■20241201(日曜日:晴れ)

ファミリーマラソンに参加する皆さんです。
青空と紅葉。最高の日和でした。

■今日から師走。昨日は仕事を終えてから、電車を乗り継いで川口に向かいました。川口マラソンに出場するためです。まさか川口でマラソン大会を走るとは、夢にも思っていませんでした。

ネットで偶然、大会を見つけました。今まで気付きもしませんでした。

埼玉県川口市には3歳から19歳まで家族で住んだ街ですので、心の故郷と言えます。京都に生まれましたが、その当時の記憶はありませんし、住んでいた家屋も残っていません。京都の面影は、一欠片(ひとかけら)も残っていないのです。

川口も同様です。家族で暮らした公団住宅は、その後再開発でURが管理するマンションとなっており、これまた当時の面影は何も残っていません。つまり、私にとって故郷と言えるものは、記憶の中にしか残っていないのです。

そんな川口ですが、小中学校を共に過ごした竹馬の友が一人、今でも連絡を取り続けています。公務員だった彼は、もう悠々自適の生活ですが、今回は完走後に一緒に一杯やろう、という約束になっていました。どうなりますか。とにかく、無事に完走することだけを目指して、頑張る予定でした。


■土曜日は新幹線で東京へ行き、京浜東北線に乗り換えて川口駅で途中下車して、歩き始めました。昔住んでいた団地跡、そして川口市立西中学校を訪ねてみようと思ったのです。

川口市の人口の推移を調べてみると、私が12歳、昭和40年(1965)の人口が、249,112人。そして、2024年1月1日における川口市の総人口は606,315人となっています。

一方沼津市は、昭和40年(1965年)の沼津市の人口は、181,762人でした。
1995年(平成7年)をピークに減少に転じ、2020年(令和2年)には189,680人と、25年間で12.9%減少しています。

京浜東北線で川口駅から東京駅まで29分。とにかく便利です。単にその差です。沼津は風光明媚で海の幸も豊富、こんなに住みやすい所はない、と勝手に思っていますが、人口減少時代には、東京までの距離の差が、そのまま人口差につながっています。
 

■16時には、西川口の宿にチェックインしました。いささか歩き疲れました。早めに食事を摂って、眠りにつく必要があります。こうして一人で参加する場合は、前夜の夕食は、コンビニで購入した、おにぎりとサラダとカップ味噌汁と決めています。

20時30分には消灯しました。

■日曜日、いよいよ大会の日です。東横インの朝食は6時半から。ホテルから会場までは、歩いて30分をみていれば大丈夫とは思っていたのですが、初めてですので早めに越したことはありません。ホテルはランナーで満員に違いない、と勝手に思い込んでいました。

どこの大会でも、会場に近く手頃なホテルは前日満員です。ところが意外にも、朝食を待つ人には、ランナーらしき人は、ほとんどいません。一人二人でした。参加者には、地元の人が多いようです。

一番に並んで朝食を摂り、会場を目指しました。駅をまたいで反対側になります。西川口駅東口前の大通りを真っ直ぐ進むと、青木町公園の交差点が出てきます。極めて分かりやすいのですが、初めてですと、これでよいのか不安になり、通行人の方に確認しました。

駅から10分ほどでしょうか。会場に到着です。

1時間以上前に会場に到着しましたので、まだ会場は混雑していませんでした。まず手荷物預かり所を確認です。会場は、とてもコンパクトで分かりやすく、大勢のボランティアの方が参加していました。

早々と手荷物を預けてしまうと、Tシャツ一枚になってしまい、寒くなるのが怖いので、なるべくギリギリまで待ちました。地元の方が多いためか、皆さん慣れた様子で、落ち着かないのは自分だけのようです。

スタートの集合場所やスタート地点も、間近にあり迷うことはありません。8時10分に小学生5,6年男子の2キロ走がスタートし、次々と2キロの部がスタートです。そして8時30分がハーフのスタート。さらに、10キロ、3キロの部で終了です。

5箇所ある関門の中、最初の3箇所は余裕を持って通過しました。スタートして2時間後の10時30分が制限時間の17.1キロ地点、第4関門では、「あと300メートル、残り3分です」という案内があり慌てました。

そして最後の関門。2時間10分後の18.6キロ地点では、「あと300メートル、残り2分です」の案内に、このままでは間に合わないと、残された力を振り絞って全力でダッシュしました。この時点が一番苦しい時間でした。もういいや、と殆ど諦めかけました。それでも走り続けることができたのは、スクワットのおかげです。間違いありません。以前より筋力が付いていたのです。

本当に間一髪で関門を切り抜けました。しかしダッシュしたためか、左脚のフクラハギが痙攣し、痛み始めた事に困惑しました。とにかく、できることはストレッチしかありません。このあとは、ストレッチしては走り始め、また痛みからストレッチの繰り返しでした。

本当に苦しい時間帯で、もうだめだと何度も諦めかけました。

70歳以上のハーフ参加者は、35名でした。

こうして無事にゴールできました。会場に戻ってみると、携帯でのやり取りの声が聞こえてきました。「お父さんは途中棄権したので、まだ戻ってないよ」。

まずはSunと友人に、無事に完走したことをラインしました。完走した証拠写真を撮らねばなりません。ボランティアの方に御願いしました。記録チップを返却し、飲料水をいただき、手荷物を受け取りに行きました。

手荷物は、ほとんど残っていませんでした。11時半が受取の締切です。まだ時間がありました。持参したビオレで身体を清拭し、着替えを済ませました。アンケート用紙を返却し、お汁粉を頂きました。薄味でしたが美味しかったです。

これで全て終わりました。駅に向かって歩き始めました。予定では12時30分に川口駅で待ち合わせだったのですが、12時前には待ち合わせ場所に到着しました。しばらくすると、友人のKouhei君がやって来ました。

川口駅前は5年前に来て以来、またまた大工事中でした。予約してあったお店に辿り着き、さっそく乾杯です。

もう60年以上の付き合いです。馬が合うのでしょう。

1時間半ほど四方山話に花が咲きました。好奇心と向上心の塊のような彼は、囲碁とゴルフに凝っています。いまアマチュア4段の腕前です。大学時代は差のない腕前だったのですが、今ではプロとアマほど差があります。

年を取ると、愚痴か人の悪口しか口にしない人も多いのですが、彼は一言もそんな事は口にしません。常に前向きです。そんなところで、馬が合うのかもしれません。

次回はゴルフで会おう、と話して別れました。苦しく楽しかった一日も終わりです。駅に向かいました。