■20240619(水曜日:晴れ)

「道の駅 絵本の里 けんぶち」に掲示されていました。
懐かしい映画です。

■昨日の大雨が嘘のような青空が広がっています。今朝の写真は、稚内へ向かう途中で立ち寄った、道の駅でみつけた案内ポスターです。剣淵町民センターで上映されるのです。チャップリンの無声映画です。1931年公開とあります。

チャップリンがトーキーに否定的な意見を持っていたことは有名です。ChatGPTに尋ねてみると、以下の回答をもらいました。

チャーリー・チャップリンがトーキー(有声映画)に否定的だった理由は以下の3つです。

(1)芸術的信念: チャップリンはサイレント映画の芸術的価値を信じていました。彼は身体の動きや表情を使ったパントマイムを重視し、これによって普遍的な感情やメッセージを伝えることができると考えていました。言葉に頼らないサイレント映画は、国境や言語の壁を越えて広く理解されるものであり、その普遍性を損なうことを懸念していました。

(2)キャリアの成功: サイレント映画のスターとしてのチャップリンの成功は、彼の無声映画のキャラクターやスタイルに大きく依存していました。彼の代表的なキャラクターである「トランプ(The Tramp)」は、言葉ではなく動きとジェスチャーによって観客に愛されてきました。トーキーに移行することは、この成功したキャラクターの魅力を損ねる可能性がありました。

(3)技術的懸念: トーキーの導入初期には、音声技術がまだ発展途上であり、音質や録音方法に多くの課題がありました。チャップリンはこれが映画の品質に悪影響を与えると考えていました。また、トーキーは制作においても技術的な複雑さを増し、撮影の自由度が制限されることを懸念していました。

これらの理由から、チャップリンはトーキーに対して慎重であり続けましたが、最終的には時代の変化に対応して有声映画も制作するようになりました。

もう一人の雄、バスター・キートンは、トーキーが興隆する1930年代に入って、輝きを失っていきます。様々な浮き沈みを経験した後、キートンは肺がんのため70歳で亡くなっています。

怪しげな世界だった映画の世界に飛び込んで、一大産業に育てあげたのがユダヤ移民たちであったことは有名です。それは今も変わっていないようです。