■20191017-1022日

羽田空港出発ロビーです。16:35分発VN385便です。
Day 1Day 2Day 3Day 4Day 5Day 6

● Day 1

■いよいよ旅立ちの日がやってきました。あれからもう1年が経ってしまったのです。今日は午前中の仕事を終えた後に新幹線、そして京浜急行の電車を乗り継いで羽田空港まで行く予定です。2019ベトナム枯れ葉剤被害者支援の旅です。

昨夜は、のんちゃんと3人で夕食をとりましたが、思い返してみると初めてベトナム支援のために出かけたのは2008年でした。あの時はノンちゃんもアヤちゃんも参加しましたので、家族4人での旅でした。11年前です。その後、色々なことがあって、結局今も残っているのは、家族の中では私一人だけになってしまいました。

あの当時の支援隊の仲間も様々な理由から別れてしまい、結局今年出かけるのは 8 名となりました。何事も続けるというのは大変なことです。隊員の皆さんも高齢化が進み、活動すること自体が体力的にも難しくなってきています。

被害者の家庭訪問をするとなると、バスで回って、さらに家まで歩かなければなりません。例えば膝が痛いとなると、これが結構負担になるのです。昨年は山奥に住んでいる被害者宅を訪問したのですが、施設からバスで、なんと 3 時間もかかりました。家の玄関先まで車で行くことができないので、途中でバスを降りて、そこから 15 分ほど山道を歩いた事もありました。膝の痛みを抱えた高齢者には、かなりの負担なのです。

今年の支援活動が、どのようなものになるのか。昨年とは異なった地域を訪問する予定ですので、楽しみでもあり不安でもあります。

ホン・サン・ピースホテルロビーにある立派な木彫りです。

 

■昨日は午後から新幹線と京浜急行を乗り継いで羽田空港に到着し 16 時 35 分発のベトナム航空便でハノイ・ノイバイ空港に到着しました。現地時間のちょうど夜8時頃でした、日本時間では夜の 10 時となります。現地の気温は 25 度。蒸し暑いという程ではありませんが、台風一過すっかり秋らしくなった日本とは、やはりかなり差があります。

タインさん、息子さんのトゥン君、そして運転手さんのチュンさんが出迎えてくれました。早速バスに乗って、まずはハノイ市内に向かいました。道路は毎年整備が進み、ところによっては片側五車線の道路もありました。ハノイ市内の店で、軽く夕食として牛肉フォーを食べました。1 年ぶりのベトナム食でしたが、この店のフォーはとても美味しかったのです。

今年初めてのベトナム食です。懐かしの牛肉フォーです。専門店だけあって美味しかったです。

どういうわけか、牛肉フォーしか置いていない店が多いのです。私としてはチキン・フォーが希望なのですが、行った先々で牛肉フォーしかありませんでした。

今年最初のベトナムでの乾杯です。乾杯!、はベトナム語で言える数少ない語彙です。

さて、それからもう一度バスに乗り込み、ニンビン省のホテルに向かいました。ホテルに向かうハノイ市内の様子は、道路の周辺に高層ビルが立ち並び、昨年よりもさらにいっそう大都市化しているようでした。ハノイを抜けてからは有料高速道路が整備されていて、車は順調に目的地に向かうことができました。

ホテルに着いたのは現地時間23時30分。三星のホテルということで、とても立派なホテルでした。810 号室に一旦みんなで集まり、支援物資の確認をしました。ようやくベッドに入ることができたのが、0 時半を回っていました。明日はフロントに9時に集合し、活動の開始予定です。

ニンビン省のホテルに到着。右から三番目の時計が東京の時刻、午前1時半を示しています。

● Day 2 活動開始

■昨日は飛行機バスと乗り継いて、夜中の 12 時前にホテルに着きました。さすがに皆さん疲労困憊でした。今朝は 7 時に目覚ましを合わせ、これから朝食を取るために一階におります。外は曇り空、幸い雨は降っていないようです。

ホテルは三星の立派なホテルなのですが、昨夜シャワーを浴びてみて驚きました。排水が全くと言っていいほどできないのです。つまり、シャワーを浴びると、浴室中が水浸しになってしまうのです。床の傾きが排水口とは反対方向になっているのです。ちょっと見ると作りはとても一派なのですが、これはいただけません。今日は苦情を告げてみる予定です。9 時にはフロントに集まって出発ですので、それまでに朝食をとる必要があります。

朝食を取りに食堂へ行きました。仲間の皆さんに話を聞くと、それぞれの部屋で問題があったようです。私の部屋は浴室だけでしたが、電気系統に問題があり、スマホの充電ができなかったり、ショートを起こして湯沸かし器が壊れてしまったり、電灯の金具が外れたりと、多事多難です。このホテルには4泊しますので、なんとか対策を講じる必要がありそうです。

家庭訪問の前にホテル前で記念撮影。ビンさんに役所から問い合わせの連絡がすでに入っていたようです。

「「「 活動開始 」」」

上の写真は家庭訪問出発前の撮影ですが、ビンさんの困惑した表情には、状況の厳しさが反映されていることが、今にしてみれば明らかです。この後、ビンさんは行方をくらましてしまい、二度と会うことはありませんでした。なぜ段取りがきちんとできずに、そんな事態になったかの説明は一切ありませんでした。

01ブー・フェー・ホアン
02ディ・ヴァン・カイ

■Day 2  No 01 ブー・フェー・ホアン

祖母が子供の面倒を見ていました。

ブー・ フェー・ ホアンさん。2011年生まれの男の子。動くことはできず、生まれてからずっと、寝たきりの生活。今は祖母と一緒に2人で暮らす。祖父が従軍し枯れ葉剤を浴びた。父は亡くなったが、母は家出をして現在家にはいない。枯葉剤を浴びた祖父の妻である祖母と2人で残り暮らしている。父は5年前に死去、母は生後2ヶ月で家出をした。周囲の方から母乳を集めて、祖母は孫を育てた。祖父の軍人年金と枯葉剤被害者への支援金を合わせ1ヶ月90万ドン(約 4,215 円)で生活している。祖母には子供がほかに4人いるが、経済的に苦しく支援はない。椅子に座らせて時折、外に連れだしている。食事はお粥、流動食のみ、祖母が作って与えている。診察も受けることなく、薬の服用もしていない。自分自身では、食事の要求もできない。会話は出来ない。祖母は57歳。ホアンさんは枯葉剤とは関係なく身体障害者支援金を受けている。

 

No 02 ディ・ヴァン・カイ

障害を持った20歳の息子さんです。

2番目の家庭は1999年生まれのディン ヴァン カイさん、20歳。兄は健在。ハノイで仕事に従事。父は58歳。従軍中に枯れ葉剤を浴びたが障害は無い。祖父が枯葉剤被害者で、すでに死亡。支援金は無し。父が仕事で生活。収入は月100万ドン。カイさんは言葉は理解出来る。知的障害はない。本人は枯葉剤被害者認定無し。身体障害者補助のみ。家から病院まで10キロ以上。両親で交替で子供の面倒を見ている。

 

■昼飯を食べて、午後の活動を確認した時に驚くべきことが発覚しました。ニンビン省枯葉剤被害者協会のビンさんに、今年度の活動の手配を依頼していましたが、人民委員会などの役所の許可が取れていないことが判明したのです。ボランティア活動をするためには観光と違い、許可を得ないといけないのです。ところが、その許可が下りていなかったのです。

役所の担当者の方が来られてパスポートを確認し、活動の目的などを事情聴取されました。午後の活動は結局中止となり、相談の結果みんなで世界遺産の見学に出掛けました。ベトナム北部では、ハロン湾と並んで人気のチャンアン複合景観です。夕方になり連絡を取ったものの、結局明日からの活動も許可は出ないとことになり、急遽昨年まで活動をしていたバクザン省職業訓練訓練センターの所長さんに連絡を取りました。

Thuy所長さんも私たちの申し出を喜んで受け入れて下さり、予定を変更し明日の午前中にバクザン省へ移動することになりました。3時間の道のりです。明日の午後は職業訓練センターでの活動、そしてその後は可能であれば被害者家庭の訪問ができるかどうか、いま問い合わせを急遽しているところです。

ボランティア活動のためとはいえ、被害者の家庭を訪問するためには、人民委員会、被害者協会などの許可が必要な為に手続きに時間がかかるのです。今年はそういった面での手配が十分できていなかったことになります。支援隊の皆さんはお忙しい中、時間を作り、参加費を捻出した上での参加ですので、活動もしっかりせずに帰るわけにはいきません。支援物資などの寄付、そして支援金をいただいた皆さんの期待を裏切るわけにもいきません。大釜支援隊会長をはじめ、みんなで知恵を出し合って、残された時間内で、いかに有効な活動ができるか話し合いました。

こうした非常事態の時にこそ、仲間の団結と助け合いが何より大切なのです。非難し合っているだけでは、何の問題も解決しません。前向きに事態と取り組むしかないのです。

  • チャンアン複合景観です。これから小舟に乗って一回りです。

■チャンアンでは、1時間半もボートで景観を楽しむことができましたが、漕ぎての方は、大変だったと思います。確か一人500円ほどの料金でしたから、決して割の良い仕事とは、私達には思えませんでした。船の幅ギリギリの所を通過する技術はさすがでした。

● Day 3 さらなるトラブル

ベトナム・ニンビン省の夜明けです。

■今朝は6時半に起きて朝食をとり、8時半にホテルを出ました。3時間のバス旅行の予定で、昨年まで活動をしていたバクザン省の職業訓練センターに向けて出発しました。こちらでの活動手配を依頼していた被害者協会のビンさんは、不手際が露呈して以来、結局今朝も顔を見せることはありませんでした。私達としては、一言で良いから不手際を侘びてほしい、という気持ちで一杯でしたが、その行動には、とても残念な思いでした。人としての取るべき道、という点で、他山の石でした。

途中トイレ休憩を挟みながら、懐かしいバクザン省のホテルに到着したのが11時頃でした。ホテルに寄って宿泊の予約を確認し、昼食を取るために再度バスに乗り直し、店まで出掛けました。

毎度、毎度同じように見える、ベトナムのご飯ですが、新しい料理が、その度に一つぐらいは登場します。今回は鳩の肉料理でした。頭まで丸焼きにしてありますので、ちょっと食べにくいのは間違いないのですが、食べてみると味付けはよくできていました。お店の女将さんは、とても親切にしてくれて、珍しい食材をわざわざ紹介してくれました。

さて昼食も終わり、午後から支援活動ができると期待していたところ、急用のため本日は施設が利用できないという連絡が入りました。詳細は全くの不明ですが、あの施設長さんがいい加減な約束をすることはないと思いますので、こちらの通訳との間で十分意思の疎通ができていなかった可能性も考えられます。とにもかくにも相手のあることでので、こればかりはこちらの思いだけでは、いかんともし難いのです。

みんなで再度相談しました。明日には間違いなく施設の受け入れは可能だ、ということなのですが、疑心暗鬼ばかりが先行してしまい、見通しが立ちません。いままでこんなことが無かっただけに、みなさん失望と落胆の気持ちでいっぱいです。忙しい中、時間をやりくりして駆けつけてたわけですから、無為のまま帰るわけには行きません。二軒の被害者家庭訪問だけでなく、なんとか残りの活動も完結して帰国しなければ、と気持ちが焦るばかりです。

● Day 4 再挑戦

バクザン省の夜明けです。

■今朝は走りました。バクザン省に戻ってきて、例年泊まっていたホテルに昨夜は宿泊し、今朝は5時前に起きてホテル前の大きな広場を 6 周しました。これで5.6キロメートルを積み重ねることができました。例年通り、ベトナムの方もたくさんの方がウォーキングを楽しんでいました。それでも例年に比べると若干少ないように感じました。驚いたのは、5時半になると一部の街灯が消えてしまったことです、節電のためでしょうか。とはいっても、明るくなり始めてきましたし、小さな街灯は点いていましたので、暗くて怖いということはありませんでした。

■トラブル続きの支援の旅も、今日で4日目です。昨日は結局一日を無駄に過ごしてしまいました。諸監督官庁との連携が上手くいっていなかったために、支援活動が出来ずに 、いわば無為に過ごしてしまったのです。

はるばる日本からやって来たにもかかわらず、予定の活動が出来ずに、皆さん忸怩たる思いで日々を送ることになってしまいました。

さて今日は予定では職業訓練センターでの活動が予定されています。そして午後からは家庭訪問の予定ですが、果たしてうまくいくか、どうか不安な思いです。

■8時半にホテルを出て、バクザン省職業訓練センターに向かいました。一年ぶりの訪問です。トゥイ所長さんとは、3年間に渡って活動をお世話してもらいました。今日も私達を暖かく迎えてくれました。トゥイさんのお話では、

センターには、現在16名が入所。6名が通っている。入所者並びに通所者の年齢構成は4歳から40歳まで。パソコンの勉強や造花の作成などの職業訓練をしている。おもにバラの造花。バラは永遠を意味し、みなさんに好まれる。支援隊のためにも一人ひとりに作ってくれた。バラを作ることによって、手先の訓練や頭の訓練にもなる。バラ1輪で10,000ドンから200,000ドンまでで売れる。子供達の為に周囲の畑から薬草を取ってきて、常時飲ませている。

暖かく迎えてくれたトゥイ所長さんと一緒に。
今年もみなさんから頂いた寄付の品々を贈ることができました。
寄付していただいた皆様です。
コツコツと貯めていた寄付金の中から、施設の運営費として、今年は20万円を贈ることができました。
施設の子どもたちの目の状態を、持参した最新の機器で調べました。治療のためのサウナ室を、暗室代わりに利用させてもらいました。
みなさんから頂いたメガネの中から、この近視の子どもに最適のものを試してもらいました。よく見えると驚いていました。
みなさんから頂いたメガネを確認中です。
金原さんが子どもさんにハーモニカを指導しています。
みんなで歌を楽しみました。日本語の歌詞をベトナム語に翻訳したものも、用意していました。
一日の終わりに、今夜はイタリアン・レストランにやって来ました。とても美味しく感じました。

● Day 5 再生

バクザン省でのブーゲンビリアです。

■昨日は一年ぶりにバクザン省の職業訓練センターを訪問し、センター長のThuyさんを始め施設の子ども達と楽しい一時を過ごしました。施設を訪問するのは4回目ですが、まるで昨日訪れたような、そんな懐かしさが感じられました。日曜日ということもあり、施設にいた子供たちも少なめだったのですが、寄付していただいた医薬品や紙おむつや、そして私たちからの支援金を皆さんにお渡ししました。昨年寄贈させていただいた、リハビリ器具もしっかりと使用されているようで嬉しい思いでした。

施設長さんとの話し合いも終わり、私は持参したスポットビジョンスクリーナーを用いて施設の子供たち、そして職員の皆さん、さらには施設長さんの目の状態などを調べて、友人達から頂いていた中から、もしも適当なメガネがあれば、使ってもらおうと思っていました。幸い二名の入所者には、近視の眼鏡と老眼鏡を、そして施設長さんにも、遠近両用メガネが使用可能でした。近視の眼鏡をあげた子供さんは、遠くが見えることにとても喜んではしゃいでいました。そしてみんなに掛けろ、掛けろと勧めている様子は、とても微笑ましいものでした。眼科検診が終わった後には、隊員の一人である金原昇さんが、色々な楽器を操ることが得意なので、ハーモニカとギターを伴奏に、みんなで歌を楽しみました。

■さて、今日は8時にホテルでThuyさんと待ち合わせて6件の被害者家庭訪問をする予定です。ところがいくら待ってもやってきません。ベトナム独特のベトナム時間なのかなと、みんなでイライラし始めたところへThuyさんがやってきました。あとで知ったのですが、バクザン省枯葉剤協会副会長のクワンさんと待ち合わせて、一緒に来てくれるように予定されていたようです。すぐ近くにある総合庁舎で副会長さんを待っていて、どうも遅れたようでした。ようやく 8 時半にホテルを出発し1軒目の家庭訪問が始まりました。

01ブー・フェー・ホアン
02ディ・ヴァン・カイ
03ファム・ティ・フオン
o4ハ・ティ・タウォ
05ホン・バン・スン
06ファン・ドック・チュン
07

タン・ティ・サン

08ヴ・ヴァン・ラム

8時25分トゥイさんとバクザン省枯葉剤被害者協会副会長クワンさんがやってこられ、8時54分には地元枯葉剤協会の方が更に1人同行し、道案内をしてくれました。総計14名のバス旅行となりました。

「「 No 03 ファム・ティ・フオン 」」

No 03 ファム・ティ・フオン

五人の子ども。3人に障害。すえっこ。80万ドンの支援金。姉が隣に住む。父は77歳。母は74歳。父の支援金は、110万ドン。枯葉剤を浴びたのは父親。父は重大な体調異常は無い。脚が不自由。 35歳の時にクワンチ省で被曝。ファンさんには知能障害と手足の震え。日常生活すべての面倒を両親が見ている。治療は受けている。最低限の意思の疎通は取れる。痛いとの意思表示あり。姉も手の震えが酷い。 暗い納屋のようなレンガじきの部屋で生活。手足が曲がったまま。

「「 No 04 ハ・ティ・タウォ 」」

No 4 ハ・ティ・タウォ

1988生まれ、31歳。

背中の骨が曲がっている。手術を受けた。脊柱湾曲症になっている。座っていると痛みができる。他の障害は今のところない。手術を受けたばかりで、仕事ができない。120万円かかった。しなければ、あと3年で死んでしまうと言われた。

子供が3人が枯葉剤被害。子供は5人。父親と3人の枯葉剤被害者、支援金合計550万ドン。他の2人の被害者。妹は同居しているが、同様に脊柱湾曲。まだ手術を受けていない。他に障害はよくない。2 人とも、とても美人。

Thuyさんが二人に職業訓練センターでパソコンなど技能を身に付けるよう勧めている。いずれ稼げるようになり親の面倒をみることも出来る。

フエで被曝。1972年に被曝。18歳で。奥さんが田んぼで米を栽培している。母は63歳。父は65歳。

No 5 ホン・バン・スン

No 5 ホン・バン・スン

姉妹。弟と姉。姉は知的障害がある。弟は糖尿病で右目は失明している。支援金は2人で140万ドン。食べたりなど生活は自立している。おばさんが、生活一切を面倒見ている。妹は知的障害があり彷徨をすることもある。

1972、1976生まれ。クアンチ省で父か被曝。4年前に肺がんで亡くなった。両親共に亡くなっている。

No 06 ファン・ドック・チュン

No 06 ファン・ドック・チュン

お母さんは75歳。本人は1976年生まれ。父は亡くなっている。90万ドンの支援金のみです。90している、兄は正常で異常はなく、普通に生活しているが、生活が厳しくシーンはしてもらえない。本人には精神障害があり、暴れることもある。自分のことは自分で出来るが、てんかん様発作などを起こした時はできない。ラオス付近で、父は枯れ葉剤に被爆した。田んぼもないので、農業は出来ない。

No 07 タン・ティ・サン

No 07 タン・ティ・サン

1978生まれ女性。子供は3人で旦那さんは死んだ、。長女次女、長男。母と2人暮らし。母は1956年生まれ。2年前に旦那さんは亡くなった。糖尿病で内臓を壊して死亡した。次女と長男は普通に生活をしている。誰も子供の面倒見てくれない。90万ドン 。月の枯葉剤支援金。収入は他にない。水頭症で生まれた。大体は自分で身の回りのことはできる。学校は小学校も行っていない。知的障害がある。悲しくなって、しょっちゅう泣いている。夫はニャンチャンで被爆した。米も作っているが、食べる分は作れないので支援金から購入している。

No 08 ヴ・ヴァン・ラム

No 08 ヴ・ヴァン・ラム

ダナンで被曝。42歳の長男と一緒に暮らしている。長男は口蓋裂と知的障害がある。孫には脳障害がある。21歳。学校には行かなかつた。枯葉剤被害者の認定は現在のところ2代目までで3代目からは支援金は出ない。バクザン省では三代目までの被害の発生を確認している。現在、支援金の支払いの申請をしている。1950年生まれのちゃん父。肺ガン末期に掛かっている。ダナンで被曝。1ヶ月50万ドンの支援金を父だけが受けている。今日なんとか入れ、農業をして米を作っている。枯れ葉剤被害の認定受けているのは、父のみ。孫さんも障害を持っている。

● Day 6 帰国

ハノイ・ノイバイ空港29番搭乗口です。8時10分発のベトナム航空便で帰国しました。

■今朝は4時に目覚ましを鳴らして起き出しました。いよいよ日本へ帰国する日です。17日午前中に仕事を終えて、その足で原駅まで行き、新幹線そして京浜急行を乗り継いで、羽田空港国際線ターミナルに到着したのが、つい昨日のことのように思い出されます。

今日は5時にフロントで全員集合し、バスでハノイ・ノイバイ空港に向かいます。8時10分発VN384便で日本に帰国する予定です。5時出発予定がバスの到着が30分近く遅れ、ひやひやしましたが、これもベトナム時間の一つでしょうか。トゥンくんが急に体調を崩して、起き出すことができないという連絡が入り、慌てましたが、タインさんが空港まで同行してくれました。

空港に到着してみると、受付カウンターの混雑ぶりに驚きました。ベトナム人、日本人を含めて、たくさんの乗客が並んでいるのです。無事に受付も終了し、荷物も預け、搭乗口入口でタインさんとも最後の別れを告げて、29番ゲートに向かいました。手荷物検査を済ませてみると、29番ゲートは目の前にありました。検査に時間がかかり、出発搭乗ゲートに到着したのは30分ほど前でした。

■これで今年の活動も終了です。2008年以来、続けてきたベトナムでの活動も、一区切りでしょうか。前半はジャーナリスト北村 元さんが取り仕切るツアーでした。枯葉剤被害をライフワークにする北村さんの活動計画は、さすがに抜かりがありませんでした。

人数も今よりずっと大勢でしたし、取りまとめるのは大変だったと思います。そこは、餅は餅屋です。その後、いろいろな問題から、活動は別れて行うことになり、大釜会長のもと、活動を続行してきました。北村さんと異なり、我々は素人の集まりですから、活動内容は手作り、そのものです。高いレベルの活動は無理です。

写真展を開いて皆さんに枯葉剤被害の存在を知ってもらい、未だに被害が続いていることを啓蒙し、寄付金もいただき、それを原資に援助金を届ける、という活動をしてきました。

私はロータリークラブから支援金をいただき、活動報告を行うことで啓蒙活動とし、ホームクラブである沼津西ロータリークラブだけでなく、富士宮ロータリークラブからも、ご支援をいただきました。

静岡・山梨のクラブが一年に一度集う国際ロータリー第2620地区大会では、富士宮クラブ前島ガバナー補佐のご推薦で、活動に関する 3 分間のビデオ上映もさせていただきました。

2016地区大会ビデオ

しかしながら、いかんせん高齢化には抗えません。大釜会長の奥様は、もうすぐ80歳になられます。膝の痛みを抱えながらの活動ですので大変です。手術も受けられました。

一番若い隊員が40歳になりますが、あとは60代以上です。羽田からハノイまで、飛行機に6時間乗るのも、負担です。私自身、到着間近になって腰部の張りを、今年始めて経験しました。

日程の調整も大変です。ちょうど10月は学校の就学時検診時期です。つまりは来年入学する子どもたちのための検診があります。沼津市教育委員会の担当の方が、状況を理解してくださり、様々に配慮していただいているので、なんとか日程をずらして出かけることができていますが、帰ってくると外来は大騒動です。

日数と費用を勘案すると、参加してくださる方は、なかなかいるものではありません。面白おかしい企画では、まったくないからです。

自分がなぜ参加し続けているのかと考えると、それは何にもまして仲間の存在です。少ない人数で苦楽を共にしていることの、ある意味、共同体感覚でしょうか。

ご苦労さん会を開いて、またみんなで検討しましょう。