2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2024年10月

神のみぞ知る

■20241005(土曜日:雨)

6月9日の富良野・四季彩の丘。植えられているのは、千寿菊です。
花々が咲き乱れるには、1ヶ月早すぎました。

■今朝は気持ちよく目覚めることができました。5時半です。せっかくなので、散歩にでも出かけようと玄関を出たのですが、雨がぱらついてきました。諦めてパソコンに向かうことにしました。

昨夜は、なぜか一度しか目が覚めず、トイレに行ったのも1回で済みました。睡眠診断アプリによれば、指標の何もかにもが「普通」でした。総合得点は82点。

昨日は疲れが蓄積して、仕事を終えたあとには、喋るのも億劫なのが、自分でも分かりました。それでも、20時前には、フィットネスクラブに出かけて、最小限の筋トレだけは行いました。金曜日の夜は、なぜかフィットネスクラブも空いています。

帰ってきてシャワーを浴びて、寝しなにSunと二人で350mlの缶ビールを、いつものように分け合いました。就寝前のアルコールは利尿作用のため、むしろ禁忌なのですが、昨夜はそれもマイナスには働かなかったようです。

今日は午後から静岡で勉強会ですので、仕事が終わったら、昼食後に出かけなければなりません。忙しない一日になりそうです。

■さて、いつもの知恵袋、田中宇さんの分析です。

★イランの失敗
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年10月4日

いまや中東は、イスラエルのやりたい放題になっています。他人の土地を焼け野原にした上、いずれは自分たちの領土にしよう、というわけです。犠牲者の数は、もう報道されもしなくなりました。数え切れないのでしょう。そして、誰もそれを止めることができません。

アメリカは武器を送り続け、最大限支援しています。軍需産業は、空前の好景気のようです。それが、「アメリカの平和」の現状です。なぜ、こんな事になっているのかは、田中さんの分析を読むと理解できます。

テレビでは決して報道されない現実です。イスラエルが、どこまでやれば気が済むのかは、神のみぞ知るようです。

抗重力筋

■20241004(金曜日:雨)

6月9日の富良野・四季彩の丘です。
花々が咲き乱れるには、1ヶ月早すぎました。

■昨日は、今月初めてのランニング積み重ねとして、33分20秒、3.65 km を走りました。いつもなら筋トレ後に、ランニングをするのが最近の決まりなのですが、筋トレもせず15分ほどしか走っていないにも関わらず、体が重くて、これは無理をしない方が良い、と走りながら感じました。汗のかき方で、体調をある程度推し量ることができます。

スミスマシンによる筋トレが、とても良い効果をもたらしているのは、充分実感しているのですが、やはり高齢者は疲労回復を図りながらでないと、逆効果になってしまいます。トレイナーによるレッスンビデオなどでも、その点は強調されています。

筋トレすると必ず組織の破壊が起こり、そこから筋の修復、そして肥大という過程を経るのが、修復が済まないうちに、さらなる破壊が起きてしまい、正のサイクルにならないようです、

それでも、ここ1週間ほどは、立っている際に必要な抗重力筋群が以前よりもしっかりしてきたのか、立っている際に、とても安定していることを実感しています。腰回りが、しっかりしているという実感です。

立位姿勢を保持するためには、抗重力筋の機能がとても重要です。

抗重力筋とは、読んで字のごとく「重力に抗う筋肉」です。

具体的には背筋(背中の筋肉)、臀筋(お尻の筋肉)、ハムストリングス(ももの後ろの筋肉)、下腿三頭筋(ふくらはぎの筋肉)などの筋肉のことです。

これらの筋肉群の鍛錬は、スクワットで、かなりカバーできそうです。同窓会から帰ってきてSunが言うには、皆に会ってまず目に付くのが、同年輩以上の仲間の姿勢の悪さだったそうです。老人特有の姿勢の変化が避けられません。

まぁ、気長に取組しかありません。一朝一夕に解決できる問題ではないからです。楽しみながら、続けていきましょう。

就学時健診

■20241003(木曜日:晴れ後雨)

JR北海道富良野線「美瑛駅」です。
駅の横の駐輪場で、完走後に着替えをしました。

■さて今日から恒例の、就学時健診が始まります。来年小学校へ入学する生徒さんの健康診断です。少子高齢化で入学者数も年々減少しています。検診をする立場からすれば、少ないほうが楽なのですが、地域に子どもたちの声が聞こえなくなるのは、寂しい限りです。

先日は友人のY先生から連絡をいただき、今年度限りでクリニックを閉じるつもりだ、と連絡をもらいました。まだ70代なかばですので、継続は可能なのでしょうが、持病もあって決断されたようです。

私よりも数年前に開業され、地域のまとめ役として長い間お世話になった先生ですので、ついにその日が来たのだ、と感慨深いものがありました。その次は自分だ、という思いが、いよいよ現実味を一気に増してきました。

担当している学校医は、他の先生にすでに依頼済みで、次年度からの移行にも問題がないように手配されたようです。こうした地域での公的義務が、閉院の際には重しになります。代替医療機関を探す必要があります。面倒な仕事ですから、本当は誰も引き受けたがりません。

日本中の地方で、おそらく同様の変化が、これから続出するはずです。高齢化した開業医が、マイナカードを始めIT化の高波を乗り切れずに、閉院に追い込まれるパターンです。

無医村の状態になる地域が、激増するはずです。そこまでの変化を、この目で見る時間的な余裕は無さそうですが、そうした状況の到来は、まさに目に見えています。

孫たちが成人する頃の日本社会は、いったいどんな様相なのか。あまり想像したくないというのが、正直な思いです。

秘すれば花なり

■20241002(水曜日:晴れ)

「丘のまちびえいヘルシーマラソン」。走り終わって、ホット一息。
丸山運動公園陸上競技場です。

■10月に入っても暑い日が続いています。日中も未だに冷房がないと、外来は暑苦しくなります。自分の体が変化に適応できずに、右往左往しているのが、よく分かります。

■さて、新しい内閣も発足し、どんな政治が行われるのか期待と不安が錯綜します。そんな時にも、やはり知恵袋が大切です。以下の田中さんの指摘は、とても貴重なものと私には思えます。一人でも多くの日本人に読んでもらえることを祈るばかりです。

★★中国敵視を使って対米自立
田中宇の国際ニュース解説 無料版 2024年10月1日

テレビやマスコミの通り一遍の解説では、何が起ころうとしているのか、さっぱり分かりません。

アメリカとの関係が主軸になるのは、誰が総理になっても変わることはないのですが、大きく世界が変化する今、日本の舵取りは難しい局面です。考えてみれば、アメリカ一辺倒と一見思われていた安倍総理は、中露の首脳と何度も会談しています。

安倍総理だからこそ、親中だ、中国のスパイだと非難されずにいたのです。日本が生き抜くためには、両属的に生き抜くことが必要だ、と安倍総理は考えていたのでしょう。

さて石破総理は、どのような舵取りをこれからするのか。安倍総理の最後を見ているだけに、よほど慎重に、そして周到に事を進めないと命取りになります。

リベラル勢力のように、脳天気な反米だけを叫ぶだけでは、何も解決しません。結局のところ、「秘すれば花なり」というところでしょうか。

「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」

(世阿弥「風姿花伝」)

「秘めるからこそ花になる、秘めねば花の価値は失せてしまう」という意味で、隠し事はよくないかもしれませんが、隠しておいたほういいこと、黙っていたほうがいいことというのは確かにあって、それが物事の価値を実は決めていることもある、ということを知っておいたほうがいいでしょう。

高度成長時代

■20241001(火曜日:晴れ)

「丘のまちびえいヘルシーマラソン」。20キロ地点。
残りは1キロ強です。あと、もう少しです。

■今日から10月。爽やかな朝です。ちょうど60年前に、東京オリンピックが開催されました。忘れもしません、10月10日が開会式でした。本当に爽やかな青空のもと、国立競技場で開催されたのです。

当時11歳だった私(これは確かです)は、小学校から急いで家に帰り、白黒テレビで開会式を見たように記憶していますが、これは不確かです。後に学校からクラスの仲間揃って、近くにあった東映映画館に、市川崑監督の記録映画を観に行ったことで、記憶がごちゃ混ぜになっているかもしれません。

古関裕而さん作曲の入場行進曲を聞く度に、あの日を思い出すことができます。ちなみに、生成AI に「日本の高度成長時代って、いつのこと?」と尋ねてみると、

日本の高度経済成長時代は、戦後1955年から1973年にかけての約20年間で、実質経済成長率は年平均10%前後でした。

高度経済成長の主な要因は次のとおりです。

経済優先の政策、資源開発を伴うエネルギー革命、中東からの安価な原油の輸入、 円安。

★高度経済成長の時代には、次のようなことが起こりました。

(1)技術革新が製造施設の拡大を促し、テレビ、冷蔵庫、自動車などの耐久消費財が飛ぶように売れた

(2)政府は重化学工業の発展や合理化による輸出の拡大を目標とした

(3)1960年代の終わりには世界第2位の経済大国となった

(4)1964年に東京オリンピックが、1970年に大阪で日本万国博覧会が開催され、日本の戦後復興と経済力が世界に向けてアピールされた

(5)高速道路や新幹線など交通網の整備が進んだ

1953年生まれの私には、物心ついてから成人するまで、ずっと高度成長が続いていたことになります。簡単に言えば、昨日より今日、今日より明日、生活は必ず良くなると、単純に信じることのできた時代だったのです。

そして、間違いなく、そうなって行ったのでした。社会人になってからも、幸い傾向としては同様でした。一生懸命働けば、収入も増えました。

ところが、今の30代、40代の人たちは、不景気な時代しか経験していないので、未来に対する思いが、ぜんぜん違うことに驚きます。

今また、(4)の再現を狙って東京オリンピックと大阪万博を開催しようとしていますが、いかに時代が様変わりしたかは歴然としています。結局、我々の発想は60年前と、少しも変わっていないということです。

そして結果は、まるで別物になっているのです。

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