青空を背景に、これが錦帯橋です。
2020山口県の旅
Day 01 20200319富士山静岡空港から北九州空港へ
Day 02 20200320北九州空港から錦帯橋へ
Day 03 20200321錦帯橋から秋吉台、萩の街へ
Day 04 20200322萩から小倉へ

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■Day 01 富士山静岡空港から北九州空港へ

■昨日は仕事を終えて一休みしてから、富士山静岡空港へ向かい、北九州空港へFDAで舞い降りました。海上に埋め立て空港として造成された空港の周囲には、ほとんど何もないような状態ですが、唯一のホテルである東横インに宿泊しました。

富士山静岡空港は、ガラガラでした。国際線は全便欠航でしょうか。新型コロナウイルス騒ぎで中国からも韓国からも観光客はゼロでした。本当に閑散でした。私達が搭乗したFDA便も、エンブラエル社製の飛行機でしたが、搭乗者数は、たったの30名ほど。CAさんが寂しそうに、30名なんです、と教えてくれました。

飛行機自体は90名ほどの規模ですので、なんとか採算は取れるのかもしれませんが、これでは長続きはしません。いったい、いつまでこんな状態が続くのか。交通機関や観光業界では、その日を首を長くして待つしかなさそうです。

さて食事を取る店も空港内に三件だけあるのみで、どうしようかと思いましたが、ホテルで無料のカレーライスを出してくれると知って驚きました。空港で夕食を取り、送迎バスでホテルまで行き、チェックインした後、さらにカレーを少々いただきました。明日に備えて早めに休みましたが。

北九州空港のホテルから見た連絡橋です。

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■Day 02 北九州空港から錦帯橋へ

■さて今朝は9時からレンタカーを借りて山口県に向かう予定です。ホテルの裏にあるレンタカー店に行き、予約してあったアクアを借りて出発進行です。目的地は錦帯橋です。

グーグルマップで調べると北九州空港から錦帯橋までは3時間弱と出ましたが、急ぐ旅でもないのでのんびりと一般道を行きました。まずは137キロほど走って、「道の駅 ソレーネ周南」で一休みです。

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販売されている海の幸、そして山の幸が新鮮で、しかもとても廉価なのです。びっくりしました。惣菜やお弁当の豊富なことも驚きでした。いくつか惣菜を買って、隣接する施設でいただきました。本当に素晴らしい食材でした。また立ち寄ってみたい思いでいっぱいです。

■さて、さらに64キロを走り、錦帯橋に到着です。到着したのは午後2時前でした。最高の青空です。ただ一つ残念だったのは、桜の開花には数日早かったことです。明日には咲き始めるのではないか、とはガイドさんのお話でした。

  • ケーブルカーを降りて市内を見渡しました。
  • ケーブルカーを降りて市内を見渡しました。
  • 錦帯橋から見た錦川です。鵜飼が開催されます。
  • 青空を背景に、これが錦帯橋です。

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ボランティア・ガイドの方が案内と説明をしてくださいました。退職後にガイドを始められたそうです。

とても勉強されている様子が私にも分かりました。

ケーブルカーに乗り岩倉城に向かいました。ケーブルカー駅から見晴らす景色は、とても見事でした。これで桜が満開なら、絵も言われぬ風景でした。それでも吉田兼好が言うとおり、

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。

雨に向かいて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。

咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。

なのです。つまりは想像力を働かせろ、ということです。明日になったら、この桜の木々は、どれほど美しく咲き誇っているのだろうか、と想像する心。錦帯橋から眺める桜の無数の蕾を見ながら、明日の様子、明後日の様子を想像する心こそが、美を愛でる心ということなのでしょう。

帰りがけ、写真を撮ってもらった若者グループの一人と。明るい若者たちでした。

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■のんびりと散策の後、「旅館 白為」に落ち着きました。6室のみのこぢんまりした旅館ですが、落ち着いた佇まいは、ただものではありません。新型コロナウイルス騒ぎで、キャンセルが相次ぎ、今夜宿泊したのは、私達二人だけ。独占でした。

地酒を用意してくれました。三種類から私達が選んだ二種類を、2合ずつ提供してくれました。

主な地酒には5種類あるそうですが、女将が用意してくれた三種類の中には、かの有名な獺祭が選択肢にはありませんでした。女将の趣味でしょうか。

辛口の2銘柄は、甲乙つけがたい美味しさでした。

次々から次に出てくるお料理の見事なこと。2時間かけて、ゆっくりといただきました。

私達以外のお客さんがキャンセルされたのは、旅館にとっては大変な災難でしたが、こうしてこの旅館を独占できたのは、私達には至福の時でした。

ライトアップされた錦帯橋です。幻想的です。はるか上に見えるのが岩国城です。

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Day 03 20200321 錦帯橋から秋吉台、萩の街へ

■今日は岩国から萩へ向かう予定です。昨夜は割烹旅館「白為」ならではの美味しい夕食をいただき、本当に満足でした。6室しかない旅館なのですが、キァンセルが相次ぎ、結局宿泊客は私たち二人だけでした。地元の日本酒3種類を試してみて、一番気に入った銘柄を二合いただけるプランでした。

今朝のニュースでは、昨日のニューヨーク市場で、ニューヨーク州知事が全ての労働者に自宅待機を命じたとの報道を受けて、NYダウは900ドルの下落を記録しました。手元にドル紙幣を確保しておきたい、と 投資家の気持ちが募っているようです。株や債権への信頼が崩壊しつつあるのです。リーマンショックの際も叫ばれた、「キァッシュ  イズ キング 現生が王様だ 」というわけです。

■さて宿をあとにして、まず目指したのが秋芳洞です。かの有名な鍾乳洞です。

秋芳洞(あきよしどう、「しゅうほうどう」の読みは誤り、詳細は後述)は、山口県美祢市東部、秋吉台の地下100-200Mにある鍾乳洞で、約1KMの観光路をもって公開されている。鍾乳洞としては日本最大規模。

洞奥の琴ヶ淵より洞口まで、約1KMにわたって地下川が流れ下っている。 1990年前後の洞窟探検家による琴ヶ淵から奥への潜水調査の結果、東方約2.5KMにある葛ヶ穴まで連結し、総延長は8,850Mに達した。

2016年7月からのの山口大学洞穴研究会と秋吉台科学博物館でつくる「秋吉台カルスト洞窟学術調査隊」の測量調査によって総延長は10,300Mに伸び、現在日本第3位にランクされている。

1926年以前は滝穴(瀧洞)と呼ばれていた。特別天然記念物。秋吉台国定公園に属する。

百枚皿です。

■さて秋吉台を走り抜け、宿へ向かう途中で、「道の駅 萩シーマート」に立ち寄りました。

秋吉台です。

道の駅には、可能な限り立ち寄る、という方針で旅しています。北海道でも九州でも、どこでも道の駅です。その土地、その土地で海の幸、山の幸が楽しめてドライブ旅行の大きな楽しみの一つです。

巨大なアンコウには、びっくりしました。9,800 円でした。アンコウ鍋、美味しいのでしょうね。

さて宿に着いて評判の岩風呂に入りました。今日のホテルは、思ったほど閑散としているわけではありませんでした。外国からの観光客は、さすがに眼にしませんでしたが、日本人の客で充分普段どおりに見えました。

のんびりと夕食を楽しみました。

こうして無事に一日が終わりました。

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Day 04 20200322   萩から小倉へ

■さて、今日で山口の旅も終わりです。始まってしまえば、あっという間の3日間でした。今日は飛行機の出発が19時35分と遅めの便しかありませんでしたので、1日をどう有効に利用するか知恵の絞りどころです。

まずは「金子みすゞ記念館」に行くことにしました。カーナビにセットして宿を出たのが8時半過ぎでした。記念館が9時から開館されることは、ネットで確認してありました。ところが到着してみて、がっかりでした。コロナウイルス感染の関係で閉館中だったのです。

金子みすゞは、山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)に生まれました。仙崎は漁港の街でした。「大漁」の詩が思い浮かび、なるほどと納得しました。

みすゞの生誕100年目にあたる2003年4月11日には生家跡に金子みすゞ記念館が開館。

みすゞが少女期を過ごした家を復元すると共に、直筆の詩作のメモなどが展示されている。

と、Wikipedia にある記念館を訪れたのですが、コロナウイルス感染症騒ぎの中で、残念ながら閉館中で、見学はできませんでした。

実家であった書店の中に記念館があります。

この通りは商店街であり、往時には多くの人々が行き交ったに違いありません。

どの地方の商店街も衰退の一途です。人通りが、ほとんどありません。

記念館は閉鎖されていましたが、玄関までは見ることができました。

中庭には、みすゞの像が飾ってありました。

劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。

■さて記念館が休館中でしたので、そのまま関門海峡を俯瞰できる場所を求めてスタートしました。途中で「道の駅 センザキッチン」に立ち寄りました。仙崎はすぐ沖に青海島 (おおみじま、おうみじま) を望む漁港でもあり、観光地でもあるのです。遊覧船が出ていました。

建物は木を基調にした落ち着いた雰囲気で、海の幸、そしてジビエも豊富にあり、飽きることがありませんでした。

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■小倉の街へ

 さて金子みすゞ記念館をあとにして、小倉の街へ向かいました。萩の町から 111 キロとあります。錦帯橋へ向かった初日は、一般道を通りましたので、関門海峡は海の下を通りました。帰りの道のりは、高速道路を通り関門海峡を望むことのできる公園へ行く予定でした。

  • ここからの眺めは最高でした。

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■さて次は門司レトロに向かいました。

■門司レトロで軽く昼食を取ってから、小倉城へ向かいました。少し雨に遭いましたが、大降りになることもなく、幸いでした。門司レトロは、ちょうど小樽の街のようで、趣のある良い佇まいでした。

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■さて小倉に到着です。

  • 小倉城です。城下町は気品があります。

小倉市(こくらし)は、かつて福岡県東部に存在した市。現在の北九州市小倉北区と小倉南区に相当する。

旧企救郡(きくぐん)の一角で、1963年(昭和38年)2月10日、門司市・戸畑市・八幡市・若松市と合併して北九州市となった。1963年4月1日、北九州市の政令指定都市移行に伴い、旧小倉市は小倉区となり、1974年(昭和49年)には小倉北区と小倉南区に分区された。

北九州市は人口96万を超える大都市です。

小倉城の桜です。1-2輪のみが咲いていました。

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■小倉市民の胃袋、旦過(たんが)市場です。この日は日曜日で、お休みでした。歴史を感じさせるというか、古めかしい商店街でしたが、味がある店が並んでいました。

  • 旦過市場内の掲示板です。

道路の反対側、魚町銀天街から見た旦過市場です。

■こうして、あっという間の山口県の旅でした。幸い天候にも恵まれ、まことに楽しい旅でした。北九州空港を利用したのは初めてでした。関西空港と同様に、人工島に作られた空港です。

人工島のうえホテルは一軒しかありません。そして店らしい店も、ありませんでした。空港内に三軒の食堂があるだけ。でも中華料理店は、美味しいかったです。

泊まった、島にある唯一のホテル、東横インでは夜食を無料で提供してくれたことには驚きました。普段でしたら中国からの観光客で大混雑なのでしょうが、今回は閑散でした。

二日目は空港からレンタカーで、関門海峡を一般道経由で海の下を通過し、東へ東へと向かいました。200キロ近いドライブです。瀬戸内海を眺めながらのドライブを期待したのですが、実際には海は見えませんでした。

周南市で、一般道から海の方へ南下して道の駅で、昼食を取りました。これは正解でした。海の幸が盛りだくさんの、しかもとてもお手頃な値段のお弁当が、たくさん売られていたからです。お惣菜も、よりどりみどり。胃袋がいくつあっても足りないほどでした。宿での夕食が楽しみでしたので、残念ながら、昼食は最低限で我慢しました。

旅行をした際は、レンタカーを借りてのんびりドライブするのが、最近の楽しみ方なのですが、どこへ行っても道の駅は、その土地、土地で特徴があり、ワクワク感でいっぱいです。今回は二箇所へ立ち寄りましたが、どちらも立ち寄る価値がありました。

海に近い立地条件から海の幸が、いっぱいでした。9,800 円のアンコウの大きさには驚きました。

金子みすゞ記念館に立ち寄りましたが、コロナウイルスの影響で休館だったのは残念でした。彼女の実家は書店で、記念館はその敷地の中に建てられています。記念館のある通りは、昔は多くの人で混雑したに違いない商店街なのです。落ち着いた雰囲気の素敵な通りでした。

でも今では、すっかり人出が減ったに違いありません。こうした商店街が生業を続けていけるような地域経済を、どうしたら維持できるのか。チェーン店ばかりが軒を並べる、というのは決して幸せなことではないと私は思います。

この国を、どのような形の国とするのか、いまこそ真剣に考え直す必要があります。

■さてコロナウイルス感染問題で、どこもかしこも自粛の嵐です。確かに感染拡大の観点からは、不要不急の外出は避けるべきでしょう。しかし、経済が破綻しかねないのも事実です。自粛と適切な経済対策は一緒になって初めて有効なのであって、自粛ばかりを叫ぶのは、脳のない政治家のすることです。

そして、今の指導的立場にある政治家の皆さんは、残念ながら自粛ばかりを叫んでいます。政治家の皆さんに、国民への愛が感じられないのです。自分の立場しか頭にないのです。

危機になってみると指導者の力量が顕(あらわ)になります。ドイツのメルケル首相の国民へのお願いがネット上に流布しています。日本語訳も、ご覧になれますので、ぜひ一度目を通してください。

同じ一国の指導者と言っても、これだけ違うのか、と愕然とするはずです。そして、そうした指導者を選んできたのは、私たち有権者なのです。

日本にも素晴らしい政治家が、もちろんたくさんいます。残念ながら、そうした政治家のみなさんが力量を発揮できる立場に、現在いないだけなのです。政治が腐敗すれば社会が腐敗します。実際は順番が逆かもしれませんが。

もう残された時間は少ないのです。そのことに一刻も早く有権者が気づかなければ、日本の社会は瓦解していくでしょう。