2014年05月04日 (日曜日:晴れ)伊東マリンタウン


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■伊東マリンタウンは135号線沿にある道の駅です。ネットによる人気投票では、いつも上位に位置する人気スポットです。東京から近いこと。すぐ海に面していること。温泉があること。そして遊覧船があること、などでしょうか。美味しい海の幸も食べられます。

 熱海から30分ほどでした。楽しいひと時を過ごすことが出来ましたが、昼食に頂いた、「お勧め海賊海鮮丼」は期待はずれでした。沼津で新鮮なお魚を食べていると、いささかお魚に元気が無いように感じます。ネタが新鮮さに欠ける海鮮丼って、二度は食べたいと思いません。それだけは、残念でした。








■海を望む洋風の建物が立ち並び、海を眺めながら足湯に浸かることができるのも大きな魅力です。







■遊覧船「はるひら丸」に乗ると船底から海の中を覗くことができます。と言っても、港の中だけですので、沖に出て海底を見ることはできません。湾内では、カマスの大群が船の周りを回遊していました。

 沖には、初島がみえました。







■どこか南仏を思わせるような景観です。そこが人気の秘密でしょうか。






■亀石峠にある「みかんの花咲く丘」の歌碑の前で。Wikipedia には、以下の記載があります。

 1946年8月25日、NHKのラジオ番組『空の劇場』で東京・内幸町の本局と静岡県伊東市立西国民学校を結ぶ、ラジオの「二元放送」が行われることになった。放送前日の8月24日の昼過ぎになっても依頼作品が仕上がらずに悩んでいた作曲家の海沼實のもとへ、音楽の月刊雑誌「ミュージック・ライフ」編集長の加藤省吾が、川田正子の取材のため、海沼が滞在していた川田宅を訪ねてきたという。海沼は加藤に急な事情を説明し、自らが歌詞の内容を示唆しながら加藤に1番と2番歌詞を作らせ、そこに加藤が自作の3番を書き加えて、20~30分で歌詞を完成させた。

 それから海沼はGHQで詞の検閲を受け、検印を受けるとすぐに伊東行きの列車に乗り、列車の中で作曲して車窓にみかん畑が現れる国府津駅付近でやっと着想した。そして伊東線の宇佐美駅付近でこの歌を書きあげた。翌8月25日の放送に間に合わせた。人気絶頂の童謡歌手川田正子の歌唱で放送された歌は日本全国に大反響を呼び、『みかんの花咲く丘』は、日本を代表する童謡作品となって、現在にいたるまで広く歌い継がれている。

 この曲の題名については以下の秘話がある。海沼と加藤が題名を決めようとする際、「静岡」から真っ先にイメージしたタイトルは「みかんの歌」であった。しかし時期的にも「リンゴの唄」(並木路子・霧島昇)が大ヒットしており、二人にとって旧知のサトウ・ハチローから「二番煎じ」と嫌味を言われないよう「リンゴが“実”ならみかんは“花”でいこう」と、タイトルを「みかん咲く丘」→「みかんの花咲く丘」と試行錯誤した様子について、加藤自身が著書で語っている。

 加藤省吾と海沼實の2人によって作られた童謡として、「すずらんの花咲く丘」という曲もある。なお、『みかんの花咲く丘』を最初に歌った川田正子は、2006年1月22日に71歳の生涯を閉じたが、彼女の所属した音羽ゆりかご会の演奏活動と、その会長である三代目海沼実らによる童謡普及活動によって、これらの名作は今なお広く愛唱されている。

 なおモデルとなった静岡県伊東市宇佐美の亀石峠には、この「みかんの花咲く丘」の歌碑が建っている。また地元を走るバス会社・東海自動車のバスガイドは入社するとまず、この歌の指導を受けるという。

 ラジオ中継の際、放送番組関係の一行は伊東市岡にあったニューかにやホテルに投宿した、ニューかにやホテルは後に聚楽に買収され、現在は伊東ホテル聚楽となっている。 そのため伊東ホテル聚楽は「みかんの花咲く丘のホテル」と称し、敷地内にも歌碑が設置されている。
2003年、2004年3月にTBS系愛の劇場枠で放送された新・天までとどけ4、5の主題歌(唄・栞)に使われた、ドラマの舞台は西伊豆町である。

 Jリーグの愛媛FCの応援ソングになっており、選手入場時にサポーターが歌う。