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2013年11月17日


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 出発点「アンダーアーマー・ランナーズハウス中野」に集まった仲間たち



中野セントラルパーク→早稲田→四谷→国立競技場→青山→表参道→代々木公園→明大駅前

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 まずは神田川です。昨日、土曜日にも同様の観光ランをされたようですが、昨日の参加者は 10 名を超えたようです。やはり翌日ゆっくり休める土曜日がお勧めですね。

 昨日よりも今日の方が空気が澄んでいて綺麗だ、とは師匠のお話でした。

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 これが、かぐや姫が歌って大ヒットした、かの有名な歌、神田川の舞台、三畳一間の小さな下宿、だそうです。近くには歌碑があり、どういうわけか、二番の歌詞が刻まれていました。

 また、この下宿から歩いて 3 分ほどの所には銭湯もあり、現在でも営業しているそうです。

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 さてここは、都庁前。東京マラソンのスタートラインでもあります。写真の正面奥がワシントンホテル。参加者は 3 万人を超えますから、出場者の列はホテルを超えて道路を曲がり、延々と続くようです。小林先生のスタート地点はホテルより手前だったそうです。登録タイムから決められるようです。

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 ワシントンホテルの脇に、こんなものがあります。「新宿韋駄天尊堂」です。古代インド神話の神であった、「韋駄天尊は勇猛迅速の謂を以て、古来諸大名の間では守護神又は戦神として祭祀され、世の信仰者からは勝負事の神、若しくは足の神として尊崇されており、 殊に腰部より足先にかけての疾患等はその信心により癒されるとされています」、とあります。東京マラソンには相応しい神様のようです。

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 国立競技場に到着しました。2020 年のメイン会場として建て直される運命にある競技場では、今日もイベントがあったようです。大勢の家族連れで賑わっていました。

 驚いたのは、国立競技場前という駅があったことでした。以前Takuと一緒にジュビロ磐田の試合を見るために訪れたことがありましたが、あの時にはJRの駅から歩いた記憶があります。

 調べてみると、大江戸線の国立競技場前駅は、2,000 年 4 月開業とあります。二人で行ったのは、それ以前だったのでしょう。

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 五輪マークの横の壁に刻まれているのは、金メダリストの名前だそうです。建て替えの時には、壁だけ移転するのでしょうか?

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 原宿駅に到着。大勢の観光客で大混雑。いま日本で大混雑しているのは、東京だけです。地方は閑古鳥が鳴いています。この格差は、絶望的なほどです。

 さて原宿駅を調べていて驚きました。原宿駅には、皇室専用ホームがあるんですね。知りませんでした。Wikipedia によれば、

 「今上天皇が鉄道で地方に赴く際は東京駅から新幹線を利用することがもっぱらとなり、お召し列車の運行自体が稀となっている。

 今上天皇が原宿駅の皇室専用ホームを最後に使用したのは2001年(平成13年)5月21日、第52回全国植樹祭から帰った際であり、以来皇室専用ホームが皇族が利用した実績はない。

 原宿駅・皇室専用ホームが利用されなくなった背景には、山手貨物線が、埼京線の延伸や湘南新宿ラインの運行開始などに伴って過密ダイヤとなり、お召し列車の運行には不適切になっているという事情もあるという。乗降場の周囲では草刈りは定期的に実施されているものの、分岐器が使用停止のまま長らく列車の発着がないためにレールが錆び付くなど、即座には使用できない状態となっている。一方、皇室専用ホームは廃止されたわけではなく、宮内庁では今後、国賓の地方への案内といった場合に使用される可能性が示唆されている」
 
 と、あります。

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 さて童謡 春の小川の歌碑があります。こんな所にあるとは知りませんでした。後ろを走っているのが小田急線です。

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 ここまでは当初のメンバーが全員揃っています。歌碑の前で一休みです。

玉川上水→井の頭恩賜公園→吉祥寺駅


 とちゅう杉並の高級住宅街を走りましたが、師匠によると、この家は時価どのくらいだろう、と想像しながら走ると楽しいそうですが、駐車場に止めてある車、通りすぎる車にベンツが多いのには驚きました。私の街では、考えられないことです。

(●^o^●)

 閑静な住宅街、というのは、あのような家々を言うのだなぁと、そんな家には住んだことのない自分には新鮮な体験でした。

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 井の頭公園の紅葉は、真っ盛り。多くの家族連れで賑わっていました。



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 公園内では様々な催し物やパフォーマンスが繰り広げられていました。

東京女子大学→青梅街道→高円寺駅→中野セントラルパーク

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 井の頭公園を後にして、女性軍とは別れました。自転車で先導する師匠と小林先生と私と三人でゴールを目指しました。30 キロの地点で、今日は諦めて残りの女性軍と一緒に駅へ歩いて行こうと一旦決めたのですが、小林先生という強い味方がいる今日を逃したら、もう二度と 40 キロを走り切ることはできない、と感じました。

 先生には、傍迷惑なことでした。私のペースに合わせてゆっくり走らなければならなかったからです。私はすぐ後ろを伴走してくれる先生に迷惑を掛けてはいけない、という思いから必死に走りましたから、その力で完走できたようなものです。一人で走れ、と言われてもとても無理だったと思います。

 午前中 10 時にスタートしてからゴールのショップに戻ってきたのが、16 時半過ぎ。何と 6 時間半。もちろん、まるまる走っていたのではありませんが、良く続いたものです。そして最後の 10 キロは、本当に必死でした。そして、とても長く感じました。ゴールした後、ランニングショップで小林先生と連絡先を交換しあい、シャワーをゆっくり浴びて体重を測ると、何とスタート前の値より 3 キロも減っていました。脱水がほとんどでしょうが、それにしてもすごいものです。今の季節だから、これで済んだのでしょう。Tシャツ一枚で調度良い気候でした。

 師匠を始め、ご一緒してくれた皆さん、特に小林先生には、本当に感謝、感謝です。心配されていた雨も降らずに、終日小春日和で最高のランニング日和。過去二回のエントリーが雨のために参加できなかったことも、今となれば三度目の正直、となりました。

 井の頭恩賜公園を訪れたのは始めてでした。本当に素晴らしい紅葉でした。四季を通して訪問者が絶えないに違いありません。いわゆる武蔵野、と呼ばれる地域を走り通したことになります。

 最後の青梅街道は、死のロード、となりましたが、今となれば楽しい思い出です。また参加したいと思いながら家路に付きました。