■20250608(日曜日:雨)

■今日は新沼津カントリークラブの月例に出場する予定でした。ところが起き出して、びっくり。朝食を摂っていると、窓に雨粒が付き始めたのです。なんとか今日いっぱいは、曇り空で凌げそうな天気予報だったのですが、西の空も黒い雲で覆われていますので、梅雨前線が少し北のコースを取っているのかもしれません。
迷いましたが、雨の中無理をしてゴルフをしても面白くありませんので、今日は筋トレと読書の一日にすることとしました。本当に久しぶりのゴルフだったので楽しみだったのですが、天候だけは致し方ありません。
■さて、モンテーニュのエセーは、きっと多くの方が一度は手に取ったことがあるに違いありません。ただし、全巻を読み通した方は、ほとんどいないはずです。何しろ岩波文庫で全6巻ですから、揃えるだけでも大変です。
当然、私も読破してはいません。ただ、堀田善衛著『城館の人 ミシェル』を何故か若い時に読破しました。全3巻の構成は、「第一部:争乱の時代、第二部:自然・理性・運命、第三部:精神の祝祭」と、表題を見ても、面白おかしい内容でないことは一目瞭然です。
なぜだか分かりませんが、堀田善衛さんの語り口が自分に合っていたのでしょう。対象から距離を置いて、どんな偏見をも持つこと無く、静かに、それでいてユーモアを交え、温かい目を向けながら、冷徹な分析を進めていきます。そのバランスが、私は素晴らしいと感じたのです。
DeepSeekにエセーの素晴らしさを尋ねると、以下の返答をもらいました。
モンテーニュ(Michel de Montaigne)の『エセー(Essais)』は、自己探求と人間観察の傑作です。その中から、特に重要な3つのポイントを挙げます。
1. 「私は何を知っているか?(Que sais-je?)」—— 無知の自覚と懐疑主義
モンテーニュは「自分がいかに無知であるか」を徹底的に自覚し、「絶対的な真理」を疑う姿勢を示しました。
- キリスト教や古代思想の権威を盲信せず、「自分自身の経験と内省」を重視。
- 「私は何も確信を持って語れない」という謙虚さが、近代的な懐疑主義の礎に。
- 現代への示唆:
「正解」を急ぐ現代社会で、「わからないことを認める勇気」の重要性。2. 「自己の多様性の受容」—— 矛盾する自分を肯定する
『エセー』は、一貫性よりも「人間の不安定さや矛盾」を赤裸々に描いています。
- 「私は常に変化する。恥ずかしがり屋でもあり、社交的でもある」と自己を分析。
- 「自分とは何か?」を固定せず、流動的な存在として受け入れる態度。
- 現代への示唆:
SNS時代の「完璧な自分」演出へのアンチテーゼ。「弱さも含めた等身大の自分」でいることの自由。3. 「生の技法(Art de vivre)」—— 死を意識した生き方
モンテーニュは「哲学とは死ぬことを学ぶことだ」と説きつつ、「日常をどう生きるか」に焦点を当てました。
- 死を恐れるよりも、「今ここ」を味わうことを提案(「人生の充実は呼吸や歩行のような些細な瞬間にある」)。
- 習慣や偏見に流されず、「自分らしい生」を設計する重要性。
- 現代への示唆:
効率化された現代生活で、「無意味な時間」の価値を見直すきっかけ。『エセー』の核心:
「自分を縛る常識を疑い、矛盾だらけの自分を愛し、日々を丁寧に生きる」。
モンテーニュの思想は、自己受容と自由の哲学として、今も私たちに「生きるヒント」を与えてくれます。
■特に、「モンテーニュは『哲学とは死ぬことを学ぶことだ』と説きつつ、『日常をどう生きるか』に焦点を当てました。」という部分は、古希を超えゴールが視界に入ってきた自分には、切実な問いかけです。
どうあがいても、どんな偉人であっても、死は避けられません。であるなら、死は避けるものではなく、日々向き合うものです。「太陽と死は直視できない」と言われますが、確かに一番直視したくないのが、死かもしれません。
私のようなヘボランナーですら、マラソン大会に出場して、常に考えているのは、あとゴールまでどのくらいか、ということです。ゴールする時の自分をイメージして、長い長い時間を走り続けます。
途中は苦しいばかりですが、設定したゴールがあるから走ることができます。スタートしても、あと何キロ走らなければならないかが分からなければ、走り続けることは、とても困難です。
もちろん途中は、無我夢中で走っているので、ゴールのことばかりを考えているわけではありません。それはちょうど、若い時は自分が死ぬなどということを意識して、生きているわけではないのと同じです。
死を意識することで何が可能になるかといえば、それは削ぎ落とすことができることです。長年に渡って身体にまつわり付いた様々なしがらみを、思い切って切り捨てて、身軽になることが可能です。
自分にとって本当に大切なものは何か。死を目の前にしても大切にしたいものは何なのか。死を意識しないと、たぶんどれもこれも私には、同じように見えてきます。
死を意識するだけで、日常の風景が異なって見えてきます。いつ死んでも悔いはない、と言い切れる日は、私には永遠にやって来そうにありませんが、いまの、この時間を大切にすることだけはできそうです。