2001-2002

2001-2002年度

 2001年6月で沼津西ロータリークラブの会長職が終わりました。肩の荷が下りる、とはこのことだと思いました。一年間は何があっても会の運営上の最高責任者は会長である自分だ、という強い気持ちで毎日を送ってきました。

 例会でお客様のフォークが落ちても会長の責任だ、とすら思っていたほどです。ですので、とにかく終着駅が待ち遠しくてなりませんでした。会員に病気や怪我が起これば、それこそ大変です。直接出かけて状況を確認し会員に情報を提供しなければなりません。

 最近は、クラブ運営も変わってきたのか、会長自身が責任を感じることも少なくなったようです。その方が気楽でいいのかもしれません。以前とはずいぶん変わってきました。

 振り返ると、小泉内閣が誕生したのが2001年。全ての出発点は、そこだったのですね。あの嵐のような総裁選が懐かしく思い出されます。小泉さんと田中真紀子さんのコンビは最強でした。

 今となれば遠い過去の話です。

(2009年2月)

ホームページ掲載時コメント(2001年)

 2001年度は、沼津西ロータリークラブの会長を仰せつかり、一年間本当に大変でした。全身全霊を打ち込みました。全力疾走でした。思い残すことはありません。櫻井隆志幹事、植松秋彦10周年記念実行委員長をはじめ、皆様のおかげで無事に一年間を終えることができ、感謝の気持ちで一杯です。ほっとしました。

 それが原因でもないのですが、一年間一度も投稿しませんでした。

 昨年末から暗いニュースが続いています。史上最悪の失業率。世界貿易センタービル事件、アフガニスタンでの戦争。日本はちょうど産みの苦しみの真っ最中。2001年に誕生した小泉内閣は、国民の熱狂的な支持を受けながら、変革に取り組んでいます。

 みんながみんなにもたれ合っているのが日本の現状。もうそれを支えるだけの力が、いまの日本にはありません。グローバリジェーションは、容赦がありません。中国は世界の工場に変身しました。1/20の人件費では、勝ち目がありません。日本人でなけば作れないものを、探し出さなければなりません。

 患者さんに、「最近は投稿していないのですね。」と言われ、発憤して書いたのが、「窓を開けて」です。2001年12月1日ご誕生になった敬宮愛子さまのニュースは、暗い世相に灯火をもたらしましたが、東宮御所から元赤坂へ戻る雅子様を移すテレビを見ながら感じたことを書きました。

 8月久し振りに投稿しました。ある新聞記事に触発されました。映画「キューポラのある街」は、私にとって忘れがたい想い出の映画です。いわば故郷喪失者としての自分には、蕪村の思いは他人事ではなく、切実に共感できます。昨秋澄代と一緒に久し振りに訪れた川口の想い出を、まとめてみました。


2002年度