■20250420(日曜日:曇)

2023年4月の、ある踏切です。ちょうど東海道線が通過中です。

■今朝は曇り空です。風もまだ無く、どんよりとはしているものの、少しひんやりする気持ちの良い朝です。久しぶりに窓を開けて、こうしてブログを更新中です。小鳥のさえずりが聞こえてきます。

シジュウカラかメジロでしょうか。メジロは「『チーチー』や『ピーピョロロ』と軽やかな声で鳴く。花の蜜を好むため、サクラやツバキの近くでよく見られる。」とあります。

シジュウカラは、「『ツーピーツーピー』や『チッチージュクジュク』など複雑な鳴き声。都市部の公園や庭でもよく見られる。」とありますから、ここからその姿は見えないのですが、鳴き声からは、メジロのように思えます。

■今朝の写真は、ある踏切の春です。2年前の4月2日でした。親友であり9歳年上のOさんが、3年前の5月に急逝され一周忌が間もなくという、ある日曜日、海岸の堤防を走った帰りがけに、この踏切に立ち寄りました。

この写真に写っている駐車場の反対側が、彼の会社の本社工場なのです。亡くなる数年前に、この本社工場の最上階にある社長室に、お邪魔したことがありました。この日は、その社長室に向かって、私は一人で静かに手を合わせ、亡き彼を偲びました。

まさにゼロから自らの会社を起こした彼の口癖は、「リスクを取らなければダメだ」でした。成長するためには投資をしなければなりません。投資をするとは、リスクを取ることです。失敗すれば、全てを失いかねません。

プラスチック製品の組み立てをする会社に就職後、自ら会社を起こし、次第に規模を拡大の後、私との交流がきっかけになったのかも知れませんが、新たな成長分野として医療部門に進出。時流にも乗って順調に成長し、このビルを買い取って本社工場としたのです。

社長室でのあの時の彼は、その笑みの中に、ゼロからスタートした自分の人生に、達成感と満足感を覚えているようでした。

■そんな彼と付き合い始めたのは、もう25年前になります。何の保証もなく、裸一貫で会社を起こした彼には、医師や弁護士などの専門職は、楽して儲けているように見えたようです。医師である私には聞き捨てならないのですが、お互い了解の上で、半ば喧嘩腰で面白半分に、よく言い合いをしたものです。

彼に言わせると、自分は将来こうなりたいという具体的な目標を持つことがなかったので、大学時代も勉学よりは麻雀に打ち込んでいたそうです。実際その腕前は、プロ級でした。雀荘に寝泊まりするようにして打ち込み、東大生をカモにするのが痛快だったとは、よく聞かされました。

負けん気が強かったのです。そういう点は、何をやっても勝負事には縁がなかった私とは、正反対でした。様々な点で正反対と思われる二人が、なぜか馬が合ったのです。

つまり、「『馬と騎手のように、お互いの動きを自然に理解し合える関係』とイメージすると分かりやすい」仲だったのです。大の大人、しかも男同士が一緒にいて、とくだん気を使うこともなく、気まずくなることもなく、時に笑いを交えて、いつの間にか時が流れていくというのは、得難いものです。

■彼から学んだことは多々あるのですが、その中でも一番深く心に刻んだのは、「好きであることが一番大切だ。」ということでした。営業職を天職と心得ていた彼が、いつも言っていたのが、「この仕事が好きだから、できるんだ」。彼が実践した飛び込み営業の様子などは、下手な漫才など遠く及ばないほど、本当に興味深く、また腹を抱えて笑ったものです。人と接するのが、彼は何より好きだったのです。

そして、そんな話を聞きながら、自分自身は営業職には向かないと、いつも感じていました。人それぞれです。ですから子ども達が、親とは異なる、それぞれに自分の好きな道に進もうとした際に、応援することはあっても、止めるように親として説得したことは一度もありませんでした。好きな仕事を生業にできることが、一番の幸せだと彼から学んだからです。

また彼からは、人の心を掴むとはどういうことか、そして何が必要なのかを学びました。具体的には、世間話というものが、いかに人間関係において大切かを、世間知らずの私が学んだのは、彼との対話を通してでした。子ども達に説教じみた話をしたことは、あまり無いのですが、それでも息子に、「いつでも、誰とでも世間話ができるように、情報を仕入れ準備をしておくことは、とても大切だ。」と話したことは忘れません。

そんな彼が亡くなって、もうすぐ3年。失ってみて改めて、自分にとって、いかにその存在が大きかったのかを痛感するのです。