■20250309(日曜日:晴れ)

足柄山は雪でした。昨夜降ったようです。

■昨年に続いて「小田原尊徳マラソン」に出場しました。昨年は2月に横浜で最初のマラソン大会を走っていたのですが、今年はこの大会が初っ端です。

6時47分発の東海道線で小田原駅まで行き、そこから小田急線で2つ目の駅「蛍田駅」で下車しました。昨年は富水駅で下車しましたが、今年は多くのランナーが一つ手前の蛍田駅で降りる様子でしたので、それに従いました。

時間的には、あまり変わりなかったようですが、道順がとても分りやすく、帰りも道に迷うことはありませんでした。歩いて10分ほどです。

9時20分、ハーフの部のスタートでしたが、1時間ほど前に会場に到着しました。まずは参加賞とゼッケン番号が当たり賞でしたので、景品をもらいました。ヨネックス社製のマスクでした。幸先の良いスタートです。

送ってもらったビニール袋にランニング・バックと着替えを詰めて、30分前には準備運動に入りました。9時に10キロの部がスタートし、いよいよハーフの部のスタートです。100分のクラス、120分のクラスなど、大まかに分かれて並びました。

アリーナ前をスタートし、酒匂川の土手に駆け上がります。最初の1キロほどは、狭いところでは二人がようやくすれ違いできるほどの狭さなので、我先にと先頭集団が走ると、注意が必要です。

と思って走り始めると、スタート地点から1キロほどで、役員の方が道の左端に寄るように指示しています。何事かと思っていると、救急車が一段低い道端に横付けされています。

土手道には高齢者らしきランナーが、頭から血を流して横たわっています。転倒したようです。同じ高齢者の自分も他人事ではありません。とにかく無事に家に帰ることが第一優先です。

さて約7キロのコースを3周します。土手の上り下り程度で、あとは平坦ですからコースとしては、難易度は低いはずです。第一関門が 5.1 km 、45分、第2関門が 16.2 キロ地点で120分です。

問題は第2関門です。今までなら気になるほどの厳しさではなかったのですが、ランニング量が全然足りていません。筋トレだけでは、厳しかったのです。15キロ辺りから、太ももが硬直して思うように走ることができません。まだ6キロ以上残っています。

とにかく屈伸運動を繰り返して硬直を取り、前に進むしかありません。第2関門を越え、あと5分で関門は閉鎖です、という役員の声が聞こえました。残りは歩いても大丈夫だ、というランナーの声が聞こえましたが、そうはいきません。12時30分で荷物の返却も終わり、会場も閉鎖されてしまいます。

残り5キロは、本当に辛い時間帯でした。もう2度とハーフを走ることはできない、と悲観的になりました。とにかく1キロごとに脚の屈伸運動を繰り返し、最後の2キロほどは、それでも足りずに、ポールがある地点では、毎回屈伸運動をする始末。本当に辛く長い時間でした。

風もあまり感じていなかったのですが、最後の2キロほどは、屈伸運動から再度走り出すと、強い向かい風を感じて寒気がするほどです。こうなると低体温になってお腹が壊れて、トイレに駆け込む必要が危惧されるのです。これは恐ろしいことです。トイレなど、どこにも見当たらないからです。

最後の橋を渡って、ようやくアリーナが見えてきました。土手を降りて周囲を周り、ゴールが見えました。あと100メートル。ところが、ここで思いもしなかった出来事です。左脚のハムストリング筋、つまり太ももの裏側の筋肉が痙攣し始めたのです。

こんなことは初めてです。あまりの痛さに身がよじれました。ふくらはぎの痙攣は前回の川口マラソンで経験していたのですが、ハムストリングは初めてでした。最初は、どうやって筋肉をストレッチすれば、痙攣を解除できるのか分からず、本当に慌てました。役員の方が大丈夫かと、声を掛けてくれました。

何とかストレッチの姿勢を見つけて歩けるようになり、仕方なく歩いてゴールしました。歩いてゴールしたのは、52回目の大会で初めてでした。

ようやくゴールしました。本当に、ようやくです。最近は走る度に、こんな苦しいレースは初めてだ、の繰り返しです。衰えは隠しようがありません。

家族に完走したことをラインして、手荷物を受け取り、体を清拭して着替えました。完走証を受け取り、螢田駅に向かって歩き始めました。昨年と違い、小田急線、東海道線には遅延もなく、13時59分に原駅到着です。Sunに迎えを頼みました。こうして、スムーズに家まで辿り着きました。

すぐにシャワーを浴びて、とりあえず1時間仮眠を取りました。17時からは、青木先生の叙勲祝賀会があります。何という忙しない日曜日でしょうか。もう2度と無いでしょう。

こうして、無事に一日を終えることができました。