地域に学ぶ(1997年4月掲載)

 地元出身でない私は、いわば落下傘部隊。地域に知り合いなどいませんでした。ただただ、仕事をする場所、というのが実状でした。

 嫌々始めたこの子ども会の活動も、終わってみれば楽しいことばかりでした。仲間が良かったのでしょう。鶴橋ご夫妻とは今も仲良くお付き合いしています。
 
 文字通り終の住み処であるこの地域に、心を許せる仲間を持つことは、何よりの財産なのでしょう。

 それにしても子どもの数が減ったものです。昨年ベトナムへの支援の旅に出掛け、農村地帯での子だくさんには驚くばかりでしたが、日本も昔はあんなふうだったのでしょう。

(2009年1月)

ホームページ掲載時コメント

 一年間地域の子ども会の世話人代表を勤めました。最初は家内に背中を押されるようにして、いやいや始めたのですが、仲間が良かったのでしょうね、途中からは本当にまたみんなに会うのが、楽しみになりました。私はお飾りのようなものでしたが、それでも一応代表ですので、みんなの和を大切にそれぞれの人が、それぞれの個性を出せるように気を使ったつもりです。押し出しの強い人、控えめな人、明るい人、暗い人、いろいろアイデアを持っている人、何も考えていない人、そして仲間に融け込もうとする人、最初から仲間に入ろうとしない人。9家族の中身は様々でした。

 それでもご主人達が仲間に加わってくれたのは、本当に大きな、そして嬉しい誤算でした。結局手伝ってくれたご主人は、おもに4人だけでしたが、それでも夫婦で関われるというのは、雰囲気が違います。企画の決定や進行の様子が全然違います。世の中には女も男もどちらも必要だ、と痛感しました。97年度の世話人の集まりには、一人も男が出て来ていないのを見ると、私たちの年度は本当に良き仲間が集まったものだ、と感謝したものです。そんな地域の良き仲間を得た喜びを書きました。

 しかし、この発表が行われた新世話人研修会に対する、沼津朝日の取材は実に残念な内容でした。私ども子ども会の発表に関しては、ほんの一行程度の記事しか無く、残りの一面のほとんどを使って、当日特別講演の演者として来られた、元オリンピック選手室伏さんの講演を延々と紹介しているのです。

 もちろん室伏さんの講演の内容を云々しているのではなく、(実際は私は子ども達を引率して帰らなければならず、内容は直接確認していません。)やはり地域に密着した地方紙という観点からすると、バランス的にどうなのだろうか?という疑問です。

 実際に私たちの発表を見てくれた友人達からは、子ども達の生き生きとした演技は素晴らしかった、とお褒めの言葉をいただきましたが、あの紙面からは何も分からない、という指摘ばかりでした。正直な感想としては、沼津朝日の記者は当日私どもの発表は見ていないのではないか、そんな感想を持ちました。

 後日、あの紙面のバランスはおかしいのではないか?もう少し配慮があってしかるべきではなかったか?と社に疑問を投げかけましたが、まことに残念なことに何の返答も今だにありません。地方紙のあり方、いや大きく言うとマスコミのあり方を考える、とても良い経験でした。

 いまマスコミの暴力が話題になっています。被害者の人権がないがしろにされている、という指摘です。地位も名誉もない私どものような一市民が、事実に反する内容の記事により、どれほどひどい傷を負うかは、松本サリン事件で良くおわかりのはずです。

 それほど重大ではないのですが、今回のように、ほんの些細なある記事に対して疑問を持った時、私どもに残された手段にはどんなものがあるのでしょうか。そうした疑問を受け止めてもらえる可能性は、限りなく小さいようです。インターネットの出現で、私のような本当に虫けらのような一市民にも、多くの人に自分と同じ疑問を共有してもらえる可能性が出現しました。使いようだと思います。

 3月16日沼津市民文化センター大ホールにて、沼子連の新世話人研修会が行われました。私ども原東沖子ども会は、モデル子ども会として、一年間の活動体験発表を行いました。1年生から6年生まで70名の子ども達と、世話人15人での発表でした。

 昨年8月25日東沖集会所並びに東沖公園で行った、ミニミニサマースクールの模様を、「地域に学ぶ」と題して、子ども達の寸劇を中心に披露したのです。まず昨年2月に、今の新世話人が集まって決定した方針並びに活動報告をした後、子ども達の寸劇です。体験発表が近づくにつれ、どんな発表にしようか、と6 年生を中心に世話人みんなで真剣に考えました。さまざまな意見がでましたが、結局ミニミニサマースクールの模様を寸劇にして発表しよう、という意見が取り上げられました。それから、家内が書いた脚本に沿って何度も何度も子ども達と練習しました。世話人の鶴橋さんが、世話人の思いも一緒に寸劇にしよう、と提案し、みんなも最初はちょっと尻込みしたものの、最後は懸命に取り組みました。

 要旨は、地域そしてそこに住む障害を持った人々など、さまざまな人々に学ぶことにより、みんなが仲良く自然に暮らすことが福祉の原点なのだ、ということを子ども達と共に学ぼうというものです。子ども達は当初戸惑いながらも、次第に役になりきって行ったようです。大ホールでもたじろぐ事無く、堂々としたものでした。その後数多くの友人から、子ども達の演技の素晴らしさに感激した、とのお褒めの言葉をいただきました。

(詳細は名古家のホームページ(澄代のページ)へをご覧ください。)

 世話人の反省会を模した最後の寸劇では、一年の体験で得た思いを、世話人一人一人が自分自身の言葉で語りました。私自身は、「ボランティアというと、大震災や重油回収などがすぐ頭に浮かぶけれど、こうした足元での地域活動こそ、本当のボランティアではないか。それに子どものためより、実は大人達自身のためでもある。会社中心で生活しなければならない男性達を、退職後受け入れてくれるのは地域社会しか無い。地域に根を生やし、地域に多くの友人を持つことが、一生を通して考えれば、最も心豊かな人生を送れるのではないか。自分もこの一年間の活動を通じて、一生の友を地域に持つことができた事が、実に思いがけない、そして何よりの収穫だった。子ども会であると同時に、私にとっては大人会でもあった。」と述べました。地域に一生の友を得たことが、何よりの収穫だった一年でした。

ただ、一つだけ残念だったのは、当日来賓として出席された教育長さんが、御自分の挨拶が終り次第、私たちの発表を見ること無く帰られたことです。学校だけが教育の場ではないと思うのですが。



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