■20240705-20240710(金曜日ー水曜日)

台湾高雄市の「墾丁凱撒大飯店(シーザーパークホテル墾丁)」です。
眼の前に広がるのは、小灣海水浴場。台湾の一大リゾート地です。

■20240705(金曜日)鈞怡大飯店 Harbour 10 HOTEL

今年は早めに夏休みを取って、台湾に行きました。Nonちゃんのプランです。台湾には以前家族で出かけましたが、調べてみると1996年12月でした。両親と一緒に出掛けています。あの時は、高雄から台北へは列車で移動しています。ツアー旅行でした。

あれから28年が経ち、両親はすでに二人とも旅立ちました。Nonちゃんとの3人旅行です。

5日の仕事を終えてから、原駅まで送ってもらい、今回は成田エクスプレスを利用して品川駅から成田空港へ向かいました。Nonちゃんとも無事に待ち合わせることができ、18時40分発の中華航空 CI127便にて成田空港を飛び立ちました。順調に飛行し、高雄国際空港に到着した後、タクシーにてホテルに到着したのは、現地時間 23 時少し前でした。

空港で指示されたタクシーに乗ったのですが、運転手さんは高齢者で、スマホに掲載したホテル名「HARBOR 10 HOTEL」を見せても、漢字表記で説明しても場所が分からずに、とても慌てました。

結局、運転手さんのスマホからホテルに電話をしてもらって、ようやく目的地へ向かうことができました。今回の旅では合計 4 回タクシーを利用しました。どの運転手も、とても親切でしたが、やはりスマホの適切な利用ができるか否かが、業務の円滑さを大きく左右したようです。

■20240706(土曜日:晴れ)墾丁凱撒大飯店(シーザーパークホテル墾丁)

ホテルの営業許可証の中華民国107年とは、なんだろうと思って調べました。

中華民国100年は、西暦2011年に到来しました。

中華民国は1912年に辛亥革命によって成立した国で、2011年にはさまざまな苦難を乗り越え、経済成長を果たしてアジアの四小龍の一つに数えられ、政治的にも民主化を遂げていました。

ご存知の孫文により、1912年に建国されたのが中華民国でした。いまの台湾は、その中華民国の後継者という位置付けです。2024年は民国113年に当たります。

■さて今日はホテル行きのバスに乗って、リゾート地へ向かいます。目的場所は、屏東県(墾丁)にある「墾丁凱撒大飯店(シーザーパークホテル墾丁)」です。ホテルからバスの発着場である新左営站まで、タクシーで向かいました。

新左営站には、立派なショッピングセンターがあり、一階にはラーメン店「IPPUDO」がありました。ラーメンセットが、1,800円ほど。海外で初めて食べました。思ったより美味しかったのですが、付いてきた餃子は干物のように縮んでいて、これはいただけませんでした。

一階のバス停から、14時15分発のバスに乗って、2時間30分で到着です。

■さて出発です。Nonちゃんが前もって予約してくれてありましたので、写真の運転手さんに名前を告げて乗車しました。満員だとのことでしたが、家族3名と私達の6名だけ。満員なのは帰りの便でした。

台湾の南西海岸を120キロほど走ります。目的地の「墾丁凱撒大飯店(シーザーパークホテル墾丁)」は、墾丁国家公園内にあり、人気のリゾート地のようです。台湾のほぼ南の突端に近い場所です。レンタカーで来ていれば、その岬をいつものように、ぜひ訪れたいのですが、今回はそうはいきません。

到着は16時45分頃。日差しが強く、南国に来たという実感で一杯です。

部屋に案内されて、ようやく一休みです。まずは3人で館内を下調べです。ブティック、催し物案内、ジムの様子など、ぶらぶら見て歩きました。ホテルの近くには夜になると、数多くの夜店が立ち並ぶことは、ネットで調べてありました。

18時を過ぎてホテルを出ました。どの店に入ったらよいのか、迷いながら歩くのも楽しみでした。

夕食はホテル前の26号線沿いに屋台が列をなしています。観光客の数もすごいのです。数多くの夜店を見て回りました。屋台で購入すると持って帰ることになるので、今夜は中華料理の店に入って食べました。台湾ビールで、まず乾杯です。

海鮮中華店でしたので、蒸した牡蠣を食べたのですが、スンいわく、「こんな大きな牡蠣を食べるのは初めて」。ニンニクの量も半端ない量。台湾ビールを飲んで、牡蠣にとこぶしが、美味しかった。

さらに、韓国料理の屋台でトッポギと、屋台のかまどで焼いたピザを購入して帰りました。2次会用です。帰り道で、さらにスイカジュースをのんが買ってくれました。部屋で2次会。22時には眠くなってお開きとしました。

こうして楽しい夜もお開きです。

■20240707(日曜日:晴れ)墾丁凱撒大飯店(シーザーパークホテル墾丁)

今日は注目の東京都知事選挙がありました。結果は、小池さんの三選で終わりました。

昨日と同じく、朝食は9:30からと遅めのブランチとしました。午後からSunと二人でプールに行って、久しぶりに水遊びをしました。強烈な日差しのもとなので、しばらくプカプカ浮いていたのですが、日陰に移動して直射日光を避けました。それでも結構日に焼けたのかもしれず、夜は少し眠れなかったほどです。静岡でも気温が上がり、40度近い猛暑になっているようでした。

この施設は、クラブメッドとは異なり、設備はやや貧弱です。フィットネスクラブもあるのですが、ランニングマシーンが、3台あるばかりで、筋トレ器具もありません。9時から22時まで利用可能なのですが、昼休みが12時から13時30分まであり利用できません。要するに何もかにもが、まだまだこれからのように感じましたが、そのような需要が無いのかもしれません。

宿泊客は台湾人がほとんどで、欧米人は1人見かけた程度。子どもたちは、騒ぎ回ることも無く、静かで穏やかな空間です。落ち着いた雰囲気で、とても静謐な空間が広がるというイメージです。

17時半頃からホテルを出ていつもの通りを北上し、中華料理屋さんで食事を摂りました。一皿100元均一のような張り出しでしたが、もちろん、全皿が百元なわけではありません。それでも、料理自体は美味しかったです。全部で600元。3,000円ほど。大ビン一本飲んでの値段だから、高くありません。のんはタコスを買って夜食にしました。

通りの両側に延々と屋台が並ぶ、その様は観光客の多さもあって、圧倒されます。台湾では指折りの夏の観光地なのでしょう。

ホテルの駐車場には、ハイパーチャージァーがあって、テスラ車2台が充電中でした。駐車場の車は、ほとんどが日本車。トヨタが圧倒的です。あとはドイツ車とヒョンデでしょうか。

■20240708(月曜日:晴れ)墾丁凱撒大飯店(シーザーパークホテル墾丁)

今日も遅めの朝食でした。そして午後から、snorkering( 潜浮)シュノーケリングを申し込みました。14時から40分、一人500台湾元・2,500 円ほどです。小彎海水浴場には、船の発着場所は見当たりません。ということは、船で沖に出てシュノーケリングをするわけでは無さそうです。

どうするのだろうと思っていると、浮き輪を繋いだ長いロープを引っ張りながら泳いで、担当者が案内してくれるという方法でした。少しだけ沖に出ると岩場があり、サンゴが広がっていました。ただし、沖縄のカビラで見たような色とりどりのサンゴ礁とはいきませんでした。

それでも久しぶりに潜浮を楽しむことができて、私は満足でした。終わってから、沖縄には叶わないね、とNonちゃんに言ったところ、サイパンのサンゴ礁が一番綺麗だった、とのこと。Ayaちゃんと二人で、スキューバダイビングの講習会に参加し、免許まで取った二人でした。

部屋に帰ってから少し休み、夕方ジムに行って30分だけ走りました。もう、このホテルのジムを使用できるチャンスは無さそうです。ちょっと無理をして、地下一階にあるジムに向かいました。ジムでは高齢者らしき男性が、一人だけでランニングマシーンに取り組んでいました。私よりも前から、そして私が走り終えてからも、走り続けていました。

さて夕食の時間です。今夜はイタリアンのお店に決めていました。3人の口に、とても合ったようです。美味しかったです。

さて、こうして楽しかった墾丁凱撒大飯店での休日も終わりです。最後の夜です。ところが、ここでハプニングです。就寝前に歯磨きを、と洗面所で歯ブラシを持っていると、急に気分が悪くなりました。最初は、食べ物に当たったのかと思いました。吐こうとしたのですが、何も出ません。そのまま、床に倒れ込みました。タイル敷きの冷たい床に寝て、しばらくすると嘔気も消えてきました。

10分ほどでしょうか、経過したところでSunが声をかけてくれました。「大丈夫」と、半ば冗談で声を掛けてくれたのですが、「大丈夫じゃない」と返答して、駆けつけてくれました。冷たいタオルで頭を冷やし、血圧が戻って来ました。一過性の低血圧だったようです。

原因は分かりません。潜浮にランニングと無理が祟ったのかもしれません。湯船には入っていませんので、のぼせた訳でも無さそうです。兎にも角にも無事に回復して助かりました。高齢者は、これだから困ります。注意一秒ケガ一生です。倒れ込んで頭を打ったら、おしまいでした。神様は、まだ私を見捨ててはいないようです。

何とか無事に、墾丁凱撒大飯店での最後の夜も、無事に乗り切りました。

■20240709(火曜日:晴れ)宮賞芸術大飯店

さて、ホテルからは送迎バスが、11時出発です。高雄の新左営駅まで、2時間半です。これまでは、朝食は遅めにしたのですが、今朝は間に合わなくなるので、7時からの一番組に入れてもらいました。

帰りのバスは満員でした。途中トイレ休憩がありました。行きには無かったのですが、乗客の希望ですので致し方ありません。おかげで写真を撮る機会ができました。

2時間半の間、車窓の風景を見ていて、飽きることはありませんでした。ただ気になったのは、道路の車幅が少し狭いのです。すれ違いはギリギリという感じで、結構事故が多いのでは、と心配になったほどです。

新左営駅からはタクシーです。黄色に統一された車体は、清潔で安心して乗車できました。運転手さんは、どの方もすべて親切で好意的でした。料金は決して高価ではありません。むしろ日本より安価でした。円安で、この値段ですから、以前はもっとお得だったのでしょう。運転手さんの給料を心配したほどです。

運転手さんは親切にも、ホテルから行ける観光スポットを紙にメモしてくれました。

ホテルでは到着時に、チェックインの時刻までの間、お茶とケーキを振る舞ってくれました。なんというサービスでしょうか。一息つきました。やがて、15時となり部屋に入ることができましたが、あまりの部屋のゆったり感に驚きました。広々しているのです。Nonちゃんの選択は、大正解です。

荷物を整理してから、暑いさなかの街を歩きました。地下鉄乗り場に向かって歩き続けました。迷いながらも何とか、乗り場の入口に到着。「美麗島駅」です。そして、早めの夕食を「漢神アリーナデパート 漢神巨蛋購物廣場」で摂ることにしたのですが、さすがのNonちゃんも地下鉄乗り場で立ち往生。

どの線のどこ行きに乗れば良いかは、広い広い構内を探し歩くだけでは、難しかったのです。ところが、リュックを背負った女性に何気なく尋ねたところ、何と券売機まで自ら案内してくれて、降りるべき駅名まで親切に教えてくれたのです。そこまで結構な距離がありました。何と親切な方なのでしょう。

■さて、何とか巨蛋駅に到着。「漢神アリーナデパート 漢神巨蛋購物廣場」に向かって歩き始めました。道路の左手に「高雄市立三民高級家事商業職業学校」がありました。5分ほど歩くと、「漢神アリーナデパート 漢神巨蛋購物廣場」が現れます。ショッピングセンターです。

漢神アリーナと並んで漢神アリーナデパートがありました。エレベーターで地下に降りると、多くの店があります。目指すは有名な「鼎泰豐(ディンタイフォン)」です。

16時半に入店しましたので、席は充分ありました。鼎泰豐(ディンタイフォン)については、以下のとおりですが、かなり有名のようです。私は知りませんでした。

鼎泰豐(ディンタイフォン)は小籠包が看板メニューの点心料理店です。1958年に台湾台北市で食用油を取り扱う油問屋として創業した鼎泰豐は1972年に小籠包を始めとする点心料理の販売を始めました。


鼎泰豊の小籠包は地元の皆様を中心に美食家達の評判を呼び、新聞や雑誌のグルメコーナーでも紹介される人気レストランとなりました。

1993年にはニューヨークタイムズ紙で「世界の人気レストラン10店」の1つにも選ばれ、一躍知名度が上がり、台湾国外からも多くの観光客が来店する世界的なブランドとなりました。

1時間半して、食べ終わって店を出ると、席を待つお客さんで入口は長蛇の列。早めの食事で正解でした。ただ、正直言えば、何時間も待って食べるほど美味しいとは、私は思いませんでした。2010年10月9日、Takuと一緒に訪れた上海万博の際に、「十味観」というお店で食べたショーロンポーは最高でした。5色のショーロンポー(小籠包)とジャンボ・ショーロンポー(小籠包)。ジャンボ・ショーロンポーは蟹味噌風味で絶品でした。

上海で食べたジャンボ・小籠包です。

さて、早めの夕食も終わり、ホテルに戻りました。休憩後、今度は「六合観光夜市」へ向かいました。ブラブラと街並みを楽しみながら歩きました。

楽しいひと時でした。所変われば品変わる、とはまさにこのことです。同じ漢字圏ですから、意味していることは、何となく想像がつきます。それもまた、楽しいのです。

こうして楽しかった台湾旅行も、最後の夜が過ぎました。本当にあっという間でした。Nonちゃんがセットアップしてくれた旅程は、さすがに抜かりありません。

こうすれば良かった、ああすればもっと楽しめたという思いが、帰ってきてから募ってきました。もう一度行きたくなりました。