■202504198土曜日:晴れ)

我が街のメインストリートに並んでいます。
■もう土曜日になってしまいました。嬉しいのですが、あまりの時の速さに、痛し痒しです。明日からお休みだ、という点では、もちろん嬉しいのですが、残された時間の少ない高齢者としては、まさに身を削られる思いでもあります。
古希を過ぎて、まさにロウソクのようになりました。日一日と燃え尽きるまでの時間が少なくなっていくのです。そんな自分に、一番ふさわしいのは、たぶんガンジーの、この言葉ではないでしょうか。
明日、死ぬかのように生きろ。
永遠に生きるかのようにして、学べ。
マハトマ・ガンジー
若い時には、自分に死が訪れるなど想像もしませんでしたし、また想像することなどできるはずもありません。生きることで精一杯だからです。そう考えると、今は余裕ができたとも言えます。
■最近つくづく感じるのは、自分自身が、とても自由になってきている、という思いです。しがらみから自由になってきている。仕事という枠さえ終えれば、あとの時間は自分自身と対話すれば良い、という安堵感です。長年務めてきた、いくつかの公職を離れた、という点も大きそうです。
べつだん隠遁生活に入っているわけでは、もちろん無いのですが、良い意味で、人間関係を割り切ることができるようになったのでしょう。この人に嫌われたらどうしよう、あの人と良い関係を築かなければいけない、と自分なりに気は使っていたのです。でも本当に大切にしなければならない人は、実はほんの数人だ、ということが分かってきました。
スポーツをしていると、上級者によく言われるのが、力を抜かなければダメだ、というアドバイスです。余計な身体の部分、余計な時に力を入れるので、一番肝心な時に、ボールに力が伝わりません。上級者になればなるほど、まるで力など入れていないかのように見えるほどです。
たぶん人間関係も、似ているのでしょう。達人ほど、まるで全然気を使っていないかのごとく、立ち居振る舞っています。必要な部分と必要でない部分の切り分けが、ごく自然にできるのかも知れません。
そこまで行くと悟りの境地なのでしょうが、古希を迎えて自分なりに、余計な力が抜けてきたようには思うのです。
こんなふうに考えることができるのは、一番には連れ合いのおかげだ思いますので、感謝するばかりです。連れ添って生きていく、とはどういうことか、43年経ってみて少しは分かってきたようです。