2017年12月02日-12月04日(土曜日ー月曜日:晴れのち曇り)
■毎年12月は袋井クラウンメロンマラソンを走っています。過去三年間続けて走りました。昨年は大学時代の同級生、高野さんと一緒に参加しました。彼はウルトラマラソンを完走するほどの、すごいランナーですので、タイムには一時間以上も差がついてしまい、待たせてしまったことを本当に申し訳なく思うばかりだったのですが、走った後に食事を共にしながら色々アドバイスをもらい、本当に有意義な一日でした。
今年はTakuと一緒に、その前の週に開催される「野口みずき杯お伊勢マラソン」に参加することにして、大変残念ですが来週の袋井クラウンメロンマラソンは欠場することにしました。
来年からTakuも新しい家庭を持ち、仕事も忙しくなりそうなので、一緒に参加できる最後のチャンスと思い、フルマラソンはまだ無理だ、と言うTakuとも参加できるハーフにしました。
■土曜日は仕事を終えて一休みの後、東海道線で静岡駅まで、そして新幹線こだま号に乗り換えて名古屋駅に到着しました。近鉄名古屋駅でTakuと待ち合わせて、伊勢市駅まで一時間半の旅でした。
13時23分原駅発の東海道線に乗り、伊勢市駅に到着したのは17時半少し前でした。もう真っ暗でした。駅の降り口には、JR口と近鉄口があり、間違えると橋上駅ではないので面倒です。予約したホテルは近鉄口側にあり、Takuの指示に従って目的のホテルに向かいました。チェックインして直ぐに夕食に出かけました。
調べたところではお店はJR口前にあるようで、線路下を抜けて反対側まで歩きました。ようやく居酒屋に辿り着き、乾杯となりました。明日の事を考えると、あまり胃の負担になるようなものは避ける必要があります。寝不足と胃のもたれは禁忌です。
日曜日は朝6時半に起きて準備をしました。朝食は前日コンビニで購入した少し大きめのアンパン一つと豆乳です。ホテルの無料ロッカーに荷物を入れて、駅に向かいました。
目的の駅は五十鈴川駅。そこから会場までシャトルバスが出ています。観光バスと思われる大型バスが、次から次へと発車しています。会場の県営アリーナまでは15分ほどでした。到着して、さっそく受付に向かいました。県営アリーナは袋井クラウンメロンマラソンの会場、エコパスタジアムの小型版のようでした。
預かってくれる手荷物は、指定のビニール袋一つのみ。ベンチコートとスマートフォンを一台入れて預けました。うっかりして着替えを忘れました。
天候は絶好のマラソン日より。熱くなく寒くなく、風も殆ど無い最高の条件です。9時10分のハーフの部スタートに向けてスタート地点に移動しました。道路沿いの台の上に立って、野口みずきさんがランナーに向けて応援の挨拶をされました。
■9時10分スタートです。
コース図を見ると、12キロ付近にある野口みずき金メダルロードが、まず難所です。かなりの上り道でした。上がりきったところで、野口みずきさんがみんなを待っていてくれました。私は二度目のハイタッチでした。そして最後の難関、15キロ過ぎからの伊勢自動車道です。とにかく長い上り坂です。Takuもめげそうになったそうですから、なかなかの難所です。
以前の私でしたら、途中で歩いていたでしょう。筋力も底をつき走る力が無くなっていたはずです。今回は何とか堪えて走り続けることができました。途中ちょうど同じようなペースで走っている女性が隣同士になり、お互いペースメーカー的な存在になったので並走しました。何キロほど並走したでしょうか。一旦下り坂になるところで彼女がペースを上げました。私は付いていくのに精一杯でしたが、何とか振り切られることなく並走しました。
そして最後の2キロ辺りで彼女が脱落していきました。力尽きたのでしょう。最後の折り返し地点までの、なんと長く感じたことか。初めてのコースですので、想像もできません。折り返してようやく完走できると確信できました。ところが折り返して分かったのは、ここまでの自動車道は、ずっと上りではなかったということです。折り返してみると、なんとさっそくまた上り坂なのです。つまりは上り坂だと思って最後の部分は、実は下りだったのです。本当に驚きました。
途中強く印象に残ったのは、おはらい町の中を駆け抜けたことです。
ようやくゴールにたどり着きました。伊勢自動車道からは眼下にゴールが見えました。これは助かりました。つまりあとどのくらい走ればゴールできるかが確認できるからです。最後まで自分の筋肉で脚を前に前にと繰り出すことができました。鍛錬のおかげです。高野コーチのいうLSDの成果です。
さっそく体育館に戻って手荷物を受け取り、スマホでTakuに連絡を取りました。20分以上前にゴールしていました。
こうして無事に今回も完走できました。いただいた参加賞の金券で名物の伊勢うどんを二人で食べました。走り終わって低血糖になっていたのでしょう。こんなに美味しいうどんは始めてでした。