■20241115-20241119(木曜日‐火曜日)

レストランの中庭での結婚式です。

■20241115(金曜日:晴れ)

宿泊先のマントラ・ホテルです。

■昨日は仕事を終えて、Kumiちゃんに原駅まで送ってもらい、新幹線、成田エクスプレスを乗り継いで成田空港に到着です。17時40分発のJAL便で出発。9時間以上乗っていますので、高齢者では辛いものがあります。今回はビジネスクラスで行くことにしました。

予定の電車が1時間20分遅れている、という案内を品川駅で知り、予定より2つ前の電車に乗りました。全席指定席なのですが、成田エクスプレスは融通が効いていて、こんな場合に備えて空いている席に乗車できます。

お陰で無事にJAL便に搭乗でき、まもなく最高級の和食の夕食をいただくことができました。これは美味しかったです。さすがにビジネスクラスだけのことはあります。22時頃からは、リクライニングシートにして、ゆっくりと休むことができました。

寝る前に見たビデオが、「フラガール」です。今でも決して古びていません。日本中で、これからも多くの人が直面しなければならない問題です。

■さて、今朝は5時過ぎにメルボルン空港に到着し、タクシー乗り場に直行しましたが、多くの人が待っています。ところが、よく見ると待っているのは、Uberサービスのライドシェ待ちの人ばかり。

タクシー乗り場ではなかったのです。そこから、1−2分歩いたところにタクシー乗り場がありましたが、待つ人は誰もいません。その違いは歴然です。2018年にAyaちゃんに会うためにメルボルンを訪れた際に、Ayaちゃんが利用したのがDiDiでした。

20分ほどでマントラ・ホテルに無事にたどり着いたのですが、ママからの連絡がスタッフ間で、きちんと伝達されておらず、12時までの滞在しか出来ない、と言われ、やむなく4時間だけ仮眠を取りました。

今日から2泊する予約をママが取ってくれてありますので、本来なら部屋でゆっくり休めるはずなのですが、そこはオーストラリアです。仕事が杜撰なのです。おおらかとも言えますが、日本人の感覚からすると、ちゃんと仕事しろよ、と言いたくなります。

12時からは荷物を預かってもらい、散歩に出かけました。歩いて行けるところには、目の前の病院ぐらいしか無く、病院のカフェでドーナツ一個とコーヒーを飲みました。見た目が粗雑なハンバーグが、なんと10ドル。オーストラリアの物価は高いのです。というか、日本だけが先進国の中では、異常に安いのです。 

病院ですから、当然と言えば当然なのですが、やってくる人たちに、肥満の人が多いことに驚きます。日本人と比較すると、それも特大の肥満体に見えます。白人の肥満が多いようです。肥満と糖尿病が、パンデミック・感染爆発のように、世界中に広がっています。

17時前になって、ようやくママたち一行が到着し、19時から1階のレストランで夕食会。立食パーティーでした。テレビで放映中の女子クリケットの試合を見ながら、マチューと話しました。23時にお開きとなり、明日はいよいよ結婚式です。

■20241116(土曜日:晴れ)結婚披露宴

さて今日は、いよいよ結婚披露宴です。オーストラリアでの結婚式は、Ayaちゃんの式に出席して以来2度目です。前回は牧師さんが取り仕切る形式でしたが、今回は専門の司会役が取り仕切る形でした。

午前中は、彼女と弟のSamを連れて、メルボルン市内をMatが私達を案内してくれました。2018年にAyaちゃんと一緒に歩いて回った、あのメルボルン中心市街地です。ただ一箇所初めてだったのは、カジノでした。

ビルのワンフロアを使って、映画で見るような様々な器具が配置されています。ルーレットにも、換金してあった8千円ほどを、SunとNonが掛けてみましたが、あっという間に消えてしまいました。

中国人でしょうか、かなりの量の掛け金チップを持って、掛けまくっていましたが、みるみる間に無くなりました。いくら掛け金があっても、失うのは一瞬のようです。

懐かしのヤラ川の川べりを、みんなで歩きました。ちょうど昼時で、南半球最大の市場として知られるクイーンビクトリア・マーケットに立ち寄りました。1878年にオープンした歴史あるマーケットです。

Matが鮪の刺身を買ってくれたので、その場でみんなで食べました。醤油と山葵付きです。美味しかったです。

さて16時にはホテルを出発しますので、30分前には帰路につきました。結婚式は、イタリア・レストランの中庭で行われました。待つこと1時間。強い日差しの中、暑さに耐え、見知らぬ人たちの中で、いささか辛い時間帯でした。

ようやく式も終わって、披露宴に移りました。式は専門の司会者と思われる女性が、仕切っていました。スピーチがとても長く感じたのは、内容が分からなかったためです。

式の中で紹介された様々なスピーチは、残念ながら何を言っているのか、ほとんど聞き取れませんでした。致し方ありません。この国も、多分アメリカのようにスピーチの国なのでしょう。ユーモアを適当に混ぜながら、聴衆を引き付け続けることは、なかなかに難しい技です。子どもの頃から訓練されているのでしょう。

披露宴は、イタリア料理でしたので、大変美味しくいただきました。バターがだめなSunもイタリアンなら大丈夫。次から次に料理が運ばれ、ワインを飲みながら歓談のひとときです。

それが一段落すると、新郎新婦のご挨拶。これも日本からすると、かなり長めのスピーチ。友人たちや親族の多くのスピーチは、スマホを見ながら行われたのは時代の変化です。

これも終わると、みんなでダンスが始まりました。私も参加して、楽しいひと時でした。そんな時間を過ごしながら思い出していたのは、映画「ゴッドファーザー」です。イタリア移民を描いた名作は、主人公の娘の結婚披露宴から始まりました。

新郎はイタリア系なのでしょう。多くの親族が参加していました。見るからにイタリア系と思われる男女が、100名以上参加していました。まさにゴッドファーザーの世界です。

家族の絆を大切にするのがイタリア人の伝統。ダンス会場で新郎とすれ違ったので、お祝いの言葉を伝えながら、まるで映画ゴッドファーザーそっくりですね、と言ったのですが、年若い新郎は、この映画をまだ見ていないようでした。

映画のように、父親と新婦のダンスが披露されれば、まさに最高潮だったのでしょうが、残念ながらパパは2年前に旅立ちました。家族の絆を、同様に大切にした父親でした。寛大でユーモアのある人柄は、言葉の問題で意思疎通が難しい中でも、時が過ぎるのを忘れさせてくれました。

家族の有り様は、皆それぞれ違います。皆それぞれに問題を抱えています。理想的な家族など、この世にはありません。問題に向き合っていくしかないのです。その向き合う過程こそが、人生を生きるということ。同じ人生など無いからこそ、誰もに生きる価値があるのです。

致し方ありません。

さて、23時になって、さすがに疲れました。アダムがホテルまで送ってくれました。奥さんのメラニーは、倉庫でのレンタル収納スペース・サービス会社に以前勤めていたそうで、需要がだんだん増えてきたが日本はどうですか、と訊かれたのですが、「 storage service 」と聞いて、クラウドサービスでの storage service が頭に浮かんでしまい、最初は頓珍漢な答えになってしまいました。

とにかく空間的なスペースには事欠かない国ですから、オーストラリアでの収納サービスに需要があるとは、夢にも思いませんでした。こうして長かった一日も、無事に終わりホテルでゆっくりと休みました。

■20241117(日曜日:曇り時々雨)Anakie

昨日の暑さが嘘のように、今日は寒さが襲ってきました。朝ホテルで皆さんと別れた後で、13年前に訪れたママの家に家族が集まりました。今はママが一人で住んでいます。

ドライブの途中かなり雨が、一時降ったのですが、幸い家に近づくにつれて晴れ間が見えてきました。家に向かう道路沿いは、まるで人類の祖先が誕生したアフリカの草原のような光景が、延々と続きます。高い山も森林もないのです。申し訳程度のか細い木々があるだけで、あとは草原です。降水量が少ないのでしょう。

果てしなく続く草原です。

さて、ママの家に近づいてきて、13年前の光景が思い出されてきました。あの時は驚きました。日本では、まず見ることのできない風景だからです。緑豊かな風景が日本では当たり前です。どこへ行っても緑いっぱいなのです。

ところが、ママの家の周囲は貧弱な木々が立ち並ぶばかりで、見渡す限り草原なのです。家の敷地は11エーカー。サッカーグランドが11個入る広さですが、想像できません。電気は来ていますが、水道はなく雨水を溜めて生活しています。13年前には無かった太陽光パネルが敷設されていましたが、蓄電池は高額なので設置していないとのこと。

水の確保が、昔も今も最大の課題のようです。

家に入ると、昔訪れた思い出が蘇りました。13年前の写真と比較して、仕切りの壁が取り払われたりして、少し改築したようです。家族の写真とともに、陶磁器が置かれてあり、その中にパパの遺骨が収めてあるようですが、確認はできませんでした。

まま一人で生活していますので一人で生活していますし、普段は銀行勤めですので、片付けは後回しのようで、Matによれば、messy の状態。そうこうしているうちに、食事の準備が整いました。

Jones家の皆さんです。

さて、皆さんと別れなければなりません。あすはAyaちゃんの家を訪問する予定です。新居を購入したのです。たまたま同じジーロングに住むようになりました。ママが持っている別邸の近くのようです。今は民泊に使用している、ママのその家に今夜は泊めてもらうことになっています。

Matが車で送ってくれました。遅めの昼食でしたので、夕方家に着いた後は一息ついてから、持参した魚肉ソーセージなどで、夕食は済ませました。小綺麗な素敵な家でした。

■20241118(月曜日:晴れ)

昼頃Ayaちゃんが車で迎えに来てくれました。途中スーパーに寄って、買い物をしてから、新居に到着です。庭が広くて、友人に手伝ってもらって芝生が敷き詰められていました。さらに果樹園かと思えるほど、様々な木が植えてありました。

Benは今日は在宅勤務です。保険会社に勤めるベンは、10年以上勤めていますので、長期休暇など優遇措置があるようです。たまたま、会社で最近リストラがあって、上司であるBenは、その後始末に追われているようでした。

Ayaちゃんの話では、オーストラリアでは給与は基本的に時間給。ボーナスなどはありません。皆さん、人生を楽しむためにのんびりと仕事をしている、というイメージのようです。几帳面に仕事をしないと気がすまないAyaちゃんには、苛つく場面が多いようです。

郷に入っては郷に従え、で受け入れるしかありません。食堂で数時間、Ayaちゃんの愚痴などを二人で聞きました。職場での文化の違いに腹が立つようです。

早めの夕食を作ってくれました。ジロングからメルボルン空港まで、バスで1時間半です。調べてくれで予約してくれました。一人49ドルです。サヨナラを言うのは、寂しいものです。もっと、ゆっくり話していたいのですが、致し方ありません。

17時15分発のメルボルン空港行きのバスに乗り、90分で到着。メルボルン空港は、それほど大きくないことは意外でした。道路を隔ててパーク・ロイヤルホテルがありました。

まず空港係員に、明日の便の確認を取るために質問。カンタスのカウンターを教えてもらいました。カンタスの係員の話では、国内便なので30分前で大丈夫との事。シドニーでの乗り換えも、手荷物はピックアップの必要なし、と確認を取り安心しましが、そうは問屋がおろさないのは、世の常です。

17時過ぎにはホテルにチェックイン。WiFiの接続を指導を受けました。明日は5時起きです。

■20241119(火曜日:晴れ)

最後の滞在日。日本に向かって出発です。今朝はメルボルン空港のターミナルホテルを5時30分に出ました。カンタス航空の係員に印刷したeチケットで便を説明すると、対応カウターは一番右奥の35番カウンターと教えてくてました。この印刷プリントが無かったら、国際線への乗り換え用カウンターに、たどり着けなかったでしょう。何度も説明の際に助けられました。

カンタスQF0406便でシドニー空港まで飛び、そこでJL0052便に乗り換え予定 。客室乗務員が親切にも、シドニー空港でのシャトルバスへの乗り換えは15番ゲートだと教えてくれました。シドニー空港には、15分遅れで到着。シャトルバスで国際線ターミナルに移動。JALの担当が移動途中で待っていてくれて、34番搭乗口だと説明してくれました。

ようやく最後の搭乗口に到着したのは、30分前。9時15分離陸予定の JL52便。羽田空港到着予定は16時55分。

飛行機はボーイング777-300 だったのですが、驚いたのは往復ともに電動リクライニングシートが、故障したこと。行きは自分の席が、帰りは隣の席が故障してリクライニングからの復帰ができずに、客室乗務員が手動で戻したことに驚きました。読書灯が故障し消えないことなど、まるで維持管理に手の回らない色褪せた旧式ホテルみたいでした。

安全性には、もちろん問題ないのでしょうが、いささか心配になりました。

メルボルンからのカンタス航空の早朝便で、しっかり朝食を摂りましたので、シドニーからの便での昼食は摂りませんでした。早めの夕食代わりにカツカレーを頼んだのですが、これが学生食堂のカレー並みでお粗末でした。行きの夕食はさすがだっただけに、落差がひどすぎました。いま日本時刻の4:30前。もうすぐ着陸です。

さて無事に羽田空港に到着です。さすがにビジネスクラスだけのことはあって、往復とも長くは感じませんでした。帰りは、「ゴッドファーザー」を2回も繰り返し観てしまいました。披露宴以来、家族について考えさせられたからです。

到着して手荷物を待っていたのですが、まさかまさかの事態が起こりました。手荷物がJAL便に乗っていなかったというのです。同じようなトラブルに遭った乗客が、4組はいたようです。

JALの担当者が対応にあたってくれましたが、まだ新米なのかテキパキとした処理とは、程遠いのは残念でした。1時間以上無駄な時間でした。京浜急行線、東海道新幹線を乗り継いで、ようやく家に到着。京浜急行線も東海道線も遅れが生じていました。最近は鉄道もダイアが乱れることが多く、最後まで気が抜けないのは困りものです。

こうして長かったオーストラリアの旅も、あっという間に終わってしまいました。色々考えさせられることの多かった旅でした。