■20231126(日曜日:晴れ)

富士山が応援してくれました。

■70歳になっての初めてのマラソン大会として、ふじかわキウイマラソンに出場しました。ハーフマラソンです。コロナの関係でしょうか、変則的な20キロコースでした。

選んだ理由は、ただ一つ。家から近かったからです。電車で15分乗れば、シャトルバスが待っていてくれます。これなら行きも帰りも楽に違いないと参加しました。

20キロの参加者は450名弱と資料にありましたが、実際にはもっと少なく感じました。子どもたちの参加もありましたので、全体では3,000名強でした。

富士川駅からは、山梨交通のバスで会場まで行きました。15分ほどです。会場の富士市立富士川体育館には、家族連れも含めて多くの参加者が詰めかけていました。道を挟んで反対側の駐車場も満杯でした。

さて集合時間になって、体育館前に集まりました。先導されてたどり着いたのが、写真の山道でした。消防団の小屋の前です。やっと車がすれ違えるほどの道幅の道を、これから延々と走ることになったのです。

様々な種目があり、子どもたちも参加しています。崖下のような場所で、参加者が待っています。

コースの概略です。高低差は思ったより、ずっときつかったです。最初から上りのほうが、むしろ楽に感じたはずです。

■さて、9時50分予定通りにスタート。コンクリート舗装された林道を、ひたすら走りました。8キロ地点までは、比較的平坦でした。ここまでのペースがキロ7分でしたから、いつもより30秒から1分近く遅いペースです。

ここで走力の衰えを実感しました。おかしい、いつもより遅いな、とは分かっていました。もう少しペースを上げなければ、とは思っていました。

そして最初の登り坂です。1−2キロでしょうか。結構長く感じました。
そして下り坂から、再び長い上り坂。途中から、歩くしかありませんでした。下りの部分で走りを再開するものの、上りでまたもや歩き始めることの繰り返し。ペースは遅くなるばかりです。

2度めの登り坂で、さすがに耐えきれずに、役員の方に「上りは、まだまだ続くのですか?」と尋ねました。役員は首を振って、返答に窮していました。まだまだ続く道のりだからです。

二度目の登り坂の途中から、前を走るランナーが一人きりになりました。まるで、二人だけで走っているような錯覚を覚えました。短い周期のスピンカーブのようなコースなのです。

二度目の登り坂の途中、T字路のような地点で、対向車線に次々とランナーが、突然現れて駆け下りていくことに驚きました。自分がいったい、コースのどの地点にいるのか見当がつかないことに、戸惑いを覚えました。

そこから、まだまだ登り坂が続いたのです。駆け下りるランナーが笑顔で、「頑張ってください」と声を掛けてくれくれるのですが、これにも戸惑いました。見知らぬ人ばかりだったからです。

ふと後ろを振り返り、理由が掴めました。タイガーマスクの目出し帽を被ったランナーが、私のすぐ後ろを走っていたのです。その彼を応援していたのです。私を応援してくれるはずがありません。

結局、タイガーマスクと一緒に、延々と走ることになりました。そして運命の時がやって来ました。「制限時間150分、17.8km地点で130分の関門あり」と、ホームページには記載されています。

スタートしてから130分とは、ちょうど12時・正午なのです。ギリギリ間に合いませんでした。最後尾を伴走していた運営車が追い抜きながら、あとから来る車に乗ってください、と呼びかけました。

まだ20分ほど残っていたので、タイガーマスクと共に、走り続けました。二人で下り坂を走りながら、右手ずっと下方から表彰式の様子が聞こえてきました。ゴールは遠くありません。

やがて車が、やって来ました。スマートウォッチの記録によれば、18.4 km で終わっていますので、声掛けがあってから、さらに600メートルほど走ったようです。

このまま歩道を走っても構いませんと、関係者の方は言ってくれたのですが、走り続けた場合、シャトルバスの最終便に乗り遅れることも心配でしたので、タイガーマスクと私と、痙攣を起こして走ることができなくなった、もう一人のランナーの3人で、車に乗り込みました。

体育館に向かう道路は、帰りの車で大混雑していました。こうして、挑戦は終わりました。2013年初めてのマラソンとして、駿府マラソンハーフに出場して以来、フルマラソン3回も含めて、何 10 回も走りましたが、完走できなかったのは、これが初めてでした。

いまの自分の実力、このコース設定では、致し方ありません。あと10分だけでも制限時間が長かったら、完走できたはずだと悔しがる一方、あと10分早く走らなければ駄目なんだ、という現実も理解できます。

■沿道からの応援は、どの大会にも負けないほど暖かいものでした。高齢者の方々、そして子どもたち。集団での応援というより、家族単位での応援がほとんどでした。それだけに、心がこもっていました。

ボランティアのみなさんも大変だったと思います。殆どが林道ですから、人がいないのです。給水所とか、所々に関係者のみなさんがいましたが、場所によっては一人きりで待っていなければならない所もあり、寒さも堪えたはずです。本当にご苦労様でした。

完走できずに戻ってきたのは初めてでした。参加賞などは、総合本部で受け取るはずなのですが、行ってみると、ここではなくて体育館の反対側に行ってくれと言われ、そちらに戻りました。

ところが、最後のエコバックを受け取る段になって、ここにはないので総合本部に行ってくださいと言われ、また逆戻り。ところが行ってみると、ここにはないので先程のところへ戻ってくださいとのこと。今そこから戻ってきたのです、と話して調べてもらいました。

制限時間を過ぎると後片付けが始まり、物品が何処かへ行ってしまったようなのです。いろいろ調べてくれて、結局きちんと受け取ることができました。私を含めて4人のランナーが、待つことになりました。完走しないと駄目なんだと痛感した瞬間です。

すべて終わって、着替える前に撮ってもらいました。

今回は一人で参加しましたので、荷物をどうするかは、大きな問題でした。小型の方の、いつものランニングバックに詰め込んで、結局そのまま走りました。

走っている間も、とくべつ重く感じることもなく、邪魔にはなりませんでした。お陰でスタートする寸前まで、フリースを着ていることができました。スタート時点で、気温もそこそこ上がっていました。

体育館に戻って着替えをして、バスの発着場に向かいました。ちょうど13時出発のバスが待ってくれていました。次が最終便のようです。ほぼ満員でした。

■東海道線が遅れていました。いつになったら到着するのか、その時点では分かりません。ホームでは多くの人が、熱海行の到着を待っています。無事に走り終え、いま富士川駅で電車を待っていると、Sunにラインしました。

SunもZoomでの講義を視聴中でしたが、ちょうど昼休みだから、電車が来たら連絡してね、と返事をくれましたが、到着が未定でしたので、自分で帰ると連絡しました。

するとまもなく、電車が到着するとの放送がありました。13時20分に電車は無事に富士川駅を発車。15分後に原駅に到着。Sunが迎えに来てくれていました。

走り終えてから、参加賞をもらったり、送迎バスに乗り込んだり、電車に乗って家路についたものの、その時点では疲れも感じていませんでした。家に帰って、ホットミルクを200(cc)とバナナ1本を食べたましたが、走り終えてから、それまで何も口にしていなかったことに驚きました。

体重を測ってみると、前日より2キロも減っています。完全に脱水状態です。自分が脱水状態であることを感じることができていないのです。以前でしたら、マラソンの後は、コーヒー牛乳を飲むのが常でした。水分と糖分の補給です。とても美味しく感じるのです。

ところが今回は、そんな気にもなりませんでした。高齢者が室内に居ても、熱中症で命を落とす事が報道されますが、なるほどこんな状態で長時間過ごすと、そうなるかもしれないと実感したのです。

その後は、ベッドでひたすら眠りました。シャワーを浴びる気力もないのです。体をさっと拭いて、眠りにつきました。2時間ほど眠ると、体力も少し戻ったようです。

熱海富士の取り組みを見てから、二人で日帰り温泉に行って、一杯やって食事を取って、帰ってきました。

こうして、一日が無事に終わりました。生きて帰ってきただけで、儲けもんです。古希になって初めてのマラソンは、まさかの大会運営車での帰還となりましたが、もう少しトレーニングを積みなさいという、神様のお告げと受け止めました。

来年も新たな参加大会を探しています。もう少し平坦なコースを探すつもりです。さて、どうなりますことやら。