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2008年08月17日赤野観音へのウォーキング


■お盆も過ぎて、今日は出かける予定が変更になり、久しぶりに愛鷹カントリーから赤野観音まで歩きました。何年ぶりでしょうか? 12,000歩ほど。2時間かけてゆっくり歩きました。

 途中の峠では、百合の花があちこちに咲いていました。空の雲も、お盆を過ぎてようやく秋の気配が感じられる様になってきました。

 赤野観音は白隠禅師ゆかりの場所で、地元の子どもたちも学校の遠足で出かけるようです。

 白隠禅師については、

  原の宿場(今の静岡県沼津市原)長沢家に大きな目に黒目が二つ重なった輝くような目をした男の子(三男)が生まれました。その子は「男の一心岩をも通す」との言葉があるように「岩次郎」となずけられた。
 
  岩次郎は幼い頃から大層利口な子で、子守りが歌う「小夜の中山、夜泣き石」と言う長い歌を背中で聴きながら覚えてしまいました。 六才の時岩次郎は母とよくお坊さんの話を聞きにお寺に行きました。 お坊さんの話はいつも難しい話ばかりですが、岩次郎はその難しい話をすっかり覚えて帰り、家へ帰ると座布団を積み重ね、その上に座り、家中の男の人や女中さん達を集めその日に聞いたお坊さんの話しをしたそうです。大人でも良く分からない仏教の言葉を自由に使うので人々は「なんと利口な子だろう」と関心したそうです。

 岩次郎が十一才の時原の昌源寺に有名な日厳上人というお坊さんが来て母親とお説教を聞きにゆき地獄の話を聞きました。「人間はいつか必ず死ぬという事から逃げられない。死んでから行くところは極楽か地獄です。地獄へ行く人は生きているうちに悪いことを沢山した人です。」ということを聞き、前日蛙を何匹も殺したことを思いだし頭の中はいっぱいでした。

 母親に相談したところ「岩次郎や仏様を信じ、お祈りすれば救われるにちがいない。」と言われお祈りをつずけるうちに二年が過ぎお坊さんになることを決心しました。岩次郎は雨の日も風の日も愛鷹山へ出かけ柳沢部落の奥にある「八畳石」の近くにある岩に仏様の姿を刻み、「八畳石」の上に座って勉強をし、時にはもっと上にある「赤野観音堂」にも行き修行をし、元禄十二年(1699年)冬のある日、十五才の岩次郎は松陰寺でお坊さんになる儀式を受け「慧鶴」となずけられました。・・・・・・


■八畳石を巡って、2時間のウォーキングでした。

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赤野観音に向かう途中の峠にて。空の雲にも秋の気配が。


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赤野観音の鐘。沼津中に響けと一突きしてきました。


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樹齢600年という茅の木。


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北側に延びた枝の向こうにお堂が。


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八畳石公園です。


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 帰りの途中にあるお寺で。幼い兄弟が水遊びを。兄と妹です。

 自分にも、そして自分の子どもたちにも、こんな時期があったのですね。


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 イネの穂がだいぶ重たげになってきました。季節は確実に巡っています。今日も夕方から激しい雨。