■20200102-0104(木曜日:土曜日)

2020箱根のご来光です。

■2011年以来、久しぶりにお正月に箱根の宿が取れました。そこで1月2日から開催される第96回箱根駅伝を応援するために出かけることにしました。2日の朝、早起きして箱根に向かいました。

出かける前に、今朝は4時に起きて走りました。いつものコースを6.6キロ走って無事に家に戻りました。今朝は冷え込みました。気温が二度ほどだったようです。

家に帰りシャワーを浴びて食事をとり、6時半には箱根に向かって出発しました。10年に1度ほど箱根の宿が三が日に取れます。前回は2011年でした。

1号線バイパスを真っ直ぐ走り、箱根峠で箱根新道へ行かずにそのまま直進し、芦ノ湖までたどり着けます。途中から歩道を歩く人々に出会いました。芦ノ湖で選手たちが到着するのを見届けるために、離れたところに駐車して歩いているのです。

宿の窓から見た箱根の山々です。

宿には7時45分に無事、到着しました。荷物を運んで部屋に入り、早速テレビをつけて、8時スタートの様子を見ることができました。スタートして7キロを過ぎたところですが、集団から数人のランナーが遅れ始めています。

今年は東海大学の二連覇がかかっていますが、青山学院が巻き返すかどうかが楽しみです。この宿から小涌園前までは30分程のようですので、トップが5区の中継所をスタートしたところで、こちらも宿を出ようかと考えています。

■さて 4 区トップの青山学院大学の選手が小田原の中継所をスタートするのを確認してから宿を出ました。ところが駐車場の手続きに手間取ってしまい、小涌園前に到着した時には、何人かのランナーが、すでに通過していました。沿道はまさに黒山の人だかり。ちょうどT字路の歩道脇で観戦しました。

途中に路上駐車の車が並んでいます。

例年と異なったのは、観衆が応援旗も持たず、学校名も叫ばず、静かに応援していた事です。これにはいささか拍子抜けでした。

たぶん整理担当者の観衆への指示があったのではないでしょうか。20分ほど観戦してから帰路に着きました。

あの小涌園前の交差点まで来ました。

宿に戻りテレビを付けると、青山学院大学の往路優勝を報じていました。山の神による国学院大学の逆転は、なりませんでした。

選手たちが続々とカーブを曲がり芦ノ湖を目指します。

それにしても驚くのは、区間新の続出です。大安売りと言っても良いほどの記録の続出です。テレビ解説では誰も触れなかったものの、原因は明らかです。NIKEの新しいランニングシューズの賜物です。

他に考えられません。ほとんどのランナーがピンク色の同じシューズを使用していました。驚くべき効果です。

新しいデザインの水着による記録ラッシュに沸いた、一昔前の水泳界を彷彿とさせます。あの水着は、その後使用禁止になったように記憶していますが、どうだった、でしたでしょうか。

新しい構造のランニングシューズを禁止することは難しそうですから、当分は記録ラッシュが続きそうです。ひょっとしたら、今年中にマラソンで2時間を切る、夢の一時間台が実現しそうです。

帰りがけに箱根登山鉄道・上強羅駅を横切りました。台風の影響で、まだ不通です。

■20200103(金曜日:晴れ)

昨夜は、のんちゃんとトモくんも箱根に来てくれて、四人で夕食を共にしました。

四人で楽しく食事をしました。

■今朝は6時に目覚ましを合わせ、起き出しました。箱根駅伝復路を観戦するためです。昨日は宿から全て歩きましたが、今日は車で途中まで行き、10分ほど歩きました。

宿から小涌園前まであるき始めました。裏道です。

7時50分頃に小涌園前に到着。芦ノ湖へ向かう道路端左側に位置を決めました。そこからは500メートルほど真っ直ぐな道路を見渡せます。

8時にスタートが切られていることはネットで確認しました。38分ほど経過した時点で、トップの青山学院大学の選手が現れました。警備車で先導された選手が、見え始めたと思ったら、あっという間に目の前を走り抜けました。

あっという間に選手たちが下り坂を駆け抜けていきます。

やがて次々に選手が現れては、目の前を通りすぎて行きます。最後の筑波大学のランナーを確認して、宿に戻るべく踵を返しました。テレビ観戦に切り替えるためです。

宿につしてテレビを見ると、すでに先頭のランナーは中継所で襷の交換を終えていました。こうして、今年は青山学院の二年ぶりの総合優勝が決まりました。往路優勝を、そのまま維持しての見事な勝利でした。

そんな大会の中で、シード権争いも見ごたえがありました。10区で襷を受けた創価大学の最終ランナー、嶋津雄大選手が01:08:40の区間新記録を出して、見事に母校に9位でシード権をもたらしました。レース後のインタビューで、こう嶋津選手は語っていました。

「途中から左のももがつりかけていて、何度もたたいて走っていた。最後まで走りきれたのが、安心でしかない。みんながつないできた思いを乗せて走りきれたことと、シード権を獲得できたことがうれしくて幸せ。最初の箱根でこれだけの記録を残せた。来年、再来年とみんなにもっともっと感謝を伝えられるように頑張っていきたい。

自分は生まれつき目の病気で暗い所が見えず冬の練習は朝、きつい。一歩を踏み出せない人に勇気を与えられる走りができたと思う」

インタビューを聞いていて、とても爽やかな気分になりました。先天性疾患という自分の運命を受け入れ、試行錯誤しながら戦い続け、自分の力を出し切った後で、笑顔すら浮かべながら、清々しく思いを語る彼の姿に私は感動すら覚えたからです。

このインタビューを聞いたあとで、私が思い出した言葉がありました。それは、宮本輝さんの名作「青が散る」の中に出てくる言葉です。主人公に向かって、母校の大学教授が語る言葉です。

「若者は自由でなくてはいけないが、もうひとつ、潔癖でなくてはいけない。自由と潔癖こそ、青春の特権ではないか」

嶋津選手には自由があった。自分の運命と、どう対峙していくか。そして彼は、その巨大な壁に向かって、真正面からぶつかっていった。そう、潔癖さを持って。

彼の活躍に勇気づけられる人は、決して少なくないはずです。それは病気を持っていようがなかろうが、人として生きる限り、努力して悩んでいる人には、心に届くはずです。

■さて今回の大会で驚くのは、なんと言っても区間新記録の続出です。それぞれの区間の距離が、まるで短めに変更されたかのごときです。

気象条件の良さも、もちろん寄与しているのでしょうが、やはりなんと言っても、新しいランニングシューズの登場が最大の要因です。

それぞれの学校はユニフォームや襷の色に、最大限の工夫を凝らしていながら、靴の色が、どれも似たりよったりなのが、とても奇妙に感じます。

試しにネットで噂のランニングシューズの価格を調べてみると、5万円以上するようです。市民ランナーには、高嶺の花のです。ちょっとガッカリして、ネットで調べてみると、ナイキはちゃんと市民ランナー向けの廉価版を発売してくれていました。

「ヴェイパーフライネクスト%」に対する「ズームフライ3」です。一万円台前半で手に入ります。利用者の書き込みを見ると、それ以前に比較して、長い距離を楽に走ることが、誰にでも出来るようです。

家に帰ったら、さっそく現在使用している靴のサイズを確認して、注文するつもりです。2020の私のランニングシーンが、大きく変わる可能性を楽しみに、努力を積み重ねましょう。

■ある原稿を書くために、堂場瞬一さんの「チーム」を、いま再読しています。箱根駅伝の学連選抜チームを描いた作品です。10月に立川で行われる、予選会から始まるこの小説は、箱根駅伝、そして駅伝の奥深さを学連選抜チームを通して、興味深く描いています。

2020箱根駅伝では、学連選抜チームは最下位でした。小説に書かれてあるように、個々の選手の力量は決して他のチームに劣るものではないのです。

20チーム以外の学校から、選り抜きの選手を集めてチームを作るわけですから、単純に予選会の記録を10人分足し算するだけなら、計算上は最下位という結果は有り得ないはずなのです。

理論と現実の、この落差を説明する際に、著者が焦点を当てるのが、「誰のために走るのか」という視点です。

駅伝では、「襷を繋ぐ」という点を、何より重要視します。襷を手渡す相手を眼前にしながら、制限時間をわずかに超えて叶わなかった選手が、ゴールを駆け抜けた後で路上に横たわり、大の大人がオイオイと涙する。そんなテレビ画面を見ながら視聴者は感動する。

他の競技では考えられない光景です。そこで著者の堂場瞬一さんは、こう書かれるのです。

『誰かのためを思って走る時、人は一段強い存在になれるのだ』。

そうなのです。学連選抜チームには、その「誰か」が欠けているのです。この小説に一貫して流れるテーマは、いったい誰のために走るのか、という点なのです。

てんでんバラバラだった学連選抜チームが、やがて絆を結び始める。その過程こそが、この小説の醍醐味なのです。

この小説を読んでからは、学連選抜チームの順位も気になるようになったから不思議です。

■20200104(土曜日:晴れ) 富士山本宮浅間大社

■昨日は箱根駅伝の復路を朝から観戦し、宿に戻ってテレビ観戦を続けました。青山学院が2年ぶりに王座を奪還しました。そのあとのんびりと、少し昼寝をしてから温泉に入り、持ってきた食材で鍋を作り、2人でゆっくりと過ごしました。

結婚して37年が過ぎ、来年の2月で38年目を迎えます。

さて、今朝は6時に目覚ましを合わせていましたが、起き出したのは6時半頃でした、簡単に朝風呂に浸かり8時半には宿を出て出発しました。今日は十里木の方から北側を回って、富士山本宮浅間大社を参拝し、最後に富士山世界遺産センターを見学しようと思っています。

富士山本宮浅間大社に到着です。

雨が降ることはなさそうですが、富士山が果たして顔を出してくれるかどうか、それだけが心配でした。14時半には家に戻りましたが、残念ながら富士山は少しだけ顔を出しましたが、ほとんど雲に隠れていました。終日暖かな小春日和で、その点では本当に、お天気の神様に感謝するしかありませんでした。

富士山世界遺産センターです。展望台から、富士山が見渡せます。

浅間大社は初詣客で溢れかえっていました。浅間大社を中心にいくつもの通り沿いに商店街があり、さすがは富士山を守るべき、浅間大社の本山だと感心しました。富士山世界遺産センターも私は初めての訪問でしたが、富士山がいかに信仰の対象として、長きにわたり日本人の心を掴んできたかということが、少し理解できました。

多くの参拝客で賑わっていました。

ただ返す返すも残念なのは富士山が雲がくれしていたことです。こればかりは致し方ありません。次回の楽しみに取っておきます。こうして、年末年始のお休みも残すところ、あと一日となりました。また新しい年の仕事始めとなります。

参拝客が列をなしています。

■箱根から富士山へと休暇を過ごしましたが、何よりありがたかったのは、綺麗にものが見えるようになったことです。最近は霞んで見えていたことに気づかなかったのですが、今日は改めて青空や雲の美しさを再認識しました。こんなにも自然が鮮やかだったとは本当に驚きでした。

湧玉(わくだま)池です。富士山からの豊かな湧き水が生み出しています。

旧式のブラウン管テレビから大型の液晶テレビに買い換えた時のような驚き感です。思い切って手術を受けて、本当に良かったと思っています。メガネ無しでもほとんど不自由を感じることはありません。運転の時には運転用の軽い近視の眼鏡をかけていれば、全く心配なく運転をすることができますし、軽い度数の老眼鏡をかければ細かい字も全く問題ありません。

湧水は、やがて神田川となって流れていきます。

本当にありがたいことです。患者さんの気持ちが初めて実感できました。

清らかな水です。

■富士山とは次回の機会に、お会いすることにしました。

雲の下から、わずかに顔を見せてくれる富士山。