■20180721(土曜日:晴れ)
■今日はTakuの結婚式。まだまだ先のことと高をくくっていたのですが、あっという間に、その日がやってきました。思い返してみると、あれはザブーンに一緒に行った時だったと思います。司法試験に合格し司法修習中でしたか、正確には思い出せません。里帰りをしていた時でした。お風呂に入りながら、彼女できた、とTakuに冗談で話しかけたところ、うん、と答えた時には、本当にびっくりしました。
そんな暇が今まであったとは夢にも思っていませんでしたので、にわかには受け入れられませんでした。でも本当だったのです。
あの日から今日まで、一瞬のことだったように感じられます。女性と適当に付き合う、ということが苦手なTakuですから、最初から感じるものがあったに違いありません。
ご両親とも会い、我が家にもYukoさんと一緒に何度も来てもらいましたから、もう我が娘のようなものなのですが、その日が来てみると、嬉しいような寂しいような、実に複雑な思いです。Yukoさんのご両親のほうが、より複雑かもしれません。
■仕事を終えて、昨日の午後からさいたま新都心駅近くのホテルに泊まり、AyaそしてBenと四人で夕食を共にしました。
■今朝はタクシーで会場に来ました。8時には会場に辿り着きましたが、着替え室の準備がまだできていないので待っていてください、とのこと。
やがて部屋の準備が整ったので貸衣装に着替え始めました。しかしモーニングなど、これまで着たことがないので、本当に戸惑いました。係の女性に教えてもらわなかったら、衣装が間違えていたのかと、パニックになるところでした。
結婚式も滞りなく進み、二人の誓いの言葉を聞きながら、そんな立場になったのか、と本当にしんみりとしました。いまはどこもそうなのでしょうか、結婚誓約書に二人で署名するのには驚きました。まさかTakuが弁護士だからなのか、と冗談半分に思いながら、隔世の感でした。
式も無事に終わり、披露宴に入りました。手作り感の漂う良い披露宴でした。勤め先の上司である高橋伸二所長さんのお祝いの言葉を聞きながら、Takuは弁護士として本当に社会人としての生活を送っているのだ、と実感しました。とても私には想像がつきません。私の両親も、そう思っていたのでしょう。
久しぶりに兄弟も揃って歓談しましたが、何と言っても姉がいないのが寂しい限りです。早すぎる旅立ちでした。Takuのことを応援していてくれた姉だけに、本当に残念でなりませんでした。
最後に両家を代表しての挨拶が待っていましたので、食事も喉を通らない、という状態が披露宴のあいだじゅう、ずっと続きました。Sunと二人でTakuの上司の皆さん、仲間の皆さんにご挨拶に回って名刺の交換をして、食べる暇などありはしませんでしたが。
■そして最後の挨拶です。一ヶ月前から原稿を準備していました。1,124文字の原稿です。何度も何度も暗唱し、万が一にも不手際の無いように準備をしていましたが、それでも何が起こるか分かりません。終わって頭を下げるまでは、本当に緊張しました。それでも、ロータリークラブのおかげで場数を踏ませてもらっていましたので、自分では意外なほどに冷静でした。言葉が途切れることもありませんでした。Nonちゃんがスマホでビデオを撮ってくれました。一生の財産です。
私の後のTakuの御礼の言葉も収録してくれました。いま見返してみるとTakuの挨拶は、とてもしっかりしたものでした。思いのほか、と言ったらTaku に怒られそうですが、そんなTakuの姿を見たことが無かったので、本当にびっくりしました。成長したのです。披露宴での気配りには、これまたびっくりしました。それだけのことができるようになったのだ、と驚くやら安心するやら、時の流れを感じました。
これからはYukoと二人で助け合って生きていきます、というTakuの言葉を聞きながら、その時が来たのだ、と痛感しました。もう親の手の届かない所に行ってしまったのです。それが人生です。Taku とはSunと三人で旅行に行く機会が、たくさんありました。そしてマラソンです。千歳JAL国際マラソンに冗談半分で誘ったところ、2014年にTakuも参加することになり、それ以降、三人で四回も参加しました。最初はTakuは10キロからでしたが、もともと長距離走は性に合っていたようです。翌年からは私と一緒にハーフを走るようになりました。記録から言えば、私よりも30分以上早いタイムでゴールしてしまいます。私のゴールをSunとTakuで待ってくれる、というのが常態になりました。Takuとは30歳以上、歳が離れているのですから、30分記録が離れてもバチは当たらないでしょう。
(●^o^●)
Takuと二人で参加したマラソンも、立川シティーハーフマラソン、2017野口みずき杯お伊勢さんマラソン、2018お伊勢マラソン、2019上州太田スバルマラソンなど他にも何度もありました。本当に楽しい思い出です。前の晩から前夜祭と称して飲むわけですが、それがまた楽しいのです。もちろん前の晩ですから腹5分目程度にする必要があります。翌日のレースに響くからです。レースが終わった夜は、心置きなく飲んで食べることができます。これは最高です。そんな機会を与えてくれたTakuには、感謝するばかりです。たぶんTakuも一生、走り続けるはずです。力もありますし、彼の性に合っているのでしょう。
社会人となり家庭も持てば、父親と出かけるということは難しくなります。でも最低年に一度は一緒にマラソンを走ることができれば、と願っています。披露宴ではYukoさんに、マラソンに行く時には笑顔で見送ってあげてね、とだけお願いしました。私の夢は、二人でフルマラソンを走ることです。これは、さすがに大変です。Takuなら、問題なく完走できる力がありますが、私はこれからは衰える一方です。今の月100キロ走を続けたとしても、フルマラソンを余裕を持って完走するには足りないのです。月200キロ走らないとフルマラソンの完走には十分でない、というのが定説のようです。
これは大変です。正直今の私の力では実現できません。100キロですら、ギリギリだからです。でも夢は持たないと決して実現しません。何事も夢を持つことが第一歩です。私自身、父が旅立ったことをきっかけに、還暦までにフルマラソンを完走しよう、と始めたことでしたが、まさか本当に完走できるとは、それこそ夢にも思いませんでした。長距離走は、大の苦手だったからです。自慢じゃありませんが、半端なく長距離走はダメだったのです。そんな自分が還暦を過ぎてフルマラソンですから、狂気の沙汰とは、このことです。
本当に今考えても、よく続けられたものです。それは何より、子どもたちのおかげです。Nonが一人前になるまでは、Takuが夢を実現するまでは、そしてAyaが夢を叶えるまでは、と勝手に自分で目標を立てて、それまでは頑張ろうとしたのが、これまで続けられた理由です。自分だけでは、とても無理でした。箱根駅伝を扱った堂場瞬一さんの小説「チーム」の中に、こんな言葉があります。私には、以下の言葉が支えだったのです。
誰かのためを思って走る時、人は一段強い存在になれるのだ。
長距離は全くダメだった私が、兎にも角にも、ここまで続けられたのは、子どもたちのおかげです。そしてこれからも、自分勝手に目標を立てては、それを支えに楽しみながら走り続けるつもりです。そして一緒に、それができたら、それが最高です。
皆さんのお見送りを済ませて、本当にすべてが終わって、親戚のみんなともお別れしました。Takuは二人で仲間の所に向かい、Sunと私は電車で帰るために大宮駅に向かいました。Nonちゃんがキャリーバッグを車で沼津まで運んでくれるということで、本当に助かりました。あの大きさのバックを引きずっていくのは大変でした。
新幹線に乗って東海道線を乗り継いて家に着いたのは、18時前でした。Nonちゃんと連絡を取ったら、高速が渋滞していて帰りが何時になるか分からない、とのことでしたので、とりあえず家の近くのザブーンへ行って風呂に入って疲れを取ろう、ということになりました。そのまま一杯やればよいのです。
ということで、二人でゆっくりと風呂に入り、そのままご苦労さん会の開始です。べつだん私達が何の準備をしたわけでもありません。Takuの大変さに比べたらゼロに等しいのですが、やはり親として心配するしかありませんでしたので、とにかく無事に終わってホッとした、というのが実感です。
語り合うのは当然子どもたちの小さかった頃のこと。母親としてSunの思いは格別でしょう。息子に対する思いは、母親と父親とでは、当然異なります。病気がちだった幼児期のこと。学童期には、いまのTakuからは想像もできないほど、落ち着きがなく多動でした。今になっていろいろな事を学んでみると、それが発達の過程であったと理解できるのですが、あの頃は、そんな達観できる状況ではありませんでした。
これまでのTakuを振り返ってみると、ひょっとすると知らない間に何度か、実は他人と入れ替わったのではないか、と冗談抜きで思えるほどの変身ぶりなのです。カフカもびっくりするほどです。数年前には、一緒に飲んだりすると、よく喋るのがTakuでした。一人で喋っている、と言っても良いほどでした。
ところが法科大学院を卒業し、司法試験にも合格し、司法修習を受け始めた頃からでしょうか、二人で飲んでいても、むしろ私の話を聞く役回りに徹するようになりました。これは大きな変化です。人の話を聞く、というのは、言うは易く行うは難し、の典型です。
人には口は一つだが耳は二つある、とはよく言われることです。だから話す時間の倍は人の話を聞かなければいけない、という諭しです。私も人と会話をしていて、いつも気をつけるのは、とにかく自分が話し過ぎないように、ということです。自分は面倒くさがり屋なので、ただそうしているだけですし、その方が勉強になります。知識を吸収できます。
Takuが今の年齢で、そこまで理解できるようになったことに、たいへん驚いています。そして成長したな、と思うのです。まるで別人に生まれ変わったようにすら、思えるのです。何度目の生まれ変わりか、勘定できないほどです。
(●^o^●)
たまたま、お話をする機会があった同僚の弁護士さんにお聞きすると、自分が産休で仕事を頼んだのだが、その仕事ぶりには大変満足しています、という内容のお話で、本当にホッとするとともに、喜びもこみ上げてきました。仕事ぶりもテキパキしています、というお話には驚きすら覚えました。Takuは決して器用ではなかったからです。他の先生より処理に時間がかかるのかな、と心配していました。お世辞半分としても、Takuの頑張りがよく分かるお話で、Sunと二人で喜び合いました。
本当に、ご苦労様でした。長かった一日も、ようやく終わりました。