10月24日午後からの被害者家庭訪問の様子
2014年10月24日(金曜日:晴れ)
■午後からはフンさんが選んでくださった四件の被害者家庭訪問をしました。地域のまとめ役の皆さんと相談してくださったようです。どの家庭も様々な問題を抱えていました。
ベトナムでは、国、省、群、村という単位で行政区画があるようです。今日は村長さんも同行して下さり、常日頃村民の面倒を見ておられることが分かりました。
順番 | 被害者名 | 生年月日 | 親の名前 |
---|---|---|---|
一軒目 | DINH THI MAO(ディン ティ ハオ) | 1984年 | 母 VU THI MIN (ブー ティ ミン 60 歳) |
障害児の長女を母が面倒を見ている。ご主人は1972年に従軍。1975年に帰郷。1980年に結婚。今年の4月、62歳で肺癌で亡くなった。長女は知能障害で幼稚園の頃から症状が出はじめて、小学校は2週間で登校できなくなった。2,000年にバクザン省の病院で正式な診断を受けた。現在、自分のことは何とか自分でできる。農作業は手伝えない。三人の子どもがいるが、あとの二人の息子さんは元気。現在出稼ぎ中。仕送りはできない。副村長さんが同席。村の様子を、よく知っている。
母親が農作業を独りでしている。作物はコメのみ。牛一頭。鶏も飼っている。娘さんは手伝えない。娘さんへは国から月当たり 3,500 円ほどの援助がある。1,200 平米の農地。コメは食料と肥料と、若干販売している。
父親は村長さんと一緒に従軍。枯葉剤が散布されたのは知っていた。従軍中散布している現場は見ていないが、森の中に枯葉剤のドラム缶が放置されていたのを見ていた。森の木々には葉が無かったのを覚えている。
医療機関で診察を受けて、娘さんの障害は枯葉剤のためだと診断された。母親は診断を知らされた時の気持ちは、みんなひどい目にあったし自分だけではないから仕方がない、父親は帰ってきてくれたのだから、それだけでも良かった、と思っていた。父親は娘の障害を知ったとき、戦争だから仕方がない、と諦めていた。
困ったときは、近所のみんなが助けあっている。娘さんは結婚できないだろうから将来が心配だ。
順番 | 被害者名 | 生年月日 | 親の名前 |
---|---|---|---|
ニ軒目 | NGUYEN BAN MAN(グェン バン マン) | 1970年 | 父 NGUYEN VAN HOA (グェン バン ホア 1934年生まれ) |
障害のある次男を父親が面倒を見ている。次男が小学校6年まで通ったが、その後精神的な障害が出現して通えなくなった。家の中で暴れるようになり現在では近くに住む長男の家に父親は住んでいる。母親はすでに亡くなった。次男は自分では食事も作れないので長男が作って毎日二回届けている。長男は44歳。
長男は夜この家に泊まり、次男が逃亡しないように見張っている。監視できない時は足かせをはめて逃亡を防いでいる。現在国から毎月120万ドン、約6千円支給されている。父親は、毎月150万ドンの年金がある。約7,500円。
父親は80歳。1967年ベトナム中部に従軍。69年に戻ってきた。当時枯葉剤の撒かれた山で、よく山菜を取って食べた。そのために次男に障害が出た、と認定された。胆石の持病があり、時々痛みに苦しむ。
子どもは6人。男女三人ずつ。次男の医療費は全額国負担。次男は拘束しておかないと近所の人たちと喧嘩をしてしまう。病状の悪化は、今のところ無い。
父親はベトナム中部の山中で戦った。ラオスとの国境近くの枯葉剤の散布が最も酷かった地域で従軍していた。軍人一人あたり当時一日三食分としてコメ100グラムの支給があったのみ。空腹に苦しんだ。現地の農民が栽培していた芋を盗んで食べたこともあった。枯葉剤が撒かれるのを実際に見た。木々の上の葉から次第に枯れていった。
次男は父親にも長男にも暴力を振るうことがあり父親は骨折したこともある。最初は学校で喧嘩をするようになった。それで退学させた。キレやすい。突然暴力をふるい出す。長男は1961年生まれ。父親は67年から従軍しているので、長男は枯葉剤の影響を受けた可能性がない。長男の三人の孫も健常である。訪問診療は無い。
順番 | 被害者名 | 生年月日 | 親の名前 |
---|---|---|---|
三軒目 | NGUYEN THUY GIANG(グェン トイー ザン) | 1984年 | 母 NGUYEN TYI DUNG (グェン ティ ジュン 60 歳) |
障害のある次女を母が面倒を見ている。父親は1999年肺がんにて53歳で死去。戦争には1967年から従軍。8年後に帰郷。長男と二人の娘さん。写真の次女には精神遅滞あり。結婚したが枯葉剤の影響があると知り、夫は逃げ出した。子どもの父親は不明。右脚は変形。二人子どもあり。それぞれの父親は不明。7歳と一歳の子あり。政府から土地と家をもらった。息子さんが、その家に住んでいる。長女は普通に家庭を持っている。長女の子どもにも精神遅延あり。
母親は農作業に従事。給付金は、毎月72万ドン。息子さんには二人の子どもあり。一人の孫は心臓に病。
父親は南のカンボジア国境近くで従軍し枯葉剤を浴びたらしい。結婚した当時も状況は酷かったが、戦争時に比べたら比較にならなかった。膝の痛みが酷く、歯は全部抜けてしまったとのこと。
次女は小学校もついて行けずに中途退学。結婚した当時は、この家で暮らし父親は一生懸命働いた。長男は、1977年生まれ。長女は79年。長男は高校卒業。長女は中学校卒業。長男の子どもも精神遅滞あり。現在ハノイに出稼ぎ中。長男と嫁は一緒に出稼ぎ中。仕送りは無い。この辺りはハノイに農閑期は出稼ぎ中の人が多い。
農作業は他人の機械を借りて作業をすることもあり。ベトナム北部は狭い農地しか無い。南は大規模で機械化されているところが多い。次女はブラブラしているだけ。現在妊娠中。誰の子か分からない。
右手、右脚が不自由。
順番 | 被害者名 | 生年月日 | 親の名前 |
---|---|---|---|
四軒目 | DO VAN HOP(ドー バン ホップ) | 1988年 | 母 NGUYEN TIN NHUNG (グェン ティ ニュン 1956年生まれ) |
障害のある一人息子を母が面倒を見ている。部屋の中が暗くて外でインタビュー。夫は1954年生まれ。87年結婚。88年長男誕生。南部、中部で夫婦とも従軍。一人息子は小学校三年生で退学。精神遅滞あり。父親は家出した。他の女性と結婚。
母親一人、子一人。母一人で農作業をしている。息子は、時々農作業を手伝う程度。一人では家に帰れない。母親は月150万ドン。子どもは120万ドンの補助金。豚と鳥を飼って現金収入を得ている。最近豚が全滅した。ベトナム国内の団体の支援で家を改築したばかり。
体は病弱だが、特に他には障害はない。息子は少数民族の娘さんと一度結婚したが、考え方の違いから実家に戻った。母はクアンチ省で従軍。枯葉剤の被害が酷いところだった。父親の再婚したが、再婚相手との間には障害児はいない。だから責任はお前にある、と言っている。父親も母も膝が痛くて通院している。
母は兵士としては戦わなかった。9人兄弟の6番目。17歳で志願して軍に協力した。トウモロコシを植えたり後方支援だった。母の兄弟が近くに住んでいて助けてくれる。
子どもの精神遅滞に市販の薬を買っている。病院でもらう薬は効かない。
母は旧兵士の会などに参加している。