■20191130-1201(土曜日:日曜日)

高崎駅西口です。

■昨日は診療が終わってから昼食をとり、少し休憩してから駅に向かいました。高崎へ行くためです。たくが務める法律事務所の高橋伸二所長が、ゴルフに誘ってくださったのです。勝男先生とたくと4人で、群馬県のレーサム&スパリゾートでプレーをするためです。

たくとは学生時代にテニスを随分しましたが、ゴルフをするのは今回が初めてです。就職してから所長さんの勧めもあってプロのレッスンをしばらく受けていたようですが、最近はどうもサボりがちで練習もご無沙汰していたようです。

昨日は高崎に着いたのが16時1分でした。新幹線を乗り継いで行けば、東京駅からでも高崎までは1時間ほどですので、決して遠くありません。たくが取ってくれてあった、駅前のビジネスホテルにチェックインし、高橋先生の自叙伝を少し読んだ後、17時10分に高崎駅の改札口で待ち合わせました。

ゆうこさんも一緒に来てくれました。家電量販店の入ったビルの 7 階にある駐車場に、たくが車を停めてありました。4人で車に乗って、高橋先生が予約してくれてあった、しゃぶしゃぶ料理のお店に出かけました。

お店は女将が取り仕切る、昔ながらの立派な料亭という雰囲気でした。今では、なかなかお目にかかることのできないお店です。昔は沼津でも、それに値するようなお店があったのですが、全てと言っていいほど消えていってしまいました。

高橋先生のような方が利用されないと、なかなか維持管理するのは難しいのだろうな、と感じながら美味しい食事を頂きました。高橋先生には、この夕食をすっかりご馳走になってしまいました。18時から20時過ぎまで、高橋先生とじっくり色々なことを話し合う機会を得ました。

先生の自叙伝である「欅のごとく」という本を読み終えていたのですが、高崎に着くまでの新幹線の中で再度読み直しておきました。したがって話題には事欠きませんでした。何時間でも、対話をしようと思えば可能なだけの資料は、頭の中に入れておきました。

立志伝中の人である高橋先生は、そんな自分の人生をひけらかしたり自慢するような方ではないので、謙虚な好々爺といった雰囲気の中で、お話をさせていただきました。

四人で楽しいひとときを過ごしました。

みんなでゴルフ

■さて、今日は念願の4人でのゴルフです、たくが7時20分に駅前に迎えに来てくれて、ゴルフ場まで送ってくれました。駅から30分弱でしょうか。レーサムゴルフ場は高橋先生が顧問を務められているようで、普段でも交流があるようでした。

高橋先生を一言で形容すると、今ではもう絶滅危惧種に属するのではないかと思われる、田中角栄さん的な親分肌の方なのです。気風もいいし、気配りもされるし、あれでは放っておいても人が先生の周りに集まるはずです。今では先生のような方は、どの分野の世界にも本当にまれになったと思います。

8時40分にアウトコースからスタートしました。緊張でいっぱいだったのですが、一番ホールのミドルホール、なんとか無事にティー・ショットを終えて、ラフからの第2打を打ちました。これが何とカップから15センチほどのところにぴったりと寄りました。オッケーバーディーでした。なんというスタートでしょうか。

しかし、ボロはすぐに出るものです。その後は、いつものドジを繰り返し、結局上がってみれば107回になってしまいました。両先生はお2人とも80台ということで、さすがに大したものです。

最高の青空でした。

それでも、たくと一緒に初めてゴルフ出来たという喜びは、何にも増して大きなものでした。終わった後はコーヒーでしばし雑談し、お2人と別れて風呂に入った後、たくに高崎駅まで送ってもらいました。

駅までは若干道路が混雑していましたが、17時42分発のMaxトキで東京駅に行き、そこから東海道新幹線で家まで帰りました。

■本当に楽しい週末でした、これも、たくが日頃しっかりとした仕事をしてくれているお陰だと、心から感謝しました。

高橋先生も楽しそうに歓談してくださり、謙虚さの中にも大親分たる片鱗が、そこかしこに見えました。多分田中角栄さんがご存命の頃は、接してみるとこのような方だったのではないかと感じたほどです。

富岡製糸場が世界遺産として認定を受けるまで、大変なご苦労があったと思いますが、「富岡製糸場を愛する会」を自ら立ち上げて、仲間をまとめあげ、そして17年の歳月を諦めることなく、歩み続けてきた先生の意思の強さは、言葉に出来ないほどです。

そんな素晴らしい先生のもとで学ぶことのできるTakuは、本当に幸せものです。感謝しなければばちが当たります。

これでまた一つ、今年の大きな山を越えることができました。