2014年月 09 月 02 日 (月曜日:晴れ)ホノルルに戻る


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■さて昨夜はホノルルに戻って、あるホテルの地下にあるバイキングで夕食を取りました。とても混雑していました。巨大な水槽があり、人魚役の女性が何度も水面下を往復していました。

 まことに小さな握り寿司もあり、決して美味しいとは言えないのですが、やはりお寿司は胃袋に落ち着くのです。サラダとマグロの握りばかりを食べていました。それにしても、とにかく値段が高いのです。チップも含めると日本の相場の二倍では収まらないほどです。もちろん観光地料金、という面はありますが、これでは生活するのは大変だ、という思いしか残りませんでした。夢の島ハワイ、とは昔々あるテレビ番組のキャッチフレーズでしたが、懐が豊かな人々にとっては、まさに夢の島に違いありません。

 オリンピックに湧く東京同様、ホノルルも建設ラッシュで、日本でいうマンションが次から次へと建設されています。驚くような高値だそうですが、いまだ建設予定の物件ですら飛ぶように売れているそうです。かなりの部分を中国人富裕層が買い占めている、とはタクシーの運転手の話でした。さもありなん、という思いでした。

■さて今日はナイトクルーズを楽しむ予定ですので、それまでは観光バスに乗って、いままで行ったことのないオアフ島の小旅行をする予定です。Takuが選んでくれました。

 ダイアモンドヘッドの向こう側というのでしょうか、オアフ島の東部分を国道72号線に沿って走りました。ワイアラエカントリークラブ、ハナウマ湾、ヌワウア・パリ展望台などなど午前中を楽しく過ごしました。




 奇麗な海岸線が続きます。途中、あのソニーオープン・イン・ハワイが行われるワイアラエカントリークラブの横を通りました。1953年のアメリカ映画『地上より永遠に』(ここより とわに、原題: From Here to Eternity)の中で、ラッパ手のプルーイット(モンゴメリー・クリフト)が仲間の兵士に背後から銃撃されてあっけなく命を落とすのが、このワイアラエカントリークラブのバンカーの中だったのです。

 運転手さんの話では、この近くに石原軍団の根城があり、年に一度はみんなで集まってゴルフを楽しんでいたそうです。 





 ヌウアヌ・パリ展望台にて。ネットによれば、

 ホノルル・ダウンタウンの北東8 ㎞。コオラウの切り立った絶壁と、緑豊かなウインドワード・コーストを一望できます。 パリ・ハイウェイを北に進み深い森を抜けると、にぎやかな街から美しい自然へと景色が一転します。

 標高 300 m、雲の合間から突き出た山に囲まれ、カネオヘ、カイルア、モコリイ島(チャイナマンズ・ハット)、ハワイ大学海洋生物研究センター、ココナッツ・アイランドを眺めてみましょう。 ハワイ・パシフィック大学ウインドワード・キャンパス、カネオヘ海兵隊基地、ホノルル市が管理する植物園のひとつ、ホオマルヒア植物園なども、ここから見えます。

 風景に浸った後、パリ・トンネルを通ってウインドワード・コーストに進んでいきます。 下に近づくにつれ、カイルアの賑やかな海岸の街にまっすぐ行くか、左に曲がってカネオヘを抜け、青々として海岸線を通ってオアフの有名なノースショアにあるハレイワとワイメア湾に行くかどうか、という難しい選択に迫られます。

 ハワイ語で「崖」を意味する「パリ」。 ここは1795年のヌウアヌの戦いの地で、これに勝利したカメハメハ大王がついにオアフ島を統治下に置いたという深い歴史が刻まれています。 この激しい戦闘では数百人もの兵士がパリの崖から突き落とされて命を失いました。

 パリ展望台には強く荒々しい風が吹きます。 押し上げられるような風を身体に感じ、山の間を吹き抜ける風音を耳にし、緑豊かなウインドワード・コーストを目にすれば、ここがオアフ島で1番の展望スポットとされる理由がわかるはずです。


 確かに素晴らしい見晴らしでした。そして、さらには、

 「イオラニ宮殿の周囲には、他にも重要な施設が集まっています。サウス・キング通りを渡るとアリイオラニ・ハレとカメハメハ大王の銅像があります。イオラニ宮殿のすぐ裏にあるのは州議会議事堂と、州知事の公邸ワシントン・プレイスです。東には歴史的なカワイアハオ教会、市議会や市長事務所が入っているホノルル・ハレ」、などを見て回りました。


 ナイトクルージングの開始です。