■20250123(木曜日:晴れ)

臺北市政府警察局です。

■暖かな日が続いています。暦上は一番寒いと言われる大寒も過ぎて、日に日に暖かさが増していくはずなのですが、今年の大寒は昨年とは異なり、春のような一日でした。

本来でしたら冬の句、例えば大好きな与謝蕪村の以下の句を、実感とともに味わうはずですが、今年はそうもいきません。

「蕭条として 石に日の入 枯野かな」という句は、冬の寂寥感を的確に表現した素晴らしい句です。その魅力を以下の点から解説します:

________________________________

1. 季語と季節感

**「枯野」**は冬の季語で、草木が枯れ果てた野原を表します。これにより、冬の厳しい寒さと寂しさが感じられます。

「蕭条として」という言葉が、さらに冬の静けさや物寂しさを強調しています。

________________________________

2. 視覚的イメージ

**「石に日の入」**という表現から、夕日が石に沈む光景が浮かびます。石は冷たく硬い印象を与え、冬の厳しさを象徴しています。

枯野に広がる夕日と石のコントラストが、孤独感や無常観を感じさせます。

________________________________

3. 情感と余韻

句全体からは、自然の厳しさや人生の儚さが感じられます。特に「蕭条として」という言葉が、読者に深い余韻を残します。

冬の寂しさや静けさが、読者の心に静かに響いてくるような情感があります。

________________________________

4. リズムと音の調和

「蕭条として」の「しょうじょう」という音が、句全体に静かなリズムを与えています。

「石に日の入」の「いしにひのいり」という音が、夕日の沈む様子を音で表現しているかのようです。

■この句は、冬の寂寥感を簡潔ながらも深く表現し、読者に自然の厳しさや人生の無常を感じさせる名句です。

DeepSeek の解説は、以上のとおりです。与謝蕪村は画家としても一流であり、彼の句は絵画的だ、とはよく言われることですが、上記の句も情景が一枚の絵として、眼前に現れてくるような気がします。

好き嫌いはあるでしょうが、与謝蕪村の句が私は大好きなのです。