2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

カテゴリー: マラソン Page 1 of 10

千歳JAL国際マラソン

■20250601(日曜日:曇り時々晴れ)

送迎バスを降りて、会場に向かうランナーたちです。
青葉公園内にあります。

■2014年に参加して以来、コロナ禍で2回の中止がありましたので、今回で通算9回目の参加です。3年ぶりに、昔と同じ正式なハーフコースに戻りました。つまりは、変則17キロから21.0975km に戻ったのです。

「ハーフマラソンの距離は、21.0975キロメートル(約21.1km)です。 これはフルマラソン(42.195km)のちょうど半分の距離で、国際陸上競技連盟(World Athletics)が公認する正式なレース規格です。」と、あります。

2023年、2024年は4キロ強短い分、負担は少なかったのですが、今年は初心に戻ったつもりで望みました。

スタートからほぼ13キロは登りのコースですが、標高差は42.2 m と、思ったよりはキツくありません。それでも、延々と登りが続くのは辛いのです。

ノーザンホースパーク・マラソンでこりましたので、とにかく大きな筋肉で走る、具体的には大臀筋で走るイメージで走り続けました。そのおかげか、2週間前よりは、ずっとしっかりと走ることができ、来年に繋がる一日でした。

ジレンマ

■20250519(月曜日:曇)

北海道は菜の花が満開でした。

■昨日はハーフマラソンを何とか完走したものの、今のままでは次の大会は10キロの部に変更せざるを得ません。本当に深く考えさせられました。

とにかく日常走る距離が、あまりにも足りないのです。1年前には毎月100キロ近くを走っていたものが、最近では月20キロほどですから、ハーフを走るには鍛錬不足です。

これからどちらにするのか、決めるべき時が来たようです。積み重ねを少しでも元に戻して、何とかハーフに踏みとどまるのか、出場は10キロの部に変更するかです。

とりあえず来月の千歳JAL国際マラソンは、ハーフの部に申し込みましたので、乗り切るしかありません。

これからの2週間をどう過ごすかも、大きな問題になりました。疲労を取りながら、走り込みもしなければなりません。まさにジレンマです。

ノーザンホースパーク・マラソン2025

■20250518(日曜日:曇り時々晴れ)

2006年に逝去した名馬ディープインパクトを記念して建立されました。
ブロンズ(青銅)製の立派な銅像として公開されています。

■今日は、ノーザンホースパーク・マラソン2025です。過去2回参加しました、その際はトレイル部門7キロでした。9時にスタートして7キロですから、参加賞に提供される山のような食事をいただいても、11時の送迎バスには乗ることができました。

今年は、ハーフの部に挑戦しました。コース図を見ると、次々と異なる牧場周囲を走り、ノーザンホースパークに戻って来る設定です。気持ちの良さそうなコースなので、思い切って挑戦しましたが、鍛錬不足を痛感しました。

10キロまでは比較的スムーズだったのですが、それからが大変でした。単に走力、筋力の問題ではなくて、体力の消耗で限界ギリギリでした。

ノーザンホースパークに戻ってきてから、沿道でSunが声援を送ってくれて、一瞬だけ力を取り戻しましたが、その後1キロほど走ってゴールした際の苦痛に歪んだ私の顔は、Sunに言わせると、あんな苦しそうな顔は始めてみた、とのこと。

本当に体力の限界でした。自分自身の体力、鍛錬不足、これからのことなど、深く考えさせられたマラソン大会でした。

湯河原オレンジマラソン

■20250330(日曜日:曇り時々晴れ)

今年始めて参加しました。
アップダウンの激しいコースでした。

■昨日から冷え込みました。雨も降って、今日はどうなるかと心配したのですが、絶好のマラソン日和になりました。湯河原までは東海道線で、45分ほどです。熱海で乗り換える必要がありますが、それもまた一興です。

湯河原駅はミニ熱海駅といった風情でした。湯河原小学校をスタートし、3.7 km を登り続けて、今度は 9km 地点まで下りという10 km のコース設定。スタートしてすぐに上り坂になり、そこから歩き始める人が出るほどの急な勾配でした。

9 km の最後の関門も無事に通過し、さすがに脚の筋肉が痙攣することはありませんでした。ハーフに比べれば、はるかに楽に感じました。

これからは、出場大会の半分は 10 km でも良いかも知れません。

小田原尊徳マラソン

■20250309(日曜日:晴れ)

小田原・酒匂川の堤防です。

■今日は昨年に続いて、小田原尊徳マラソンに出場しました。ハーフの部です。10キロとハーフがあります。グストとして、東洋大学陸上競技部・酒井俊幸監督が来られました。16キロ地点でしたか、ハイタッチをして励ましてくれたのが、酒井監督のようです。

明らかに一般ランナーとは違う雰囲気を持っておられました。

スタートして1キロほどのところで、もう救急車が来ていて、道を開けてくださいとランナーたちに告げていたのには驚きました。酒匂川の土手ですので、すれ違うのがやっという狭さです。

高齢者、ということは、私と大して違いないか、やや年配の方のようでしたが、頭から血を流して苦しそうに倒れています。たぶん、狭い道競り合いながら走っていてころんだのかも知れません。コンクリート敷ですので、直撃すると大怪我の可能性もあります。

あともう一度、救急車の出動に遭遇しました。一人は鼻血を出して救助されていました。兎にも角にも無事に完走することが一番です。

15キロ付近から脚が動かなくなり、16.2 km の関門通過が心配になりました。幸い5分の余裕を持ってクリアできたのですが、屈伸運動をしては1キロ走り、また脚が動かなくなって屈伸運動をする、ということの繰り返しでした。

最後になって、最大の難問が立ちはだかりました。ゴールまで、あと 100 メートルの地点で、なんとハムストリングが痙攣して、痛みで1歩も動けなくなったのです。役員の方が心配して声をかけてくれました。ストレッチを繰り返して、何とか歩いてゴールしました。52回目の大会参加で、歩いてゴールしたのは初めてです。

■何とか無事に家に帰り着くことができて、ホッとしました。

上善如水

■20250224(月曜日:晴れ)振替休日

モルディブのリゾートホテルです。
コテッジが並んでいます。

■今日は振替休日です。大の仲良し4人でゴルフを楽しみました。朝一番スタート、7時39分でした。ハーフを終わっても10時前ですので、食事はアジの開き定食、と朝ごはんメニューでした。

昨日よりずっと暖かく、快適なゴルフ日和だったとは、ご一緒した長倉さんの弁です。天候は最高なのですが、スコアは相変わらずで、100を切ることが困難になってきました。今年3回目ですから、やむを得ないのですが、悲しくなってきます。

■さて、昨日も触れた、老子と水のお話です。人のあり方を説いた老子の言葉に、「上善如水」があります。なるほど、と頷くばかりです。

「じょうぜんみずのごとし(上善如水)」とは、老子の『道徳経』に出てくる言葉で、「最上の善は水のようである」という意味です。この言葉には以下のような教えが込められています:

(1) 柔軟性

水は形に囚われず、器に従って形を変えます。それと同じように、最上の善は柔軟で状況に応じて適応することを意味します。

(2) 謙虚さ

水は低いところに流れます。これは謙虚で高ぶらない姿勢を表しています。

(3) 他者を生かす力

水は全ての生き物を潤し、争わずに与えることで他者を生かします。最上の善も他者を思いやり、調和を重んじることを示しています。

(4) 強さ

水は柔らかいながらも、岩をも穿つ力を持っています。これは、一見弱そうに見えても、持続的な力は大きな影響を与えることを表しています。

この言葉は、人間としての理想的なあり方を水の性質に例えて説いたものです。

地中海レストラン

■20250209(日曜日:晴れ)

マレ国際空港からは、各リゾートへ向かう送迎水上バスが、
無数出港しています。

■朝は7時30分に起きて朝食を摂り、そのままゴルフの打ちっぱなしに出かけました。まだ誰もいません。バックスイングのトップから、ヘッドの回転を始めないと間に合わないことが、少し理解できました。

夜は地中海レストランで夕食をとったので、これで施設内にある全てのレストランで、食事を摂ることができました。かぼちゃのスープと鴨肉料理、そしてアーモンド料理のデザートで全ては終わりです。

宿泊は、今夜で終了。明日はいよいよ、日本への帰国です。

川口マラソン

■20241201(日曜日:晴れ)

今年始めて参加した川口マラソンです。距離はハーフです。

■昨年は11月に、富士川キウイマラソンに参加して、一年を締めくくりました。そして、マラソン大会に参加して初めて時間切れによる、途中棄権という屈辱を味わいました。あのコースは、150メートルの高低差を2度も上り下りするという、とてもハードなコースでしたので、いま考えると無謀だったのです。

今年は最後の大会として、幼年期を過ごした埼玉県川口市の大会を選びました。急激な上り下りはないものの、道路をまたぐ陸橋を何度も通過しなければならず、長い長い上り坂があって、結構きつく感じました。

本当にギリギリセーフで4箇所の関門をくぐり抜け、完走した中ではどんじりに近い完走となりました。

15キロを過ぎて、左脚フクラハギが痙攣し、本当に途方に暮れましたが、屈伸運動とストレッチを繰り返して、何とか乗り越えました。

終わってからは、竹馬の友とも再会し、一杯やりながら四方山話に花を咲かせて帰ってきました。

苦しいけれども、楽しい一日でした。

筋膜損傷

■20240421(日曜日:曇)

2年前の4月の我が家です。改装前の様子は、
もう写真でしか思い出せません。

■今日は、新沼津カントリークラブの桜花杯Bクラス月例でした。競技委員として、スターターを務めました。全員がスタートするのに、9時近くまでかかりましたが、それまで何度か雨が降り出して、ハラハラドキドキの月例でした。

■昨日の筋トレ時に、左肩の筋膜を痛めたようで、スボンを履く時に痛みで困っています。何という筋肉が傷んだのかは私には分からないのですが、まさに年寄りの冷や水です。

走る時に痛みが出るのか、まだ確かめていないのですが、それが心配です。来月からの北海道遠征に支障が出ないようにと願うばかりです。

きのうの空

■20240213(火曜日:晴れ)

■昨日は絶好の行楽日和でした。暖かな日差しが降り注ぎ、空には所々雲が漂っていました。10時前に家を出て、小学校の校庭で1時間1分6秒、8.36kmを走り、これで今月は3回のランで36.86kmを積み重ね、目標の月100キロまでは、残り17日で63.14kmを残しています。

2人の息子を連れて、父親が校庭で野球をしていました。邪魔にならないように、私は校庭の端を走りましたが、私も息子と一緒に、あのようにキャチボールをしたのが、つい昨日のことのような気もしますし、遠い遠い昔のようにも思われます。もう30年も昔の話です。

澄み切った青空から親子の様子に目を移し、もう一度青空を見ると、そこには30年前の私と息子が、キャッチボールをしているのです。心に浮かんできたのは、与謝蕪村の一句でした。

■ 凧(いかのぼり) きのうの空の ありどころ ■

過ぎ去って行った時間の重さを噛み締めながら、我が家に戻りました。

小学校の桜並木は、まだまだ硬い蕾のままですが、我が家の庭にある河津桜は、3分から4分ほどでしょうか、かわいらしい桃色の花を咲かせています。自然の営みは、30年前から少しも変わっていません。青空に映えて、まもなくやってくる春が待ち遠しくなります。

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