■20240204(日曜日:雨)
■令和6年度は、これまで20年近く務めてきた医師会の役員も勇退して、初心に帰ろうと決心しました。
2014年に旅立った父は晩年、下半身の筋力低下のため、自分の力ではトイレに行くことすら思うようになりませんでした。そんな父の姿を間近に見て、私は戦慄を覚えました。
ウォーキングを欠かさず、あれだけ健康には人一倍気をつけていた父の晩年の姿は、次はお前の番だ、と宣告しているようなものでした。もう他人事ではなくなりました。明日は我が身だと、本当に実感したのです。
そんな時に、NHKで放映されたのが「3ヶ月で走るフルマラソン」でした。興味にかられて毎週録画し、何度も見返しました。長距離走は大の苦手の自分でしたから、フルマラソンなど別世界のことと思っていました。それでも、あの父の姿が、背中を押してくれたのです。
2013年の駿府マラソンを嚆矢として、私のマラソン人生がスタートしました。と言っても、もちろん大したことはないのです。ネットで見つけた大会に、ランニング・リュックを背負って出掛け、また電車に乗って帰ってくるというだけの話です。
前日は、近くのビジネスホテルに宿泊して、日曜日の午前中に大会に参加。走った後は、コーヒー牛乳を飲んで、電車でのんびりと帰ってくるのが定番です。
今回の横浜大会の場合、家を出るのが当日の朝では、新幹線を利用してもスタートに間に合いませんので、前日に藤沢に泊まりました。もう少し会場近くの宿も探したのですが、適当な宿を見つけることが出来ませんでした。
少し離れていましたが、藤沢駅近くの東横インを取りました。東横インに泊まるのは何年ぶりでしょうか。コロナ禍で、すっかりご無沙汰になりました。
■土曜日、16時半頃Sunに駅まで送ってもらい、東海道線に乗りました。熱海駅をまたいでスイカを利用することが出来ないために、とりあえず510円で熱海駅までの切符を購入し、藤沢駅で下車する際にスイカで精算しました。
大会に参加する際は、なるべく貴重品の持参は避けます。現金は最小限。財布は持参しません。スイカ、健康保険証、そしてスマホのみです。それをランニングポーチに入れて、そのまま走ります。一人で大会に参加する場合は、そうするのが一番安全です。
ベンチコートや着替えなどの荷物を置くスペースを、大会本部は用意してくれるのですが、やはり貴重品は身につけるしかありません。なるべく身軽になる必要があります。当日の朝に出掛ける場合は、小型のランニング・リュックに着替えも入れて、薄手の防風ジャンパーのみで出掛けることも可能です。そうすれば、荷物置き場も必要なく、リュックを背負ったまま走ることも出来ます。昨年末の「ふじかわキウイマラソン」では、その格好で参加しました。
今回は、荷物を入れるための大きなビニール袋を、1つ用意してくれました。ただし雨の中、芝生の上に置いておくわけにも行かず、皆さん屋根のある休憩所に身を寄せ合って、着替えなどを済ませていました。
■ゼッケンも付け終わってスタートを待っていると、60代後半でしょうか、男性から声をかけられました。ゼッケンは胸に付けるのか背中につけるのでしょうか、と問われたのです。
友人が健康のためにランニングを始めたが、自分も最近取り組み始めたそうです。最初は1キロも走ることが出来なかったそうですが、最近では毎日5キロを走っている、今回は初めてのハーフマラソン参加で楽しみだ、というのです。
でも最初のハーフマラソン大会参加にしては、天候が悪すぎました。雨と寒さです。パラパラ程度なら、むしろ湿気もあって好条件と言えるのですが、あれだけ降っていると、準備運動も出来ず、いきなりスタートラインに集まってヨーイドンですから、スムーズにペースを刻むことができるはずがありません。
その男性を途中で抜いてからは、最後まで一度も見ることはありませんでしたので、途中棄権されたかも知れません。条件が悪すぎました。
■さて、スタートしましたが、初めてのコースですので、訳が分かりません。一周 2,637 mのコースを8周します。受付をした際に、大きな輪ゴムのようなものを7つもらいました。手荷物を入れたビニールを縛るのか、と最初考えたのですが浅はかでした。
説明を受けて納得しました。一周するたびに、輪ゴムを一つずつ箱に投げ入れて、返却していくのです。これで何周したかを確認するためです。参加ランナーがひょっとしたら認知症で、何周走ったか忘れると困るから、との配慮ではないのです。
走っているうちに何周目だか、誰でも分からなくなるのです。決して大げさではありません。そんなことを数えていられなくなるのです。ただただ苦しくて、辛くて、それどころではなくなります。
ランニング・ウォッチで計測していましたので、今何キロ走っているのかは、私の場合間違えることはありません。目標は1周15分。そうすれば、8週で120分、2時間です。
もちろんこれは、私にはとても高いハードルです。ただの目安です。ハーフマラソンの制限時間は、2時間半から3時間が相場ですので、その間に走りきれば完走です。例えば、千歳JAL国際マラソンでは2時間半、美瑛マラソンでは3時間のようです。ただし、焼津マラソンは道路封鎖のために、制限時間が2時間10分と格別厳しいのです。
前回、2015年・第30回焼津マラソンに参加した時には、2時間8分弱とギリギリセーフで完走することが出来ましたが、今回の第40回大会は完走できるか難しそうです。もう申込みをしてしまいましたから、参加して挑戦するしかありません。
■さて、今回の冬マラソンは、朝からの雨で路面も所によって水たまりがありました。それを避けながら、走り続けました。順調に周回を続けていましたが、目標のペースから次第に遅れ始めました。15キロ地点が、最大のピンチでした。あまりに苦しくて、もうダメダ歩こうと、一瞬思ったのです。
それでも思い直して、何とか走り続けることが出来たのは、まる9ヶ月続けてきた筋トレの成果です。何より幸運だったのは、右膝の痛みが出なかったこと。ランナーズ膝です。毎回ヒヤヒヤです。昨年の千歳JAL国際マラソンでも、10キロ過ぎから痛みが出てきましたが、屈伸運動で何とか切り抜けることが出来ました。
今回は、その症状が全く出ませんでしたので、その点は楽でした。たぶん、筋トレで膝周りの筋肉を鍛えていた成果です。そうであれば、次回の大会も安心して走ることができるのですが。
最後の1周は、本当に長く感じました。記録によれば、20分以上かかっています。それが実力です。本当に長く感じた21キロでした
■さて、ゴールして本部に行き、記録用チップを返却すると、その場で記録証を作成してくれました。そして、こう言われたのです。「3位入賞おめでとうございます。銅メダルがあります」。
何のことか、狐につままれたようです。ビリから3番目なら分かるのですが、銅メダルとは、悪い冗談にしか思えません。ところが理由を聞いて納得です。ハーフを完走した70歳以上のランナーは4名で、そのうちの3位だというのです。ブービー賞です。でも間違いなく、3位です。
こうして、辛かった21キロも終わり、体を拭いて着替えをして、シーサイドラインの駅に向かいました。雨は上がっていました。これからファミリー・ランが始まるようです。休憩所では多くの人が準備をしています。
■駅の位置が分からなくなりましたので、ボランティアの方に訪ねました。八景島駅でしたか、直ぐ目の前でした。自動運転のモノレール鉄道です。自動販売機で温かいココアを買って、ホームで飲み干しました。美味しかったです。
新杉田駅まで戻りましたが、JR線が大森駅付近の火災のために、かなり遅れていました。45分遅れで電車が到着し、大船駅にたどり着きましたが、今度は東海道線が遅れています。平塚行きの電車に乗り、さらに熱海行きに乗り換えて、何とか熱海駅までたどり着きました。ここまで来れば、もう大丈夫です。
浜松行きの電車は、15分ほど発車まで時間がありましたので、一旦改札口を出て、再度スイカで原駅までの切符を買いました。未だに何故か、熱海駅を境にスイカは、またいで使用できないのです。
こうして、15時3分に原駅に戻りました。Sunが迎えに来てくれました。とりあえず家に戻り、荷物を片付け、洗濯物を出しました。16時半には、日帰り温泉に歩いて出掛け、ゆっくりと湯に浸かり疲れを取りました。二人で一杯やって、家に戻りました。
本当に幸運でした。また初心に帰った最初の週末も、無事に終えることが出来、ホッとしました。
来月は、小田原での「二宮尊徳マラソン」です。どんなコースか楽しみです。