■20200314-0315(土曜日と日曜日)
■さて仕事が終わってから電車を乗り継いで高崎まで行きました。たくと会って伊香保温泉に宿泊するためです。新幹線を乗り継いで高崎駅で下車。両毛線に乗り換えて高崎問屋町駅で降りました。駅前でたくと待ち合わせて車に乗せてもらい、伊香保温泉の旅館に向かいました。
沼津から東京を経由して高崎に行きましたが、途中も雨が降り、寒々しい天候でした。それでも車に乗った時には雨が降っている状態でしたが、伊香保温泉に近づくにつれて、周囲が雪景色に変わっていくのに驚きました。
今日は朝から車で行こうか、電車にしようかと2人で散々迷ったのですが、雪景色を見て電車で来たことにホットしました。スタッドレスを履いていない私の車では、この雪道を運転するのは危険極まりないからです。たくの車はスタッドレスを履いていましたので、安心して宿へ向かうことができました。
宿についてやっと一息つきました。最初の予定では伊香保温泉ではなく、草津温泉に宿泊する予定でしたが、天気予報を睨みながら雪が降るという予想から、とても車で行くのは無理と判断し、草津よりもずっと標高の低い伊香保温泉に変更しましたが、実に正しい決断でした。
あの時間であの天候では草津温泉に着くのは、いつになるか想像もできない状況でした。宿に着いたのは17時30分近かったのですが、明るいうちに着けたのは本当に幸運でした。チェックインを済ませて、夕食は当初の19時半から19時に変更してもらうことができましたので、ゆっくりとお風呂に入って、ちょうど良い頃合となりました。
宿泊した「ホテル木暮」という旅館は、とても由緒のあるホテルのようで、たくによれば伊香保温泉の湯量の約4割を使用する権利を持っているとのことで、たくさんの湯船があるのには驚きました。いくつものを湯船に浸かり、しっかりと温まって、部屋に戻ることができました。
19時から夕食を取ることができましたが、3人でゆっくりと話をしながら夕食をとることができたのは、本当に幸せな時間でした。
■20200315(日曜日:晴れ)
■昨日は新幹線を乗り継いで、たくと待ち合わせて、車で伊香保温泉まで送ってもらいました。高崎駅から両毛線に乗り換え、高崎門前町駅で下車、無事に待ち合わせることができました。たくの家から最近駅なのです。
昨夜は温泉に浸かって、ゆっくりと食事を共にして家族水入らずでした。たくの仕事も今のところ順調のようで安心しました。健康と生活のことが、やはり親としては一番心配です。
■さて今日は榛名湖のロープウェーに行くことにしました。当初は世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」を見学する予定でしたが、帰りの電車の関係で難しそうだ、という判断でしたが、せっかく青空が戻ったので榛名湖ロープウェーを優先しました。
ところがどっこい、そうは問屋が卸してくれませんでした。榛名湖までの道路が一面の雪景色だったのです。
もう少しで榛名湖、というところで右手にロープウェー乗り場への案内板が見えてきましたが、運行停止のようでした。そのまま進んで、榛名湖管理事務所へ向かいました。
■榛名湖についてみて、その雪景色に驚きました。榛名湖の標高は、1,084m とありますから、山中湖の 980m よりも高いのですから、べつだん天変地異というわけではないのですが、それでもその違いには驚くしかありませんでした。
そのためか、観光客はほとんどいません。管理事務所もコロナウイルス感染症のため閉鎖という張り紙がありました。
記念写真を撮ってから、時間をみて調べると富岡製糸場と絹産業遺産群にも立ち寄る時間は充分ありそうだという事になり、カーナビをセットして出発しました。
まるで箱根駅伝のコースを駆け下りるように、下り道をドライブしていると、急激な景色の変化に、またまた驚きました。あっという間に雪景色が消え去り、どこにでもある里山の風景が出現したのです。
■富岡製糸場と絹産業遺産群には11時過ぎに到着。市営の無料駐車場に止めて、ぶらぶら歩き始めました。最高の青空です。上信電鉄上州富岡駅 、富岡市役所などなど青空のもと、三人で楽しく散策すると15分ほどで到着しました。
たくの法律事務所の親分である高橋伸二先生が、富岡製糸場を愛する会を立ち上げ、いわば生涯を掛けて勝ち取った世界遺産です。本当に地元の宝です。
ただ残念ながら新型コロナウイルスの関係で、工場内は見学できないとのこと。見学料はしっかり取られましたが、一年以内ならその券で無料見学できる、ということでした。でも一年以内に再訪することは、残念ながら無さそうです。
見学者は思ったよりも少なく、のんびりと見て回りました。近代化を急ぐ明治時代。人々は追われるように、必死になって欧米から科学技術を学ぶ必要がありました。国の存続そのものが掛かっている、過酷な時代背景が有りました。
明るい部分に光を当てれば、「坂の上の雲」になるでしょうし、暗い部分に光を当てれば「女工哀史」となるはずです。どちらも同時並行で人々を駆り立てたのでしょう。
今では想像もできない時代環境だったに違いありません。お雇い外国人技師のフランス人技師が家族とともに来日して指導にあたっていました。今では想像もできない高額の年俸で雇っていたわけです。貧乏国にとっては大きな負担でした。それでも知識も技術もない東洋の一小国が生き延びるには、そうせざるを得なかったのです。無慈悲な厳しい時代でした。
欧米諸国によって中国を始めアジア諸国は、散々なひどい目にあっていました。泥棒や人殺しなど、なんとも思わない連中だったのです。自由・平等・博愛は、アジア人には当てはまらないのです。
テレビのCMを観ていると、モデルを務める欧米の白人の、なんと多いこと。劣等感の裏返しです。いつまで、そんなことを続けていくのか。本当に残念なことです。
■さて無事に見学も終わり、昼食を取るために高崎駅方面に戻りました。少し遅い昼食でしたが、イタリアンを希望したところ、たくが美味しい店を知っていました。到着してみて驚きました。お客さんが長蛇の列を作っているのです。14時近かったのですが、その混雑ぶりには驚きました。
最初はテーブル席をお願いしたのですが、それではいつになるかわからずにカウンター席に変更し、ようやく席に付くことができました。
注文したパスタを見て、そして食べてみて納得しました。なるほど人気店になるはずだ、と分かりました。食事も無事に終え、高崎駅に向かいました。
16時半近くの「とき号」に乗ることができ、あっという間に東京駅です。東海道新幹線こだま号が出発したばかりで、30分ほど待つ必要がありました。ホームの待合室に入りました。いつもでしたら、いつもまにか長い列ができているのですが、この日は出発の5分前に並び始めても、ゆうゆうと席につくことができました。本当に人出が減っているのです。
不要不急の外出を自粛するようにという政府の要請は、経済に深刻な影響を与えているようです。日銭商売は、本当に大変だと思います。政府の対策が必須です。
こうして家に辿り着いたのが、17時半過ぎでした。楽しかった週末も、あっという間に過ぎ去りました。