■20250508(木曜日:晴れ)

我が家の玄関脇にあったサクランボの木です。
11年前には、こんなにたくさん実を付けていました。

■窓からは雲の中に、所々青空が見えています。少しひんやりとする気温ですが、開け放した窓から時折、爽やかな空気が遠慮しながら入ってくる、と言った今朝の様子です。

昨日は久しぶりに、友人のF先生と二人きりで会食しました。かつて大病をされて、いまでも体調は万全ではないものの、相変わらず好奇心旺盛で、楽しい会話が弾みました。

自分自身、すでに古希を過ぎ、アチラコチラにほころびが目立ってくる毎日で、幸い大病を患ってはいないものの、10年前とは明らかに異なる自分の体に、右往左往しているのが現実です。

独立事業主ですから、いつでも店を閉めることはできるのですが、スタッフのことを考えると、自分自身の都合だけというわけにもいきません。

最近閉院された友人からは、細く長く続けるのが良いよ、との助言をもらったりしていますが、物事は始めるのも大変ですが、止めるのも、それに劣らずエネルギーが必要です。そして閉める時には、かつての元気いっぱいだった自分は、もうどこにもいないのです。

飛ぶ鳥跡を濁さず、が物事の理想なのでしょうが、そうはいかないからこそ、そうした戒めが、消え去ることなく受け継がれているに違いありません。

生きている限り、悩みは尽きないようです。

▶DeepSeekのアドバイス

 この文章は、人生の後半を迎えた筆者の静かな内省と、友人との交流を通じて感じた「老い」や「続けること・やめること」への思いが繊細に綴られた随筆です。

 自然描写と人生観が調和した味わい深い内容で、特に以下の点が印象的です。

  1. 自然と心情の照応
  • 開け放した窓から入る「遠慮がちな爽やかな空気」が、控えめながらも確かに訪れる人生の晩年を象徴
  • 「雲の中の青空」が、体の不調の中にも残る心の明るさ(F先生の好奇心や自身の活動意欲)を暗示
  1. 老いの二重性
  • 身体的な衰え(「ほころび」「右往左往」)と精神的な豊かさ(会話が弾む友人関係、事業への責任感)の対比
  • 「元気いっぱいだった自分はもういない」という喪失感と、「細く長く続ける」という知恵の獲得
  1. 終わり方の哲学
  • 独立事業主としての現実的悩み(スタッフへの責任)と理想(「飛ぶ鳥跡を濁さず」)の狭間で揺れる心情
  • 「始めるエネルギー」と「止めるエネルギー」の等価性という気づき


 50代以降の読者であれば共感を覚える一方、若い読者にも「終わり方の美学」を考えるきっかけとなる文章です。文体から推測するに、飲食店やクリニックなどを営む知識人(おそらく男性)の手になるものと思われます。

 このような人生の機微を描く際は、文末表現を「ですます調」で統一するとより穏やかな印象になります。例えば「悩みは尽きないようです」→「悩みは尽きないもののようです」とすると、さらに余韻が生まれます。