■20240929(日曜日:曇)

「丘のまちびえいヘルシーマラソン」。
18キロ地点から20キロに向かって走っています。

■今朝は曇り空です。そして、涼しげな風が窓から吹き込んできます。空には、ところどころ青空が覗く天候です。今日からSunは同窓会でお出かけです。駅まで今、送ってきたところ。京都から滋賀を回るようです。青空が見えてくれていると良いのですが。

■さて以下の記事には驚くとともに、時代の流れの過酷さを感じます。

★インテル「独り負け」招いたCEO肝煎り事業の混沌、
時価総額はAMDの半分以下、直近業績は赤字転落

インテルといえば、マイクロソフト社とともに、パソコン時代の絶対王者でした。その歴史を簡単に振り返ってみると、

(1) 1971年10月 – NASDAQに株式を公開。

(2) 1981年8月 – IBMが同社初のパソコンIBM PCを発表。CPUに8088が採用されたことは、インテルが急成長するきっかけとなった。

(3) 1985年10月 – DRAM事業から撤退し、CPUの開発・生産に経営資源を集中。

(4) 1991年5月 – Intel Insideロゴ(日本では『インテル、入ってる』として広く知られている)を発表。CM、カタログなど様々なメディアで広く世界中で使用されたが、これは日本発のブランディング・キャンペーンである。

1981年のIBM PC の発売に際して、当時コンピューター業界の絶対王者だったIBMが、独占禁止法違反を恐れて、パソコンの2大主要部品、CPUとOS(基本ソフト)を外部から調達したところから、歴史は大きく動きました。

その2大主要部品を提供したのが、インテルとマイクロソフトだったのです。その当時は、恐竜と我々の祖先たる哺乳類ほどの違いがありました。

その後、マイクロソフトはMS-DOSからWindows にOSを進化させます。Windows 1.0は、1985年11月20日に米国で発売されました。「Windows 1.0は、マイクロソフトが開発した最初のGUI(グラフィカル・ユーザー・インタフェース)環境のOSで、MS-DOSの上で動作していました。それまでは、コマンドをキーボードから入力するだけのMS-DOSが業界標準でした。Windows 1.0は、できることが少なく、動作が遅く、評判は悪かったと言われています」とネットにはあります。

Windowsは3.1 なって、初めて使い物になるOSになった、と言われています。その影にはインド人IT技術者の貢献が大きかったと、ネット上では囁かれています。

「Windows 3.1は、英語版が1992年4月に、日本語版が1993年に発売されました。DOS上で動作する点は変更ありませんでしたが、安定性が飛躍的に向上し、実用性が高まりました。日本では初めて普及したWindowsとなりました」とあります。

何事もバージョン3以降でないと、実用的な安定性が得られないのは、マイナ保険証などを見ていても、間違い無さそうです。それまでは、トラブルに巻き込まれる人柱の連続です。

■こうして、ウインテル帝国は永遠に不滅かと思いきや、黄昏を迎えています。まさに平家物語の語るとおりです

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。