■20250302(日曜日:晴れ)

■今日は新沼津カントリークラブの弥生杯Sクラス月例でした。競技委員としてお手伝いしました。54名の参加者でした。風も穏やかで、暖かな一日となり、嵐の前のゴルフ日和でした。
ただしカップの位置が難しかったのか、聞いた話では、皆さんパットで苦しんだようです。名だたる名手が次々と、90回を超えてしまったのが、それを証明しているようです。
全員がスタートしてから、競技委員3名でコースの視察を兼ねてラウンドしました。グリーンの手入れに、もう少し工夫が必要だ、という声が多かったようです。
■さて今日は、東京マラソンが開催されました。第19回目の大会ですが、2023からコースが変更されました。
この変更は、2020年東京オリンピック・パラリンピックのマラソンコースを活用し、より国際的で観光客にも魅力的なコースを目指して行われました。
新しいコースは、東京都庁をスタートし、皇居や浅草、銀座などの名所を巡り、東京駅近くのゴールに向かうルートとなっています。
第1回大会は2007年2月18日に開催されています。ランニングショップの企画による、東京マラソンのコースを走る会に参加したのが、2014年1月19日でした。コースは今と異なり、臨海副都心の東京ビッグサイトがゴール地点となっていました。
都庁を出発して浅草や銀座を走り、臨海副都心まで参加者とともに走りました。当日は快晴のうえ風が強く、ビル風が吹き抜ける天候でした。銀座通りを走る頃から、右膝がランナーズ膝となり、痛みのために走ることが、とても困難になってしまいました。
マラソンでは走っている限り、真冬の寒さの中でも、Tシャツ一枚で大丈夫なのですが、いったん走ることを止めてしまうと、津波のように寒気が襲ってきます。あの日が、その恐ろしい寒気に襲われた、最初の経験でした。
屈伸運動を繰り返し、足を引きずるようにして、何とか前に進むのですが、膝が言うことをききません。途中からはお腹が壊れてしまい、コンビニ、そして最後は、ゆりかもめ(東京臨海新交通臨海線)の台場駅でしたでしょうか、駅のトイレに駆け込んだことを鮮明に覚えています。
ショップのコーチが最後まで残ってくれて、ダントツ・ビリの私のゴールを助けてくれました。地獄に佛とは、まさにあのときのコーチでした。私がいなければコーチは、さっさと家族の待つ家に帰ることができたのです。
東京マラソンと聞くと、あの日の寒さを思い出すのです。