■ いいたい放題 → 背景
日本民間企業の父と呼ばれる渋沢栄一は、若き頃家業の養蚕と製藍を手伝っていたのですが、幕末尊王攘夷運動に飛び込むことになります。国を憂えて出奔する彼を、論語の一節を引用して父親が諭した話は有名です。その言葉に父親は思いを託し、栄一青年もその言葉の中に父親の思いを受け取めることができたのです。
昨今多発する子どもたちの事件や先日の駐輪場でのストーカー殺人事件の犯人を知るにつけ、この国ではもはや、親が子を諭し、子が自分を律する際の言葉を失っている、と私は判断せざるを得ないのです。
戦前の教育勅語への反動からか、会社に入り社訓を暗唱させられるまでは、若者は自分を律する言葉を獲得するチャンスすら与えられて来なかったのが、戦後日本の常態でした。これは考えてみれば大変異常なことです。かつてのような、ほとんどの国民が農民であった時代には、それでも良かったかもしれません。なぜなら、農民は常に自然と対話し、自然の前では謙虚にならざるを得ないからです。ところが物が溢れ、土と切り離された生活を送る現代の我々が謙虚になるためには、大震災や火山の噴火が繰り返し必要になってしまうのです。キリスト教徒やイスラムの人々のように、唯一絶対神との絶え間無い対話を通して自己を律する、という文明を持たなかった我々日本人には、この問題は極めて大きな重荷のように、私には思えます。
そんな現代において、世界的奉仕団体ロータリークラブの唱える基本理念の一つである、以下の「四つのテスト」は、大いに力を持つのではないでしょうか。
★言行はこれに照らしてから、
【一】真実か どうか?
【ニ】みんなに公平か?
【三】好意と友情を深めるか?
【四】みんなのためになるか どうか?
それぞれは、ごくありふれた言葉で綴られています。それでいてそこには、生きていく上で必要な規範が過不足無く含まれています。まさに先人の智慧の結晶です。
21世紀に向かう日本が克服しなければならない大きな課題の一つが、この心の問題です。この四つのテストが、広く家庭や教育現場で利用されれば、今のような殺伐とした心の荒野に、少なくとも何がしかの道標が築けるのではないか、そう私には思えるのです。