■20260121(水曜日:曇) ( D 199 )

■昨夜は医師会の理事会でした。1ヶ月に一度開催されますが、昨日も様々な問題が検討されると同時に、報告もありました。その中には、あっと驚くようなものもありました。
近所で開業されている先生が、3 月いっぱいで閉院するというのです。昨年会合でお会いした時には意気軒高で、まだまだ、あと10年は続けけくれそうな勢いだっただけに、本当に驚きました。詳しい事情は分かりません。
もう開業されて40年近くになると思います。地域には無くてはならない医院でした。私よりたった 5 歳年長なだけですから、他人事ではありません。体調の問題が、突如浮上したのかも知れません。そうであったとしても、少しも不思議ではないからです。
ここ数年で、親しくしていた先輩の先生方が、次々と閉院したり亡くなられました。30年前には皆さん働き盛りで、色々相談に乗ってもらったこともありましたし、酒を酌み交わして歓談したことが、何度もありました。
今日の写真は蓮の花ですが、まさに「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」です。その意味するところは、
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」とは、中国の詩人・劉希夷(りゅう きい)の『代悲白頭翁』(だいひはくとうおう)の一節で、次のような意味を持っています:
「毎年、花は同じように美しく咲くけれど、 人は年を重ねるごとに変わっていき、もとのままではいられない。」
つまり、自然(花)は季節が巡ればいつでも変わらずに美しい姿を保っているのに対し、人間は歳月とともに老い、変化し、やがては命を終える——その無常さや、人生のはかなさを詠んだ言葉です。
この一文は、時間の流れの中で不変なもの(自然)と、移ろいゆくもの(人間)の対比を通じて、人生の儚さや、若さの尊さ、そして老いへの哀しみを深く表現しています。
この中国の詩を読むと、思い出すのは方丈記です。通底するものは普遍の無常観です。
『方丈記』の冒頭、時の流れの無常を謳った部分は以下の通りです(現代語訳と原文)。
現代語訳
行く川の流れは絶えることがなく、しかも、もとの水ではない。淀みに浮かぶ泡は、一方で消え、一方で浮かび、長くとどまることはない。世の中にある人と住まいも、またこのようである。
原文
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人とすみかと、またかくの如し。
解説
この冒頭は、「流れゆく川」と「泡」という二つの鮮明な自然の比喩を用いて、
- すべてが絶え間なく変化し(川の流れ)
- 存在するものは一瞬も同じ状態でなく、常に生滅を繰り返す(泡)
という無常観を、人間の人生と住まい(社会の栄枯盛衰)へと一気に結びつけています。鴨長明は、この後も大火・旋風・飢饉・地震など当時の災厄の描写へと続け、無常を具体的な体験として描いていくため、この冒頭は『方丈記』全体の思想的基調を宣言する部分と言えます。
■残された日々を大切に生きるしかなさそうです。
