■20250406(日曜日:雨後曇り)

小田原マラソンのコース。酒匂川沿いの堤防です。

■今日は新沼津カントリークラブ、桜花杯Sクラス月例でした。競技委員としてお手伝いしました。競技委員は7時集合なのですが、駐車場が空き空きなので驚きました。何があったのかと思って確認すると、ETC専用レーンが決済不能となり、スマートICが閉鎖されているというのです。

新沼津カントリークラブは、愛鷹スマートICから5分ほどですが、使用不能となると大変です。雨の天気予報もあり、今日は競技の成立が危ぶまれましたが、38名の参加で無事に競技は成立しました。

午前中は雨が降り続き、午後からようやく雨も上がりましたが、皆さんのスコアは悪かったようです。天候不良で不成立の競技会が続き、クラブとしても頭の痛い時期がありました。ゴルフ場は、まさに天気商売だということが分かります。

■さて今をときめく実業家、電気自動車メーカー・BYD(比亜迪)の創業者である**王伝福(ワン・チュアン・フー)**さんの経歴を調べてみると、その凄さに驚きます。中国の自動車・電池産業をリードする革新者として知られていますが、まさに立志伝中の現代の英雄です。

私が特に興味を惹かれたのは、以下の部分でした。

1966年2月、中国安徽省の貧農家庭に生まれました。幼少期は経済的に苦しく、13歳で父親、15歳で母親を亡くし、兄・王伝方の支援で学業を継続しました。

兄は孟子の言葉「天将降大任于斯人也、必先苦其心志(天が人に大任を与えるときは、必ず苦難で心を鍛える)」を引用し、彼を励ました。

特別なエリート家庭に生まれたわけではなさそうな王伝福さんが、兄によって励まされたのは分かるのですが、孟子の言葉を引用した点が、中国という国の奥行き、歴史の深さを感じるのです。

孟子の言葉が家族の中で、いわば共通基盤として存在していることに、驚いたのです。この話を聞いて思い出したのが、渋沢栄一です。国を憂えて出奔する渋沢栄一を、論語の一節を引用して父親が諭した、という話は有名です。

ところが、この話を確認してみると、父親が引用して諭したのは、論語の一説ではなくて、孝経の一部でした。

「孝経(こうきょう)の始めに曰く、身体髪膚(しんたいはっぷ)、これを父母に受く、敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり」##「自分の体(命)は父母から授かったものであり、むやみに危険にさらすのは親不孝である」

##(『孝経』開宗明義章/『論語』と混同されることが多いが、実際は『孝経』の一節)という教えでした。

江戸時代の末期には、こうした古典が共通基盤になっていたようですが、中国ではいまでも、古典が生き続けているようです。

日本における道徳的基盤を考える時、戦後の羅針盤は何だったのか。もう一度考えてみる必要がありそうです。