黙祷(2000年12月掲載)

 原稿の中に出てくる次女と先日二人でココアを飲みました。手渡すのを忘れていた品物を渡すために駅まで出てきてもらったのです。一緒にコーヒーでも飲む、と誘ってくれ、始めて二人きりでココアを飲みました。成人式も昨年終え、来年には大学も卒業予定。

 いつの間にか一人前になろうとしています。三人の子ども達それぞれが社会人になろうとしている今、こんなこともあったんだ、と今更ながら思い出す9年前の原稿です。

(2009年2月)

ホームページ掲載時コメント

 先日の夜、子ども達の勇気と優しさにちょっぴり感動した事件がありました。

 自分が子どもたちを育てているつもりが、実は子どもたちに育てられている、という発見をした事件でした。


 先日の小雨の降る寒い夜、隣の家の前で車に轢かれて死んでいる猫を、学校から帰ってきた子ども達が発見しました。家に入るなり食事もとらず大騒ぎをしている子ども達に理由を尋ねると、これからその猫を埋葬に行くとの事。興味津々で後からついて行くと、近くの公園の片隅に穴を掘って埋葬しようというのです。

 地面が固く長女の力ではなかなか適当な大きさにならず、私も手伝って完成。さすがに素手では怖いのか、ポリ袋を手袋代わりに猫を大事そうに運んできた次女が、その穴の中へ猫を安置し、土を掛けて埋葬が終わりました。するとその時、高校一年生の長男がこう叫んだのです。

「黙祷!」

 こうして寒空の下、名前も知らないのら猫のために家族全員で黙祷を捧げたのです。子ども達の勇気と優しさに、ちょっぴり感動したでき事でした。

 この事件のことを後日妻と二人で話していると、中学一年生の次女との間にこんな会話があった事を教えてもらいました。

 「死んだ猫を持っていった彩ちゃんの勇気にも驚いたけれど、お母さんが一番驚いたのは、お父さんが付いて来て、一生懸命手伝っていたことよ。昔だったら、絶対そんなことはしなかったんじゃないかな」

 「それはつまり、私達子ども三人がオヤジ虫を(今、反抗期なのです)少しはましな人間に育ててあげたってわけね」

 子どもを育てているつもりが、実は自分が育てられていることに、その時気付きました。『子どもと歩いて親になる』、とはこのかと納得した黙祷事件でした。



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