってきました。記念写真を何としても取らないといけません。階段を何往復したことか。

 写真は一見元気そうですが、精(せい)も根(こん)も尽き果てました。


 写真を取った後は、もう一度階段を登りトイレの洗面所に向かいました。本当はシャワーをしたいのですが、それは無い物ねだり。インフルエンザ予防のためでしょうか、今はどこの洗面所でも手洗いのための液体石鹸が置いてあります。濡らしたタオルに、それを振り掛け体を何度も清拭しました。

 着替えも終わって、ようやく一段落。タイムの記録用紙は、どうやら今日は発行してくれないようですので、駅を目指して歩き始めました。途中のお店は、どこも満員。さて、どこで昼食を取るべきか。迷いましたが、結局コンビニでコーヒー牛乳と冷たいお蕎麦を買って、駅の片隅のベンチでいただきました。風通しもよく、落ち着くことが出来ました。

 時間は十分ありました。今日一日を振り返りました。何より苦しい二時間余り。こんなに苦しい時間を経験したのは、久しぶりでした。もう止めよう、もう止めて歩こう、と何度思ったことか。でも結局最後までスピードは落ちたものの走り続けたのは、我ながらよく頑張ったと褒めてやりたい心境でした。

 どうしてでしょう。何が自分を支えていたのでしょう。やっぱり子ども達でしょうか。子ども達に恥ずかしくない父でありたい、というそれだけでしょうか。

 さらには、富山のMIDORIさんに完走する、と約束していたのもありました。子ども達が小さい頃、近所付き合いで大変お世話になったMIDORIさんは、いま病と戦っています。辛い化学療法や放射線治療も受けています。SUNと同級生ですから、まだまだ元気でいてくれないと家族が可哀想です。SUNがお見舞いに出かけていますが、私はマラソンのために行けませんでした。

 昨夜は何十年ぶりに、MIDORIさんにメールで連絡しました。何と言って彼女を励ましたら良いのか迷いましたが、敢えて病のことには触れませんでした。明日自分はマラソンを走るので応援して欲しい、と頼みました。励まされることに彼女は疲れているに違いない、と思ったのです。支えられる側から支える立場に立つことも生きる力を生み出すためには必要だ、と考えたのです。

 何にしても、完走できたのは本当に嬉しい限り。ゴールに辿り着く、この瞬間のために、あの苦しさを耐えてきたのです。自分に取っても、周りの人々に取っても、何か幸いがもたらされれば良いのですが。

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 完走記録証です。今はネットでDLして下さい、と連絡してくれます。ゼッケン番号から検索しているんでしょうか?