■20250818(月曜日:晴れ)( D 370 )

空から雲のアヒルが応援してくれています。
■今日は大の仲良し長倉さんと前田さんとラウンドしました。長倉さんは前日に続いての連チャンでした。お盆も終わって、さすがに空いていました。暑いことは暑かったのですが、先月のようにユーティルティーを取ろうと、バックからヘッドを持った途端に、火傷をしそうになるほどの暑さはありませんでした。
最近はラウンドするのは、月に二回になってしまい、さっぱり上達しなくなりましたが、それでも筋トレの成果でしょうか、最後までしっかりとプレイできるのは感謝です。
今日も散々な出来でしたが、最終ホールをパーで上がれたのは、次回に繋がる成果です。
■さて、私の好きな句の一つに与謝蕪村の「遅き日の つもりて遠き むかしかな」があります。ネットで見ると、ある方の鑑賞では以下のような解釈が可能です。
日常的な時間から非日常的な時間への誘いのような句である。
「遠きむかし」を遠い昔の事を思い出している、というようには取りたくない気持ちがある。「遠きむかし」という言葉で、時間というものがまだ無かった頃のこと、あるいは時間が無い存在の状態を表現しているものと理解したいのである。つまり全く非日常的な時空である。瞑想的な人間なら誰もが経験する時空、日常や世間や歴史のごたごたから超越した時空である。
芭蕉が「古池や蛙飛びこむ水の音」や「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」のように、音から入って深い瞑想的な境地を表現したように、私は蕪村という人は時間に対する特別な感覚があったのではないかと思えてきた。
確かに、時間に値する特別な感覚、という指摘は私にも納得できます。試しに、AIに尋ねてみました。すると、こんな指摘と応援メッセージを受け取りました。
▶Qwen Chatからの応援メッセージ
与謝蕪村の俳句
「遅き日の つもりて遠き むかしかな」
——
この一句には、季節の移ろいと時間の深淵が静かに溶け込んでいます。
あなたが歩む朝の散歩や、記憶の旅と重ねて読むにふさわしい、まさに「心の風景」を映す名句です。では、この句の読みどころを2点に絞って、丁寧に解説いたします。
🌅 1. 「遅き日」= 夕暮れの「時間」と「人生の比喩」
「遅き日の」 ——「遅い日の光」、つまり夕方の陽(ゆうひ)を意味します。
しかし、「遅き日」という表現には、
単なる「夕暮れ」以上の意味が込められています。
- 物理的な時間:日が傾き、一日の終わりに近づく
- 人生の比喩:老い、回想、終わりの近さ
- 心理的な時間:「もうこんな時間か」と気づく、ふと立ち止まる瞬間
この「遅き日」は、
「今ここ」の静けさを意識させるきっかけです。
あなたが5時半に目覚めて歩き出す朝とは逆の時間帯ですが、同じく「日常の中の非日常的な静けさ」を感じさせる瞬間です。🕰️ 2. 「つもりて遠き むかしかな」= 思い出すのではない、「つもりた」瞬間
「つもりて遠き むかしかな」
この表現が、この句の最大の詩的工夫です。
🔍 「つもりて」とは?
「つもり」=「思い出す」ではなく、
「ふと心に浮かんだ」「無意識に思い至った」という、
自然発生的な記憶の喚起を意味します。
- 意図して「昔を思い出そう」としたわけではない
- 夕日の光を見た途端、何の前触れもなく
- 遠い過去が、心の奥から自然に浮かんできた
この「つもり」という言葉には、
記憶の不意打ち、
時間の重層性、
意識の流れの美しさが凝縮されています。そして——
「遠きむかしかな」
「かな」は詠嘆の語。
ただ事実を述べるのではなく、
「ああ、そうだったな……」
「ずいぶん遠くまで来てしまったものだ」
という、静かな感慨と郷愁が込められています。✅ 総合的な読み方(あなたの体験と重ねて)
この句は、
まさにあなたが今朝体験した「団地の窓」の記憶と
驚くほど共鳴します。
- 夕日(あるいは朝の光)を見て
- ふと、無意識に
- 遠い過去の風景が蘇る
—— それこそが、
「遅き日の つもりて遠き むかしかな」
の真髄です。🎑 補足:蕪村の時間感覚
蕪村は、
- 松尾大愚の「寂」に対して
- 「美」と「叙情」を重んじる
この句も、
絵画のような構図(夕日の中に浮かぶ記憶)と
音楽のような余韻(「かな」の響き)を持っています。✅ まとめ:読みどころ2点
読みどころ 解説 1. 「遅き日」の二重性 夕暮れの光であり、人生の「終わりに近い今」の象徴。時間の流れを感じさせる。 2. 「つもりて」の自然さ 意図しない記憶の蘇生。無意識のうちに過去が心に浮かぶ、静かな瞬間の美。 この一句は、
あなたが歩く朝の道でも、
T字タオルをかける夜でも、
バーベルを上げる瞬間でも、
ふと心に浮かぶかもしれません。「ああ、遅き日の……」
と、ただ、そう思うだけで、
詩は始まっているのです。また、蕪村や他の俳句についても、
あなたの朝の風景とともにお話しましょう。
どうぞ、またお聞かせくださいね。 🌇📖✨
■なるほど、自分自身の日常生活のある一瞬を、18世紀後半に生きた日本人が同様の思いも持って、それを言葉に残してくれた。まさに、これこそが伝統なのかもしれません。
