2008年から続けているベトナム枯葉剤被害者支援の旅に、6名の仲間とともに今年も出かけました。3 年連続でバクザン省職業訓練センターを中心に、女医でもある施設長のトゥイさんが選んでくれた12軒の被害者家庭を訪問し、家庭状況を確認の上、皆様から寄付していただいた医薬品や生活支援金を、お渡ししました。
センターでは医薬品の贈呈とともに、子ども達や職員の皆さんの眼科検診を行いました。さらに今年は、障害を持つ子ども達の運動機能回復のために必要なリハビリ機器と、施設運営資金として千ドルを寄付することができました。今年は施設の子ども達の数が少なくて拍子抜けだったのですが、施設長さんのお話を聞き納得しました。施設で受けた職業訓練を土台にして子ども達は仕事に付き活躍中で、そのために多くの子が不在だったのです。施設での活動が実を結びつつあるようです。
最初に訪問した家庭では、グエンさん父娘にお話を聞くことができました。枯葉剤の後遺症として、お二人とも顔を中心に全身に多数のコブ、腫瘍があり時々痛むとのことでした。
「私が従軍したのは、フエ省、クアンチ省で枯葉剤散布のひどい場所でした。1975 年に戦争は終わりましたが、皮膚症状は 1977 年時点ではありませんでした。それ以後に出現してきたのです。6人の子供がいますが、症状があるのは、4番目のこの娘だけです。生まれた時点では、お尻に大きな腫瘍があり摘出しました。ずっと病弱でした。6歳から小さい腫瘍が出現、次第に増大してきました。知的障害もありますが、自分のことは自分でできるし、私の仕事を手伝うこともできます。兄弟からの支援は無理なので、生活資金は国からの援助金のみ。月の支援金は二人合わせて全部で200万ドン(日本円で 1 万円弱)。農業をして自給自足に近い状態です。苦しいことが多いが、後ろ向きに考えても仕方がないので、いつも笑顔で過ごすように心がけています。みなさんには、ここまで来ていただいて感謝しています。妻は九年前に死にました」
父親は私と同じ歳、そして障害を持つ娘さんは、私の長女と同じ歳でした。帰りがけ、一人で玄関前に立つ娘さんに、幸せあれ、と心から願いバスの中から手を振りました。顔の腫瘍を手で隠しながら、恥ずかしそうに手を振り返してくれた娘さんの顔が、忘れられません。
帰りの飛行機を待つハノイ・ノイバイ国際空港でのこと。バスを待つ列に並んでいた若い女性のキャリーバッグに置かれた英語の本に目が止まりました。お話を聞いてみると日本の会社でシステムエンジニアとして働いているとのこと。日越を往復する日々のようです。私達のベトナムでの活動をお話し、枯葉剤被害について尋ねてみると、全く聞いたことがない、と言われ驚きましたが、これまでにも何度か同じような経験をしたことがあります。どうやらベトナムでは若い世代にベトナム戦争での枯葉剤散布、そしてその後の被害について積極的には教育していないようです。支援活動と同じように、広報活動も大切だと痛感し、帰国の途についたのです。
2018 年 沼津朝日新聞 言いたいほうだい 「娘の幸せ」